-10『いろんな人がいるようです』
谷底の星空を見た後、まだ勤め先の屋敷で少し仕事が残っているというリリオと別れた。
「夜遅くまで働くだなんて、随分頑張るのね」
エイミの言葉に、ボクも働きすぎなのではないかと心配に思う。
しかしリリオは、
「これもお仕事ですから」と苦笑を浮かべて去っていった。
「なんだかリリオ、疲れてそうな顔をしてたけど」
ボクが言うと、エイミも頷いた。
二人になったところで、そろそろ野営の準備を始めなくては日が昇ってしまう。そもそも宿に泊まるつもりだったので場所も確保していない。
「まあ町の近くなら安全でしょ」
何故か自信満々にエイミが言うので、ボクもそう思うことにした。
「不安材料ばかりで頭を一杯にしてると疲れるわよ。よほどのことじゃない限り、気楽に考えおくのが一番だわ」
そんなもので大丈夫だろうか、とつい不安になってしまうのは、ボクの悪いところなのだろうか。
町の外に向かって歩いていると、ふと、大きな物音が聞こえた。
どうやら狭い路地の中のようだ。その音とほぼ同時に、
「ふざけんじゃねえ!」という怒声も届いてくる。
何か揉め事だろうか。
酒場が多く、酔っ払いの数も少なくないこの町だ。珍しいことではないのかもしれない。
だが、少しイ様子が違うようにも思え、ボクとエイミは思わずその路地を通り過ぎる時に覗き込んだ。
そこは、夕食を済ませたあの酒場の路地裏だった。
その店の裏口の前で、酒樽などが置かれた物陰に二つの人影を見つけた。
一つは普通の人間の男が佇む姿。
もう一つは地面に蹲った獣人だ。
薄暗くてすぐにはわからなかったが、よく見ると、その獣人はあの酒場の雇われ店主だった。
「なに負けてやがんだよ! いったい何のためにお前を高額で雇ってると思ってやがるんだ! ついこの間、帳尻あわせで負けさせたばかりだろうが! そうほいほい負けられたら大赤字なんだよ、わかってんのか!」
怒号を響かせ、人間の男が獣人を無遠慮に蹴りつける。
獣人はその豪奢な体格には不似合いなほど、すいやせん、と及び腰で謝り倒していた。
「誰にも負けない腕っ節があるって言うからお前を雇ったって言うのに。負けるタイミングは俺の言った通りにしてくれないと採算が合わなくなるだろう!」
なるほど。
どうやら彼はあの酒場の経営者であり、腕自慢の獣人を雇っているようだ。
普段は快勝させ、客達の不満がたまったところで適度に負けさせる。赤字が出ない範囲で。客を釣るための腕相撲大会はそういう仕組みだったというわけだ。
理には適っていると思う。
けれど少し計算が狂った程度でこれほど怒り狂うとは。とほどの守銭奴なのだろうか。
「クビにしてやろうか! ああ?!」
「すいやせん。まさかあんな子供に負けるとは思わなくて」
「油断してたんだろう? 舐めた態度で仕事しやがって。赤字分は給料から引いておくぞ、この野郎!」
また容赦のない蹴り。
どう見ても暴行。犯罪だ。
ボクの胸がざわついた。
「ボク……なんか、ああいいうの、イヤだな」
「当然よ。見ていて気持ちの良いものではないもの。本当に……平気でこんなことをできることに虫唾が走る。でも、理不尽な暴力を止めるには力が要るわ」
「力……」
ボクならそれもできるだろう。
エイミの言葉は、暗にボクへ向けられているのか。
どうしたものか。
すぐにでも止めるべきなのだろうか。
ボクがそう逡巡しているうちに、隣で見ていたエイミがのそりと前に躍り出た。繋いだ手が引かれ、ボクも釣られて前に出てしまう。
「たった一度の不利益に自棄になるなんて、ちょっと経営者としての器量がなさすぎるんじゃないかしら」
凛と澄んだまっすぐな声でエイミは言った。
雇い主の男がこちらに気付き、ぎらついた鋭い視線を向けてくる。
「ああ? なんだお前ら」
「通りがかりの客よ」
「客だと? だったら店の裏方事情に何の関係もないだろう。さっさと失せな」
「関係はないけれど、気分のいいものではないわ。そういうものは、誰の目にも、耳にも届かないところでやりなさい」
「ああ? そんなこと知るかよ」
ボクも、そんな問題なのかな、と内心苦笑する。
まさか本当に、獣人の店主を気にしてではなく、怒声が気に入らなかったから声をかけたのだろうか。
獣人の店主は地面に転がったままボクたちを見ている。
おそらく、腕相撲で勝負した相手だと気付いているだろう。
言ってしまえばボクたちのせいで彼は今、暴行を受けているようなものだ。
一抹の申し訳なさがある。
不機嫌に唸る雇い主の男に対して、エイミは物怖じしない態度で相対する。
「随分とひどい扱いじゃない? たった一度の失敗なのでしょう」
「その失敗をしないように高い金を払ってやってるんだ。獣人なんぞ、ろくに頭も使えない筋肉馬鹿ばかりなんだ。こいつらの力を有効的に活用してやってるのはこの俺なんだぞ」
あまりにも横暴が過ぎる。
けれど雇い主の男はまったく信を揺るがさず言い張っているし、獣人の店主もまったく反論する気配はない。
おそらくそれが彼らの共通認識であり、普通なのだ。
もともと奴隷制度があったというこの町に根付いた意識の差なのだろう。
「雇用主というものは絶対王者ではないのよ」
「金で雇ってんだ。俺が上の立場だってのは違いねえだろ」
「それは違いないわ。けれど、どれだけ権力を持つ王政さえ、臣民の信頼を得られなければ簡単に崩壊するものよ」
「何が言いたい」
「お金という力を積み上げて偉くなった気分になるだけじゃいずれ身を滅ぼすってことよ。責任を取れない者が上に立つべきではないわ」
エイミの言葉に血が上ったのか、雇い主の男は顔中の血管を浮き立たせながら眉間のしわを深める。
「喧嘩売ってんのかてめえ」
そう言ってエイミへと近づき、拳を振り上げた瞬間。
エイミがボクの手を少しの間だけ離す。
「……ぅ、うああああ」
途端、ボクの無差別のオーラを一瞬だけ受けて、雇い主の男が苦痛に声を漏らし始める。
すぐに手を繋いだのでその症状もあっという間に治まったものの、雇い主の男は急な疲労のような憔悴感に、膝から沈み込んでしまっていた。
「な、なにしやがった」
「別に何も。酒でも回ってるんじゃないかしら。少しお酒臭いわよ」
「……この糞が」
雇い主の男はそう言い捨てると、鼻を鳴らして去っていってしまった。
ボクたちと、雇われの獣人の店主だけがその場に残される。
彼は立ち上がると、蹴られてあざになった箇所を擦りながらボクたちに言った。
「どうして俺を助けた」
「別に、私は貴方を助けようとした訳じゃないわ。ただ気に入らなかっただけよ。権力で下の人間の自由を好き勝手に操るような奴が」
その言葉は実直に聞こえ、本当にその通りなのだと、ボクは感じた。
しかし獣人の店主の顔は非常に不快そうだ。
「お前達のせいで、俺があの人に見限られたらどうするんだ。せっかくの契約が。せっかくの高給が無くなっちまうだろうが」
「……あら、そう。貴方はそういう分類の人なのね」
何かを察した風にエイミは返す。
「それは悪い事をしたわ。悪かったわね、ごめんなさい」
そのイヤに素直な彼女の言葉を、ボクは不思議に思いながら聞いていた。




