-9 『獣人の少女は変わり者でした』
「じ、事件でございますですか!」
情けないボクの叫び声を聞きつけたのか、路地裏を歩いていたボクたちの元に女の子が駆け寄ってきた。
手には竹の箒を持ち、それを振りかぶろうとするように構えている。
その少女の顔は、今にも殴りかかろうとせんばかりに血気溢れていた。
「ち、違うよ」とボクは慌てて否定する。
するとその少女は深く息をつき、やっと箒を下ろしてくれた。
「ごめんなさいね、うちの子がうるさくて」
エイミが軽く頭を下げる。
うちの子、とはボクのことか。
「いえいえ、何事もなかったのでしたら良かったのでございま……あれ?」
ふと少女の言葉が詰まった。
かと思えば、その少女はボクたちを交互に見て弾んだ声を上げる。
「あら皆さん、昼間に出会った御方ではございませんか」
「昼間?」
ボクとエイミが同時に首をかしげ、少女の顔をじっと見やる。
薄暗がりでわかりづらかったが、そこにいたのは、昼に町で出会った獣人の女の子だった。目の前で籠の荷物を盛大にぶちまけていた姿が記憶に新しい。
「あの時は本当にすみませんでしたです」
しおらしく頭を垂れた彼女の耳が、同じように先っぽをしならせて折れ曲がる。人間のボクにはない部分だから、なんだか器用で不思議なものだ。
「私はリリオといいますです。この近くの屋敷で小間使いとして働かせていただいている者なのです」
「そう。私はエイミよ」
「ボクはアンセル。よろしく」
「はい、よろしくお願いしますです」
リリオという獣人少女はもう一度頭を下げると、今度は大きく丸い尻尾をふさふさと左右に揺らせた。
感情がそのまま表れているのだろうか。
にこやかなリリオの表情と同じくらい元気に揺れている。
どういう仕組みで動いているのだろう。
手足を動かすような感覚だろうか。少し気になってしまう。
「お二人は旅をなさっていらっしゃるのでございますですか?」
「ええ、そんなところよ」
エイミが答えると、リリオは胸の前で指を組みながら目を輝かせた。
「すごいのです。まだお若いですのにご立派でございますです」
「旅をするだけならそんな大層なものでもないわよ。治安だって、街道から外れなければそれなりに良いものだし」
「そうなのですか?」
リリオがボクにも話を振ってくれる。
だがボクはまだ近所の森から出てきたばかりで、なにもわからず、とりあえずただ相槌程度に頷いておいた。
「この町に来られる旅人の方々はみんな、揃って大きな荷物や武器のようなものを持ってらっしゃる方が多いのでございますです。なんでもこの町の近隣には、その名を『魔王』と呼ばれ畏怖される凶悪な人物が潜んでいるとのことでございますです。なんでもその魔王、いかなる人間も女子供問わず虐殺し、逆らう者には容赦をしないという話なのです。ですから、この町の住民は町から出るのを恐がる人も多いのでございますですよ」
ぎくっ、とボクは内心冷や汗をかいた。
おそらくボクのことだろう。
「ボク、そんな風に言われてるんだ」
「そりゃあ歩く無差別殺人兵器だもの」
リリオに聞こえないようにこっそりと言う。
容赦のないエイミの言葉が胸にぐさりと来た。
まあ実際事実だったのだから文句は言えないけれど。
「貴女も旅に出たことがあるの?」
エイミが尋ねると、リリオはぶんぶんと強く首を横に振った。
「いいえいいえ。私は一度も無いのでありますです。でも、少し憧れてたりはするのでありますです。時間に縛られず、自由気ままに右へ左へ。そんな風来坊のお話を耳にするたび、どんなものなのだろうと思ってしまいますですよ」
「そうなの」
「そうなのです。虹色に輝く小麦畑、瑠璃真珠のような珊瑚の並ぶ透明な海、エメラルドのような波の広がる夜空が見える丘。昔から世界中のお話を伝え聞いて、旅とはどんなものなのだろうと想像していましたのです。旅人の方達は、旅をする度にいろんなものに出会うということなのですね」
随分と美化されていそうではあるが、本当に憧れているのだろう。それを語るリリオの表情は本当に楽しそうだった。
そんな彼女の口許が、ふと引きつる。
「旅をする度……たびの、たび。えへへ……」
リリオが静かににやつく。
一体どうしたのだろうかと顔を覗きこむと、リリオは笑いを堪えるようにしていた。心なしか目尻には涙もこぼれている。
駄洒落を自分で言ってツボに入ったのだろうか。真っ赤になった顔を隠すように腕で頭を抱え込む。もしかすると駄洒落を言ってしまったことを恥ずかしがっているのかもしれない。
触れていいのかもわからず、とりあえずボクはそっとしておくことにした。
「それだけ憧れてるなら旅に出ちゃえばいいんじゃないかな」
ボクがそう言ってみると、リリオのせっかくの笑顔がなりを潜めてしまった。
「私はこの町でご主人様と雇用契約を結んでいますのです。お仕事は毎日ありますし、出かける時間もないのですよ」
「随分と働き者ね」
「そういう契約なのです。お賃金も悪くはありませんし、文句も言えません」
そう言う彼女の表情は、あまり満たされているようには見えなかった。
◇
それから、ボクたちはリリオの案内でカイックの町を見て回った。
もう夜の帳も下りはじめ、町の明かりも少しずつ消え始めている頃だ。
一部の酒場はまだ賑やかさを残してはいるが、雑貨屋などはとうに店を閉めてしまっている。
たいして見る物も無いかと思っていたが、リリオが連れて来てくれた町外れにあたる峡谷の谷間を見て、ボクは思わず息を呑んでしまった。
そこは鉱石の採掘場の跡だった。
規制の縄が引かれて中には入れないが、上から覗き込める深い谷底には、岩壁に露出したいくつかの鉱石があった。
かすかな輝きを持つそれが、町の夜光に反射し、淡く光っている。それはまるで、谷底に星空が生まれているみたいだった。
「ここはこの町の唯一の自慢なのです。昔、採掘場として鉱石を掘ってましたですが、落盤などの危険と採掘量の減少から、このまま放置されることになった場所なのです」
「すごいわね」
「うん」
リリオの説明を受けながら、エイミとボクは感嘆の息を漏らす。
本当に綺麗だった。
世界中のこういった景色を見れるのならば、確かに旅というのも悪くない。
ずっと鬱蒼とした森の中にいたボクも、一度こんな光景を見てしまえば、もうあんな場所には戻りたくなくなってしまいそうだ。
森にいたら見れなかった。
隣で、息を呑んている少女の顔を覗き見る。
繋いだ手から彼女の体温の微かな高まりを感じて、ボクはなんだか嬉しくなった。
財宝を散りばめたように輝く景色をうっとりと眺めながらリリオが口を開く。
「こうして綺麗なものを見てるとついつい口が開いてしまいますですね」
「そうね」
「ボクもだよ」
「綺麗な光景を見て、顔が滑稽に。光景で、滑稽に。えへへ……」
台無しである。
だが可愛らしく照れ笑いしながら言う彼女に口出す勇気もなく、ボクもエイミも揃って愛想笑いを浮かべていた。




