6 追跡
路地を走るエルム。
鍛治職人カインの店から飛び出してきたその人物は、頭からフードを被っており顔も性別も分からない。
ただしその動きから、かなりの手練れであることは分かる。
荷物持ちモードのエルムを引き離す勢いで駆けていく。
当然だが、エルムもこのまま引き離されるわけにはいかない。
仕事であろうとなかろうと、相手を取り逃がすなんて彼のプライドが許さない。
しかし幸いなことに、今エルムは仲間から離れ、一人でその人物を追っている。
そして、周りには誰もいない。
これは絶好のチャンスだった。
そう、本来の力を出すチャンスなのだ。
エルムは心を決めた刹那、
彼の目つきが変わった。
表情が冷気を纏った。
そして、体の全ての動きから無駄が消えた。
一瞬で、逃亡者との距離は半分に縮まっていた。
圧倒的スピードだ。
歴戦の戦士でさえ背後を取られるそのエルムのスピードは、他を一切寄せ付けない。
エルムが最強と称される由縁の一つが、このスピードだった。
あと一歩で追いつく。
このまま走り右手を振り抜けば、恐らくそれで奴は殺せる。
しかし、今はまだ殺すわけにはいかない。
相手の正体を目的をつかむ必要があるからだ。
だから生きたまま捕まえなければならない。
逃亡者の前に回り込むべきか、後ろから捕まえるべきか
エルムはそう考えていた。
そして、相手の行動の予測がつかないことと路地の狭さを考慮し、彼は後ろから捕まえることを選択した。
その選択をすると、すぐに最後の一歩踏み出し、エルムは逃亡者との距離をゼロにした。
そして、すかさず相手の左脇に拳を叩き込んだ。
走っていた方向への力に右方向の加速度が加わり、逃亡者は斜めに転がって行く。
転がって行った先にあるのは民家だ。
勢いを止めることなく、その人物は民家の塀に当たる。
当たった瞬間、塀が崩れ瓦礫が覆い被さる。
しまった、また力の加減を間違えたか…
そう思ったエルムだったが、それが間違いだということにすぐ気付いた。
瓦礫の中から、そいつはすぐに飛び出して来たのだ。
そして、その民家の庭にいた子供を右腕で抱きかかえた。
しまった!エルムがそう思った時にはすでに遅かった。
フードを被った人物は、子供を腕に抱えエルムの方を見る。
そいつの左手には、いつのまにかナイフが握られている。
そのナイフは、少年の首元に突きつけられている。
その子供は、状況が理解できていない様子で、目と口が半開きの状態のまま顔を動かさない。
再び最高速度を出せば、相手の背後を取ることはできるだろう。
しかし、今は人質を取られている。
絶対に少年を無傷で助けられるとは保証できない。
もし少年に万が一のことがあったら、勇者一行のイメージが悪くなる。
エルムは、その事態だけは避けたかった。
そこで、エルムは両腕を横に開いた。
これ以上戦う意思がないことを示すためだ。
フードの人物は、右腕に子供を抱えたままジリジリと後ろへ下がっていく。
エルムもそれに合わせて前へ出ようとするが、相手がナイフをチラつかせるため前へ出られない。
じれったい時間が続いた。
そしてある程度の距離が開いた時、フードの人物は子供をエルムの方めがけて放り投げた。
少年が弧を描きながらエルムの方へ飛んでくる。
その様子をエルムは目で追う。
広げていた両手を、少年をキャッチする為そのまま上に上げた。
そしてエルムは落下地点へと移動し、少年を腕で受け止めた。
それと同時に、エルムはフードの人物の方に目を向けた。
しかし、既にその姿はなかった。
その人物は、少年を放り投げた瞬間に、180度回転して走り出していたのだ。
「俺としたことが…、なんてザマだ!」
エルムは舌打ちをした後、そう呟いた。
エルムが鍛治職人の店の前まで戻ると、3人の女冒険者が話をしていた。
「ダメだったのですね」
「ごめん、逃げられちゃったよ…」
一番最初に気付いたメイに話しかけられ、エルムは正直に伝えた。
「でも大丈夫です!きっとデイビスがもう片方を」
メイがそこまで言いかけた時に、デイビスも戻って来た。
「いや〜、まいったぜ。あのフードを被ったやつを追っかけてたらよ、道端を歩いていた婆さんが急に苦しみ出しちまってな。こりゃまずい!と思って、その婆さんを助けている間に、奴には逃げられちまったよ」
こちらから尋ねる前に、開口一番デイビスはそう言った、
おいおい、もっとマシな嘘をつけよ、とエルムは心の中で呟いたのだが、
「さすがデイビスなのです!優しいのです!」というメイの言葉を聞いて、開いた口が塞がらなかった。