乗る勇者
「何だ、もう片付いてたか」
『ほほう、やるのう小娘』
イスベルとリュークが戦っていた場所に駆けつけてみれば、目の前でリュークが吹き飛ぶ瞬間に出くわした。
彼女が放ってきた中で、近接戦に限っていうならばもっとも強力だと思われる技、『氷底』。
直撃すれば内臓が凍り、同時に加えられる打撃によって粉々に砕かれる。
俺が受けたときはセイヴァースの柄で受け止めたため難を逃れたが、リュークは間違いなく直撃。
セイヴァースのおかげで――というか、セイヴァースのせいで即死はできないだろうが、地獄のような苦しみの後に命を落とすだろう。
「うむ、アデルか。貴様の方も終わったようだな」
「ああ。少し苦しい戦いだったけど、まあなんとかなった」
「……そうか」
俺の言葉を聞くと、イスベルは困ったように微笑んだ。
――イスベルは、俺よりも俺の限界を知っていたのだろう。
彼女と正面からぶつかり合ったとき、俺の体が崩壊を始めていたことを悟っていたのだ。
「さて……さすがは聖剣を扱える者なだけはある。まだ生きているとはな」
「カッ――――ヒュー……ヒュー……」
リュークは、まるでおぼれているかのように手足をばたつかせ、懸命に息を吸おうとしている。
聖剣は所有者の再生力を高める。
それは決して回復魔術などではなく、あくまで治りを早くしているだけにすぎない。
おそらくリュークが破壊された部位は、肋骨、背骨、心臓と肺。
おそらくその周囲の臓器や骨も無事ではないだろうが、問題なのは心臓だ。
体はもっとも重要な器官である心臓の再生力を早める。
これにより最低限血液を送り出すことを可能とするが、続いて出てくる問題が肺だ。
肺がなければ呼吸ができない。
再生力のほとんどは心臓で使われてしまっているため、肺はゆっくり再生することになる。
それでも十分早いのだが、酸素が脳へ届かず、結局待ち受けるのは死だ。
「哀れなものだな」
「……」
必死にもがきながら、何もない場所へと手を伸ばすリューク。
救いを求めているのだろうか、その姿はなんとも――悲しかった。
「終わらせてやれ、アデル」
「……ああ」
俺はエクスダークを抜き、リュークへと歩み寄った。
たった数十メートルの距離が、途方もない距離に感じる。
決別を誓った相手だ。
ここでとどめを刺すことに抵抗は感じない。
それでも……こうならない結末がどこかにあったのかもしれない。
そう考えずにはいられなかった。
『――おい』
「……ん?」
『何度も我は声をかけてたぞ! 感傷に浸って顔ばかりみとるんじゃない!』
「ッ!」
このときばかりは、俺の人生の中でもっとも失敗であったといってもいいかもしれない。
リュークは、ただじたばたしているだけではなかった。
虚空に伸ばしていたはずの手は、いつの間にか取り落していたセイヴァースへと届こうとしている。
この状況で、懸命に生に手を伸ばしていたのだ。
『そやつにセイヴァースを握らせるなッ!』
「ッ――飛剣!」
とっさに飛剣を放つ。
当たれば確実に息の根を止められるという一撃であったが、それはリュークを中心に広がった光の爆発によってかき消された。
「あぶな……かった……っ! この僕がっ……死ぬところだった……!」
光の中心にいたリュークは、必死に空気を吸いながら言葉を吐きだす。
聖剣セイヴァースに注いだ魔力を、さらに強力な再生力に変換した。
それによって肺の再生が間に合い、一命を取り留めたのだ。
「すまない、アデル……私の責任だ」
「いや、俺もどこかでためらってしまったのかもしれない。
明らかに致命傷を負った人間が、これ以上何かできるとは思わなかった。
本当にそれだけの、間抜けな理由だったのだ。
連戦による疲労だとかなんだとか、言い訳を探せばいくらでも見つかる。
いわないのは、下手な弁論よりも今からすべきことの方が優先だからだ。
「もう一度仕留める! 今度は二人でだ!」
「ああ……っ!」
俺とイスベルは、余計な思考をすべて捨ててリュークへと迫る。
「――よしてくれ」
そんな俺たちを止めたのは、リュークの儚げな制止だった。
明らかに戦意を放り投げたその行為に、思わず俺たちの足が止まる。
「僕はもう長くない。セイヴァースに頼って一命は取り留めたけど、受けたダメージが大きすぎたんだ。それを今悟った」
彼は目を伏せると、セイヴァースを地面に突き立てて手を離した。
「この戦いは、君たちの勝ちだ。それを認める。だから――最後の望みを聞いてもらえないだろうか?」
「……何だ」
「アデル、君と一対一で戦いたい」
「……」
「これを君に返す。最後は剣士として、全力の君と戦いたいんだ」
しばしの沈黙が、辺りを支配した。
それは俺の思考する時間。
一度瞳を閉じ、鞘にエクスダークを戻す。
「――――分かった」
「アデルっ⁉」
イスベルが驚愕した様子で俺を見る。
今ならば絶対に勝てるという条件が整っているのに、それを手放すといっているようなものなのだから、当然だ。
「……ありがとう。僕は魔王城で待つ。僕と君が分かれたあの場所であれば、最後の戦いの場所としては最適だろう?」
「持ち主はイスベルなんだけどな……まあいいや、分かった」
「それじゃあ、先に行って待っているよ。安心してくれ、逃げたりなどしない。僕に残っている騎士道が、それをさせないから」
リュークは俺たちに背を向け、魔王城の方向へと歩き出す。
俺は、それを黙って見送った。
彼の背中が完全に見えなくなった頃、呆れたようにイスベルが息を吐く。
「呆れたぞ、アデル」
「ん?」
「貴様はどこまでお人好しなのだ。ここまで私たちを追い詰めた相手が出した条件を、ここにきて呑むか?」
「まあ……考えなしってわけじゃないさ」
俺はセイヴァースを地面から引き抜く。
するとセイヴァースから分裂するかのように鞘が出現し、俺の腰に備わった。
「俺は、別にリュークと特別仲が良かったわけじゃない」
セイヴァースを鞘に納めながら、俺はイスベルへと向き直る。
「それでも、仲間として旅をしたのは年単位だし、それなりにあいつのことは知ってるつもりだ」
こんなことを起こすやつであったことが見抜けなかった時点で鼻で笑ってしまえるのだが。
「数年の旅の中で、俺はあいつの癖だけはよく覚えてた。あいつは――」
――何か企んでいるとき、儚げに笑うのだ。
リュークが最後に見せた表情。
あれは、仲間たちとの休息の時間で彼がときたま見せた、些細ないたずらを思いついたときの顔。
俺は一切その被害にあったことがないし、主に被害者は魔術師だけだったけれど……。
思えばずっと、リュークは性格が悪い男だったのだ。
「あいつは何か企んで、行動を起こそうと俺を待ってる。だから行くんだ。正面から叩き潰すために」
「なっ……分かってて」
「たとえ魔王が万全を期して待ち構えていると知っていても、挑まなければならない。それが勇者だ。人間が魔王ってのもおかしな話だけど」
俺はエクスダークとセイヴァースという、魔剣と聖剣を携えた。
こいつらとも話す必要があるな。
まずは――。
「セイヴァース」
長らく付き添い、終いには手放した愛剣の柄を叩く。
しばらくして、俺の意識は闇へと落ちていった。