別れの老賢者
「ギダラ!」
「あら、魔族というのは老人であっても思いの外タフなものですね」
血だまりの中、ギダラは上半身だけを起こして俺に手を向けていた。
その目はすでに光を失いかけており、もう彼を救うことはできないということを物語っている。
「儂は敗北した。じゃが、ただでは死なぬ」
俺の足元の魔法陣が、さらに活性化していく。
これは転移の魔法陣。
ギダラは、俺を城の外へと逃がそうとしているのだ。
「待てギダラ! このままじゃイレーラが!」
「安心せい……この城にはもうイレーラはおらんよ。どこかの頼れる隊長が回収したようじゃ。残っているのはお主とレオナ、それとシルバーじゃ」
「っ!」
「今から主らを、城の外へと転移させる……あとは頼むぞい」
視界が歪む。
もう転移は避けられないところまで準備が整っているのだ。
「そう簡単にさせるとお思いで?」
「ごっ――」
薄れゆく視界の中、ヴァイオレットがギダラを蹴り飛ばす姿が映った。
壁に叩きつけられたギダラは力なくうなだれるものの、その顔は笑っているようにも見える。
「はっ……もう遅い。勇者よ……さらばじゃ」
「あー! もうこのジジイうざいよぉ!」
俺が最後に見た光景は、オレンジがギダラの頭を叩き潰す瞬間だった。
♦
「うわっ、何だい⁉」
「むっ」
気づけば、俺の目に映る景色は早変わりしていた。
ここは魔王城の背後にある森の中。
周りにはレオナとシルバーの姿がある。
「アデル! あんたも無事だったかい!」
「……ああ」
「? どうしたんだい? そういえばギダラやイレーラの姿がないね……」
「ギダラは――――死んだ」
「……えっ」
俺の言葉に、レオナは声を詰まらせた。
シルバーも少なからず思うところがあるのか、眉間にしわが寄る。
「虹の協会の中でも、明らかに格が違うやつが二人いた。ギダラはやつらにやられた後、最後の力を振り絞って俺たちを外へ逃がしたんだ」
「格が違うって……そんなに強いのかい?」
「ギダラが手も足も出ずに敗北するくらいには……といっておく。俺もあのまま戦っていたらどうなっていたか……」
そう話していると、シルバーが改めて周囲を見渡し始める。
「……話は分かった。だが、それでは魔族の女がいない理由にはならないだろう。まさかやつも?」
「いや、ギダラがいうにはもう城の外には出ているらしい。俺たちの作戦が読まれてて、地下にはリュークが配置されていたみたいで……」
次の瞬間、俺たちに近づいてくる人の気配を感じ取る。
全員が警戒心を露わにしてそちらへ顔を向ければ、慌てた様子でその人物が姿を現した。
「私です、皆さん。イレーラです」
「イレー……ラ……」
その人物は、他でもないイレーラ本人だった。
ボロボロで憔悴しきっているものの、足取りはしっかりしている。
そしてその後ろから、もう一人見知った男が顔を見せた。
「おやおや、皆さまごきげんよう。元気にしてましたか?」
「っ! ファントム!」
その男、一番隊隊長ファントム・ロードは、相変わらず掴みどころのない表情を浮かべながら声をかけてくる。
見たところ大きな怪我をしている様子はないが、多少魔力が乱れている様子が感じ取れた。
「あんた、今までどこに……」
「皆さんと同じく、リュークとやらにやられましてね。気をうかがうために、傷を癒しつつ身を隠しておりました。もっと早く加勢できればよかったんですが、傷が癒え切ってなくてですね……かろうじて部下のピンチに間に合っただけでも幸運でした」
お互いに事情を説明し合い、ファントムはレオナとシルバーに挨拶をかわす。
そういえばこの二人とファントムは初対面だったな。
「そうだ勇者、これを渡しておきましょう」
「え?」
ファントムは懐から何かを取り出すと、それを俺に向けて放る。
受け取ったそれは、底冷えしてしまうほどに黒い色をした魔石。
手のひらに乗せられるほどの大きさなのに、絶大な力を感じる。
「これは?」
「その魔石が、魔王の心臓です」
「へぇ――――ん?」
冷や汗がにじみだしてきたのは、いうまでもない。
♦
「ロイ様、お呼びでしょうか?」
「ああ。よく来てくれた」
ヴァイオレットとオレンジは、地下室に呼ばれこの場を訪れていた。
リュークは相変わらず魔石に閉じ込められたかつての友人たちを見上げている。
「サドールは死んだか」
「ええ。せっかくインディゴの色を与えていただいたのに、あの魔族ときたらあっさりやられてしまうんだもの」
「相手はアデルだった。まあ、妥当だろう」
リュークは魔石をそっと撫でた後、二人の方へ視線を向ける。
「レッドを呼び戻せ。いつまでもサボらせているわけにはいかないからな」
「分かりました。これからどうするおつもりで?」
「処刑を早める。おそらく魔王の心臓はやつらの手に渡った」
リュークの足は再び奥の部屋へと向かう。
そうして牢屋に閉じ込められていたイスベルを連れ出し、元の部屋へと戻ってくる。
「起きろ、魔王」
「う……」
頬を強くたたかれ、イスベルは目を覚ます。
「っ! 貴様!」
「黙れ。大人しくしていればこの場では殺さない」
「誰が大人しくなど――――ッ!」
イスベルは反射的にリュークを吹き飛ばそうとするが、魔術が発動しないことに気づいて驚愕する。
「お前を縛るその手枷は、一時的に魔力を完全に無いものとして扱う。魔王の心臓を持たない貴様など、こんなものさ。もはやただの女だ」
「どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ……!」
リュークはイスベルの言葉を無視し、無理矢理その体を立たせる。
「サドールが死んだ以上、ちんたらことを進めるのは止めだ。しばらくすれば魔王軍の隊長たちが帰ってくる。決着はそれまでにつけなければならない」
「ぐっ……!」
髪を引っ張られながら、イスベルは上階へと連れていかれる。
それに続き、ヴァイオレットとオレンジもリュークの背中についていく。
「ここからは、堂々とした侵略行為を見せてやろう」