いとも簡単な結末
「あの娘は大丈夫かのう」
「大丈夫さ。レオナは強い。いつでも奥の手を隠してるし、全盛期の俺でも相手にしたくないくらいだからな」
「それは頼もしいことだ」
俺たちは階段を振り返らずに駆け上っていく。
すでに下から戦闘の音が聞こえてくることから、かなり激しくぶつかり合っていることが伺えた。
「それにしても、この階段はずいぶん長いな」
「本来何フロア分もある階段じゃからな。守りに入れる隊長格の数だけ階層があるんじゃが、それが今は吹き抜け状態じゃ」
「……気が遠くなるな」
「そういうな。もうすぐ階段を上りきるはずじゃ」
「この先はもう魔王の間なのか?」
「いや、ここを突破してきた敵を迎撃する最後の砦として、戦闘に適した長い廊下がある。お主も一度は通ったじゃろ」
「あれか」
ここ一年以内の記憶なのに、これだけ形状変化した内装のせいで印象が薄かった。
確かこの先にいた最後の門番は、三番隊隊長だったような気がする。
「ほれ、もうすぐ廊下じゃ!」
「っ!」
駆け上がった先。
最後の段差を越えた瞬間に、俺は背筋に寒気が走るほどの魔力を感じた。
そう、これは下のフロアでもずっと感じていたもの。
「あら、ようやく来ましたわね。侵入者ども」
「うへー、待ちくたびれちゃったよ」
「あまりだらしない格好をしないの! これから彼らをおもてなししなければならないのですわよ⁉ 聞いてまして! オレンジ!」
「もー、うるさいなぁヴァイオレットは。分かってるよ、ロイ様の命令だし」
「分かっているのであれば構いませんわ」
紫色のローブの女と、オレンジ色のローブの少年。
強大な魔力の正体はこの二人で間違いない。
虹の協会、やはりかかわってきたか。
「貴様ら……何者じゃ」
「私たちはリューク・ロイ様に付き従う色の七賢者が一人、ヴァイオレットと申します」
「同じくー、オレンジだよ」
「人間側の刺客か……厄介じゃな」
二人の魔力量は、今まで出会った色の七賢者とやらとは比較にならないほどに膨大であった。
今の俺や魔王の心臓を持っていない状態のイスベルでは、勝てるかどうかすら怪しい。
「ギダラ、ここは何とか協力して――」
「いや、お主は先に行け。ここは儂が受け持とう」
「え、いや……あんた、連中の力が分からないわけじゃないだろ?」
いくら魔術を極めたギダラであっても、その言葉がどれだけ苦しいことをいっているか理解しているはずだ。
協力して戦って五分五分の戦闘なのに、一人で戦えば逃げ切れるかどうかすらも怪しい。
「何を言っとるんじゃお主は。この上にはもっと危険な輩がおるんじゃぞ? ここを二人で切り抜けたところで、そやつらにはまず勝てん。蹂躙されるのがオチじゃ」
「それでも――」
「忘れるでない。儂らの一番の目的は、イスベルの奪還じゃ。時間稼ぎさえできれば良い。こいつらの登場は予想外なのだから、臨機応変に対処せねばな」
そう言いながら、ギダラは俺の前へ出る。
「あら、老人一人で私たちを相手するの?」
「若いのが相手できずに悪いのう。じゃが、まだまだ若いのには負ける気せんよ」
「頑張りますわね。でも、ロイ様から誰も通すなといわれてますの」
ヴァイオレットとオレンジが戦闘態勢に入る。
とぼけた表情からは想像もできないほどの威圧感が襲ってきて、俺の足を一瞬だけ竦ませた。
「勇者よ、儂が一時だけ連中の動きを止める」
「っ!」
「その隙に駆け抜けろ。お主の全力なら、それだけの時間で十分じゃろ」
「……止めても無駄みたいだな」
「当たり前じゃ。それに、儂だって逃げる手の一つくらいは考えておるよ」
「分かった――――任せたぞ」
俺は足に魔力を通すようにして、強化を施す。
いつもより多く魔力を使ってしまっても、この際仕方がない。
ここを駆け抜けることが第一だ。
「すまぬが、こちらにも目的がある。通させてもらうぞ! 空間固定!」
「むっ!」
ヴァイオレットとオレンジの体の回りを、まるでガラスのような板が囲む。
瞬く間に長方形の箱となったその檻は、ほんの数秒にも満たない間ではあるものの、二人の動きを完全といっていいほどに阻害した。
「この程度で私たちの動きを止めたつもりですか? こんなもの、少し力を込めれば――」
「こんなもので止められたなどと思っておらんよ。じゃが、一瞬あれば十分じゃ」
「チッ」
「行け! 勇者よ!」
ヴァイオレットが舌打ちした瞬間には、俺は床を蹴っていた。
床が爆ぜ、俺は強烈な推進力を得て廊下の先にある扉へと向かう。
ギダラのおかげで、俺は誰にも止められることなく扉の向こうへと転がり込んだ。
♦
「……突破したか」
「あ~あ、やられたねぇ」
「はぁ……仕方ありませんわ」
廊下に残ったギダラ、そしてヴァイオレットとオレンジの間には、常人では呼吸することが困難になりそうなほどの緊張感が流れていた。
「あとでロイ様に叱られてしまうかも」
「やだなぁ。ヴァイオレットと違って僕は怒られるの嫌いだし」
「私だって叱られることが好きなわけではないですわ! ただ、ロイ様の底冷えするような冷たい声に興奮するだけよ」
「へ~ん~た~い」
「あのお爺様より先に、あなたから始末してあげましょうか?」
「冗談だって~」
へらへらと笑うオレンジに対し、ヴァイオレットはため息をつく。
そんな様子を見て、ギダラは冷や汗を一筋流した。
(こやつら……これだけふざけておっても隙がないのう)
ギダラの長年の経験が、どこから攻撃したとしても手痛い反撃を受けるだろうと訴えていた。
全盛期のギダラであれば二人を相手にしたところで上手く立ち回れただろうが、今の彼ではそれも難しい。
損傷の激しい魔力回路。
ずいぶんと減ってしまった総魔力量。
リスクの方が高くなってしまった魔術たち。
もはや人間並みへと衰えてしまった身体能力。
これでは勝てる戦いも勝てない。
(――やるしかないのう。やつに逃げる手があるとまでいってしまったからには!)
ギダラは持ち前の杖を構えなおし、二人を見据える。
彼の数百年の人生の中、負け戦を乗り越えたことなどそう珍しいことではない。
「あら、やる気ですわね」
「はぁ、めんどうくさいね」
「そう思うならさっさと終わらせましょう。あの勇者がいないのであれば、この戦いも不毛ですわ」
「そっか。じゃあ殺そう」
「ええ、そうしましょう」
――ギダラは、決して油断していたわけではない。
神経を研ぎ澄ませ、寿命がさらに削れてしまいそうなほど集中していても、彼の目では二人の動きをとらえることができなかった。
「あなた一人を殺すことなど、簡単なことなのですから」
「っ!」
後ろから声がするまで、彼は気づくことすらできなかった。
反射的に振り返ったギダラは、自分の胸を貫くヴァイオレットの腕を呆然と眺める。
「ほら、簡単でしょう?」
ヴァイオレットの腕が引き抜かれる。
急速に失われていく自分の熱を感じながら、ギダラはゆっくりと床に伏した。