再挑戦する勇者
「ごほっ……」
俺は自分の胸に深々と刺さったセイヴァースを眺めた。
痛みというよりは、ただただ熱い。
次に抑えきれない吐き気に襲われ、口から大量の血液を吐き出した。
「勇者という立場を手放した時点で、君はもう僕には勝てない」
リュークの腕に力がこもる。
このままセイヴァースを捻りあげられてしまえば、俺の受けるダメージはもはや取り返しのつかないものとなるだろう。
「アデル!」
レオナの叫びが聞こえた。
次の瞬間、彼女がリュークへと飛びかかる姿が視界の端に映る。
「チッ」
リュークは舌打ちとともに、俺からセイヴァースを抜く。
再度熱と吐き気が俺を襲った。
「吹き飛びな!」
セイヴァースでレオナの飛び蹴りを防いだリュークだったが、勢いに押され大きく後退を余儀なくされる。
朦朧とする意識の中でそれを眺めていた俺は、いつの間にか接近していたイレーラに抱えられる形で、戦線を離脱する。
「アデルさん! ギダラ様、何とかなりませんか⁉」
「こりゃ嫌な位置に受けてしまったのう……待っとれ!」
ギダラが俺の傷口に手を押し当てる。
すると空間がぶれるような形でぼやけ、傷口を覆った。
「傷口を空間魔術で押しとどめた! あとはポーションを口に流し込め!」
「はい!」
イレーラは懐から傷を治すポーションを取り出すと、俺の口から流し込む。
温度的なものとは違う温もりが体に染みわたり、胸元の傷の痛みを和らげてくれた。
「悪い……しくじった」
「今は喋らず回復に努めておれ。レオナ! 一度撤退するぞ!」
不意を上手く突く形で時間を稼いでいたレオナは、その言葉を聞いた瞬間には俺たちのところまで離脱していた。
顔には冷や汗が伝っており、どれほど意識を張り詰めていたかが分かる。
歴戦の冒険者ですらこの様子、リュークがどれほど腕を上げているかが益々浮彫となった。
「ちょこまかと動くことしか脳がないみたいだね!」
俺たちのいる場所へ、リュークが飛剣を放つ。
それを防いだのは、間に割り込んできたシルバーだった。
シルバーは自身の絶対防御を使用して、飛剣を受け止める。
相手が聖剣であろうが、彼の魔術は通用するらしい。
「……君、厄介だな」
「王だからな」
イレーラが俺を背負い、全力で広場からの離脱を図る。
それに続くようにして、ギダラとレオナ、そしてシルバーも退却を始めた。
「負け犬としては賢明な判断だな。アデル! 僕らは魔王城で待つ。君に抗う気がまだ残っているなら、いつでも歓迎しよう。だが、この女の処刑は明日だ。そのことをよく覚えておくがいい!」
もはや不快とすら感じるリュークの声が、俺の耳を打った。
薄れゆく意識の中、周りで仲間が兵士たちの壁を再び切り開くために戦っている音がする。
自分も加勢しなければと動こうとするが、指先すら自由が効かない。
必死に俺を呼ぶエクスダークの声を聞きながら、俺は完全に意識を失った。
♦
「……逃がしてよかったのですか?」
「うん?」
広場に残ったサドールが、リュークに対して問いかける。
リュークはその問を鼻で笑い飛ばし、口を開いた。
「本当はここで全員始末しようと思っていたんだけどね。でも、アデルがいるなら話は別だ。僕は彼に対していい感情がなくてね。彼には完膚なきまで絶望してほしいんだ」
リュークの口角がゆっくりと吊り上がる。
それは魔の者であるサドールすらも恐怖するような、冷徹な笑み。
純粋な悪意とも呼べる感情を、サドールは感じ取っていた。
「そのためにはこの女が必要だ。まずはアデルが希望を持って僕の前に戻ってきた瞬間に、目の前で魔王を殺す。仲間も、ひとりずつ惨たらしく殺す。そしてひとりになったアデルを、最後にじわじわと殺すんだ」
「……まあ、計画に支障がないのであれば構いませんけど」
サドールがそう口にした瞬間、その首に聖剣セイヴァースが添えられた。
誰もリュークの動きを目でとらえることはできず、サドールの頬を冷や汗が伝う。
「君は黙って従っていればいいんだ。僕の計画に疑問を抱く仲間は必要ない」
「わ、分かりました……」
セイヴァースが首から退けられた瞬間、サドールは息を吐いた。
リュークはセイヴァースをしまい、広場へと背を向ける。
「さあ、戻ろうじゃないか! 僕らの城にさ」
♦
「……ん」
俺は頬に落ちる水滴の感触で、目を覚ました。
目を開けて辺りを見渡すと、ここがどこかの路地裏であることが分かる。
「起きたのう。気分はどうじゃ?」
「ギダラ……そうか、俺負けたんだっけ」
体を起こすと、胸元に激痛が走った。
胸元にはひとつの傷跡がある。
これがリュークに貫かれた跡らしい。
「ポーションで血は止まっていますが、内部のダメージはまだ回復しきっていません。すぐに動くのは控えたほうがいいかと」
「……分かった。ひとまず、助かったよ」
そうみんなに言うが、誰の表情も晴れないことに気づく。
深刻な表情の理由は当然理解しているが、この空気は何とも居心地が悪い。
「――――罠だぞ」
「っ」
シルバーの声に、思わず言葉を詰まらせた。
「明らかにあの男はお前を待っている。一度負けた相手だ、もう一度戦えば殺される。分かっているのだろうな」
「……」
胸を貫かれたときの、命を失う恐怖。
それは決して拭えないものとして俺の中に残ってしまった。
けど、それで終わってしまえば、俺はとっくの昔に死んでいた。
「行くよ。イスベルを助ける」
「……ならば付き合おう。家臣の問題は、私の問題だ」
「シルバー……」
シルバーは寄りかかっていた壁から離れ、俺の正面に立つ。
それに続くようにして、今度はレオナが声を上げた。
「ならあたしも付き合わなくっちゃね。アデルの問題はあたしの問題さ!」
「レオナまで……」
「あたしはあんたの強さに惚れてると同時に、生き様も好ましく思ってるんだ。良くも悪くも偽れないくらいに真っ直ぐて……支えてやりたいんだよ」
そう言って、レオナは満面の笑みを浮かべた。
こんなことを言われたのは、初めてかもしれない。
そうか、俺には仲間と呼べる仲間がいなかったんだ。
一緒に魔王と戦った三人も、俺の勇者の肩書についてきただけ。
言い表せなかった孤独感は、そこにあったんだ。
「二人とも……助かる。ありがとう」
「ふん」
「お安い御用さ。絶対、生きて帰るからね。あの子も連れて!」
「ああ、その通りだ」
この二人なら、俺は心の底から信頼できる。
そう確信できた。
「ごほんっ。取り込み中悪いが、儂らを忘れておらんか?」
「私たちはアデルさんの真の仲間とはなれないかもしれませんが……目的は同じです」
「あやつらの好きにさせるわけにはいかぬからのう。最後まで協力させてもらうぞい」
二人の言葉に、安心感は膨れ上がる。
「――分かった。よし、行くぞ」
期限は一日。
俺たちはイスベルを奪還し国を取り戻すため、準備を進めることにした。




