煩悩を抱く勇者
約束通り、俺は夕食を作り上げた。
いつもより少しだけまともな物が出来た気がする。
「う、ウマそうだな……」
「味見も済ませてるし、不味くはないはずだぞ」
「匂いから分かる……これは美味い料理だ」
俺がテーブルの上に置いたのは、牛肉の赤身のステーキに、もらったニンニクとトマトをベースにしたソースをたっぷりとかけた料理だった。
付け合せにじゃがいもを蒸かしたものと、人参が乗せてある。
久々に本格的な料理を作ったが、悪くない出来だ。
我ながら、食欲がそそられる。
「いただきます」
「む? 手を合わせてどうしたんだ?」
「一種の儀式だ。食べることは命をもらうってことだから、感謝を込めて手を合わせる……だから、いただきます」
「魔族には無い考え方だな。食われる者は敗者で、食う者は勝者。勝者は敗者の肉を食らう。それが当然のことだったから……」
「種族が違えば考え方も違う、そういうものだろう。無理に合わせる必要はないからな?」
「いや――」
イスベルは手を合わせ、一言「いただきます」とつぶやいた。
「私はその考え方が嫌いではない。感謝をしていただくとしよう」
「……そうか」
俺たちは揃って食事を始めた。
ガーリックトマトソースがかかったステーキは、極上の一品となっていた。
高貴さなどは一切感じず、むしろ野蛮な味付けであることは分かっていたが、この味が空腹の自分には合っている。
イスベルもまるで子供のように肉にがっついていた。
これだけ熱心に食べられていると、作った甲斐もある。
俺は忘れないうちに、用意していた柔らかい白パンを持ってきた。
肉を食べ、パンを齧る。
これまた空腹にはたまらない衝撃が襲ってきた。
イスベルにもパンを渡すと、同じようにして食べ始める。
「っ! うまい!」
お気に召したようだ。
これはこれで食が進んでしまい、気づけば皿の上の物を平らげてしまっていた。
イスベルの皿の上も、同じ状況である。
最後に皿に残ったソースを、パンの欠片で集めて口に運んだ。
イスベルも見様見真似で口に入れる。
「――――うまかった」
最後の最後まで食事を楽しみ切ったイスベルは、満足そうに、そして少し寂しそうにつぶやいた。
「お粗末様。風呂沸かしてやるから、先入ってこいよ」
「風呂? 風呂があるのか!」
「まあ、簡易的な物だけどな。一人用だし」
「十分だ!」
イスベルは食事の時と同じように、子供のようにはしゃいでいる。
この様子だと、魔王城にも風呂はあったんだろうな。
俺は一度家から出て、外に備え付けられた浴室へと向かう。
四方は壁に囲まれているが天井がない浴室の中には、木で作られた桶と、木製で長方形の浴槽が置かれていた。
「水の創造」
俺は浴槽に手をかざし、魔術を発動させるためのキーワードを口にする。
超常現象を起こす魔術は、人が内包している魔力と、特定のキーワードによって効力を発揮するのだ。
今俺が使った魔術は、綺麗な水をその場に創造する水の創造。
この魔術さえあれば、旅でも水に困らないという便利な魔術である。
「だいたい半分くらいまで水を溜めて……火の種」
続いて、小さな火種を生み出す魔術を使用する。
これを、半分ほどまで溜めた浴槽の水に落とした。
すると水がジュワっという蒸発する音とともに、グツグツと沸騰し始める。
「あとはもう一回水の創造で」
最後にもう一度水の創造を使って、温度を調節する。
イスベルが身体を流すまでの時間も考えて、適温より少し高い温度にしておけば間違いはないだろう。
そろそろイスベルを呼んでやろうか――。
「おお! 思っていたよりしっかりした造りではないか!」
「あ、ちょうど今呼びに行こうと……」
「む? どうした?」
イスベルが浴室に入ってきた。
今から呼びに行くつもりだったのだから、それは構わない。
問題なのは、彼女の格好である。
全裸だ。
何も着ていない。
服を張り裂けんばかりに押し上げていた豊満な胸と、形の良い尻がすべて見えている。
破壊力が高すぎだ。
正直、女に耐性がない俺には刺激が強いにもほどがある。
勇者は女に囲まれると思われがちだが、正体をほとんど明かさず、さらに戦いしかない日々を過ごしていれば経験なんぞする暇がない。
「は、恥ずかしくないのかお前!」
「風呂に入るのだから、服を着ているわけにはいかぬだろう?」
「ぐっ……」
正論だった。
しかし違う、そうではない。
「か、仮にも俺だって男なんだぞ……見られたら恥ずかしいとは思わないのかよ」
「ふむ。だが見られても減るものではないし、見知らぬ男からならともかく、貴様とは殺し合った仲でもある。そこまで気にすることはないぞ?」
そう言いながら、惜しげなく身体を見せびらかすイスベル。
これ以上はまずい。
何がまずいとは言わないが、まずい。
「っ……俺は家の中にいるから、困ったことがあれば声かけてくれ」
長居は無用だ。
さっさと離れて心を落ち着かせよう。
「ま、待ってくれ!」
急いで浴室を出ようとする俺の腕を、イスベルが掴んでくる。
「な、何だ?」
「か……身体を洗うのを手伝ってほしいのだが」
「は?」
◆
「ほんとに行くぞ……?」
「うむ、頼んだ」
俺は上半身だけ裸になり、イスベルの後ろで膝を立てていた。
手には石鹸によって泡まみれになった布を握っている。
「ほんとにお前自分で身体洗ったことないのか?」
「う、うむ……ずっと部下やメイドが洗ってくれていたからな……」
勇者と違い、魔王は軍を動かす者だった。
そんな立場のせいで、身の回りの世話はすべて部下がしてしまっていたのだろう。
そのつけが、まさかここに回ってくるとは……。
身体の洗い方が分からないやつなんて、この時代にいたんだな。
「今日は洗ってやるけど、これからは自分でやれよ?」
「分かっている! お、男に身体を触られるのは……私だって恥ずかしい」
顔を赤くして膝に埋めるイスベル。
参った、普通の女みたいな反応をされると、俺もどうしていいか分からない。
とりあえず早く終わらせてしまおう。
「洗うぞ」
「……っ」
泡のついた布で、イスベルの背中を撫でる。
「んっ」
「痛かったか?」
「いや……くすぐったい。もう少し強く頼む」
「分かった」
あまりにも肌がきめ細やかく、それを傷つけないために力を抜きすぎたようだ。
これ以上悩ましい声を上げられても困るため、今度は少し強めに背中をこする。
「んっ……ふぅ。ちょうどいいぞ」
「そ、そうか」
いい力加減を見つけられたようだ。
イスベルの反応がいいおかげで、徐々にこの作業も楽しくなってきた。
だが長いことしていると俺の理性の方が心配になってくる。
キリの良い所で退散しなければ。
「もういいだろ。さすがに前は自分でやってくれ」
「えっ、あっ……そうだね。前はまずいよね」
今更前を洗うという意味に気づいたらしい。
照れて素の口調に戻っている。
「今の俺の力加減で泡のついていないところを擦るんだ」
「わ、分かった。やってみる」
布をイスベルに渡し、俺は今度こそ浴室から出る。
早歩きで家に戻り、家の中の柱に額を叩きつけた。
木の軋む音とともに、全体が少し揺れる。
外でイスベルが慌てている声が聞こえるが、気にしていられない。
今はこの煩悩を払うことに集中させてくれ。
「こうなったら……大量に稼いで、さっさと出て行ってもらうしかないな」
俺の煩悩が爆発してしまう前に、イスベルと離れなければならない。
ギルドに連れて行くのは乗り気じゃなかったが、この際幸運だと思おう。
明日は荒稼ぎしてやるぞ。