剣の副隊長
「っと。さすがに不安定ですね」
イレーラが転移した場所は、巨大な竜の上だった。
竜というのは、本来伝説の魔物である。
めったに姿を現すことはなく、秘境などに生息していると言われており、まれに現れるときは人々の町を一つは滅ぼすという逸話があった。
その逸話はあながち間違いではなく、実際に竜によって町が滅ぼされた結果、Aランク冒険者に討伐以来が来ることもある。
「しかし――硬いですね」
足裏でコツコツと竜の背中を蹴るイレーラは、眉間にシワを寄せながら言う。
竜のウロコは、防具の素材として最高級の部類にされるくらいには強度に長けており、さらに魔術への耐性も高い。
ほどほどの剣では傷一つつかず、生半可な魔術では怯みもしない。
故に、竜のことを最上種と呼ぶことがある。
「リュウリンマルの初戦の相手として、不足はありません」
イレーラは新しい自分の剣、リュウリンマルを抜き放つと、足元へと突きつける。
その瞬間、大きく竜が身を捩り、空中で暴れ回った。
「なっ」
竜の咆哮が、空へ響き渡る。
そうしって体を二転三転と捩るせいで、当然のことながら、イレーラの足場はなくなった。
(敵だと判断してくれましたか……)
真っ直ぐ海へと落下していくイレーラは、冷静に竜の行動を分析していた。
このままでは海に落ちると思われたそのとき、彼女は空中で身を翻すと、そのまま空中に着地する。
「空歩――――魔力の消費が激しくて普段は使えませんが、今はそれどころではないですからね」
空歩とは、エアウォークと呼ばれる風属性魔術の一種だ。
足元の空気を固め、そこに乗る。
常に足の裏に気を使わねばならないし、常時魔力を使い続けなければならない。
それがコストとして大きいため、魔術主体で戦う者の中に使用者は極端に少なかった。
イレーラはあくまで剣技主体なため、空歩に回す魔力に余裕があるだけである。
『ガァァァァァァ!』
竜の雄叫びが空に響く。
真下にいるイレーラを睨みつけた竜は、その顔自体を彼女に向けた。
「……来い」
牙を顕にして、竜はイレーラに向けて突進してくる。
衝突の直前に顎の下に潜り込んだイレーラは、下から竜を受け流すべく力を入れた。
しかし――。
「っ! 重すぎる……」
受け流そうとするが、質量がそのまま威力に直結するように、当然竜の突進がひと一人に何とかできるものではない。
納刀したままであったことがまだ救いであったが、イレーラの体は結局受け流しきれず、空中で吹き飛ばされた。
「空歩ッ!」
宙を舞ったイレーラは再び空歩を使用し、足場を作る。
海面スレスレで身を翻した竜は、そのままイレーラと同じ高さまで浮上した。
竜にとって人間も魔族も等しく下等種族である。
その下等種族に自分の攻撃を受け流されて、頭にきたのだろう。
怒りの形相で、イレーラに明確な殺意を向けていた。
「竜と対峙したのは初めてですが……これはとんでもない迫力ですね」
イレーラは恐怖で鳥肌が立った腕を押さえつけ、目をそらさずに負けじと竜を睨み返す。
「行きますよ、リュウリンマル」
空中を蹴ったイレーラは、真っ直ぐ竜へと飛びかかった。
まず狙うのは、目。
視界さえ潰すことができれば、イレーラにとってはただの的となる。
それが簡単にできれば苦労はしないのだが――。
「はぁぁぁ!」
覇気を含んだ雄叫びを上げながら、イレーラは竜へと飛びかかっていく。
そんな彼女を迎撃するために、竜はその豪腕を振るった。
(大丈夫。一撃の威力は大きいけど、かわせないわけじゃ――)
イレーラは空歩を連続で使用し、空中を跳ねる。
そうすることで、軌道上から逸れることに成功した。
しかし、竜の一撃はそれだけでは終わらない。
「きゃっ!」
巻き起こったのは、すべてを吹き飛ばしてしまいそうなほどの突風。
足場を作っているだけのイレーラは、たやすく吹き飛ばされてしまう。
「鉤爪を振っただけでこれですか!」
身を捻って体勢を整えることに成功したイレーラは、何とか空歩を使用し着地することができた。
(あまり長くは戦ってられませんね……)
イレーラの頬を、冷や汗が伝う。
一撃でも受ければ木っ端微塵にされてしまう状況であり、なおかつ不安定な足場で自慢の鍛え上げた体幹も役に立たない。
さらには落ちないために空歩の魔術を使い続けなければならない。
そんな状況が、彼女の体力をいつもより多く消費させていた。
「まずは刃を届かせなければ……」
イレーラが竜へ目を向けると、竜はあざ笑うかのように頭上を飛び回っていた。
そして再度イレーラに顔を向けると、その口を開く。
魔力が口を中心に集まっていき、膨大なエネルギーへと変換される。
魔物のみが使用できる技、ブレスだ。
「ここでブレスですかっ」
ブレスは、ランクの高い魔物の口から放たれる魔力を原材料にした光線だ。
魔物によっては大地を割り、巨大な船を一撃で吹き飛ばす。
この世界でもっとも強力な兵器といっても過言ではないもの、それがブレスだ。
実は、同時刻に戦っているレオナの相手である亀も、甲羅から湧き出させる形でブレスを使用している。
魔物によって放ち方はそれぞれなのだ。
(これじゃちっとも近づけない!)
竜は一度体を反らしたあと、頭を突き出す勢いも乗せてブレスを放った。
真っ直ぐイレーラに向かってくるブレスだが、彼女はそれを空歩を利用してかわす。
確かに桁違いの威力があるブレスだが、基本的に真っ直ぐにしか飛ばない。
これほどまで巨大な竜であるならば、予備動作から見切ることも容易である。
ただ、その威力は見た目に違わず、強大であった。
「……洒落になりませんね」
ブレスが着弾した部分の海面は、一瞬にして蒸発していた。
湯気が立ち上り、穴の空いた部分には海水が流れ込むことで巨大な渦ができている。
あれがイレーラに命中していれば、瞬時に蒸発させられていただろう。
『コオォォォ……』
「っ! もう一度やる気ですか」
竜は今一度ブレスを放とうと、口に魔力を溜め始める。
そして、放つ予備動作として再び体を反らした。
(好機!)
それは同時に、イレーナにとっても攻撃の機会につながる。
空歩で足場を蹴り、一気に肉薄した。
しかし刃が届く間合いに入る前に、竜のブレスが放たれる。
「魔流剣術・斬の段――」
『ガァ!』
頭を突き出す形で、ブレスが放たれた。
イレーラはそれを最低限の動きでかわし、ブレスに沿うように真っ直ぐ竜の頭へと飛び上がっていく。
ブレスを放っている間の竜は、彼女の動きに対応することができない。
「――昇竜」
竜の頭とすれ違いざまに、イレーラは剣を振るう。
刃はウロコを切り裂き、その目に一筋の切れ込みを入れた。
『ガァァァァッァアァァァ!』
「なんだ、思いの外斬れますね……いや、リュウリンマルが優れているだけか」
片目を失った竜は、怒り狂いイレーラに向けて鉤爪を放つ。
しかし、満足に狙いも定められない攻撃では彼女の技の前では無力だ。
「魔流剣術・受け身の段――水竜」
彼女の体が揺らめいたかと思えば、川の中に腕を入れたときに水が避けていくように、竜の腕がすり抜ける。
自身の体から力を抜き、まるで液体のようにあらゆる攻撃を流す技、それが魔流剣術・受け身の段『水竜』だ。
本来、魔流剣術とは『竜』を元に作られた剣術である。
数百年も昔の話、伝説といわれる剣豪が竜の動きを参考に作り上げたといわれている。
それが今に伝わり、魔族の剣士たちにとっての主流剣術となったのだ。
「母なる竜相手にこの剣を振れるとは……やはり、相手にとって不足なし!」
鉤爪が振られた際の風圧で、再び空へと舞い上げられたイレーラは、空歩を使用し天井を作る。
イレーラは体を反転させてその天井に足をつき、脚力に重力を加算する形で竜へと接近した。
「魔流剣術奥義――」
竜が鉤爪を振ろうとするが、もう遅い。
「竜星!」
まるで流星のような速度で竜へと肉薄したイレーラは、速度と体重を乗せた一撃を竜に叩きつける。
リュウリンマルはその刀身を怪しく光らせながら、竜のウロコをたやすく斬り裂いた。
重要な血管を斬り裂かれた竜は、大量の血液を撒き散らしながら海面へと落ちていく。
「少しは自慢できますかね、竜を斬った女として」
空歩で空中に着地したイレーラは、そうして落下していく竜を見送るのだった。