命を燃やす獣王
「よーし! ついたね!」
レオナが転移した場所は、巨大な亀の甲羅の上だった。
苔の生えた甲羅は少々滑りやすいが、いざとなったら手をついてでも戦えるレオナには関係ない。
「さて、あんたには恨みがないが、上陸させるわけにはいかないんだ。ちょっくら、倒させてもらうよ!」
亀は鈍重な動きではあるものの、着実に港町へと進んでいる。
その目には明らかな敵意が宿っており、このまま港町に上陸してしまえば、多くの人間が犠牲になることは間違いない。
それを止めるため、レオナは足元に向けて拳を放った。
「っ! 割ってやりたいとは言ったけど、やっぱり硬いねぇ……」
試しに振り下ろした拳は、亀の背中に傷一つ負わせることができなかった。
そして、この巨大な亀は列記とした魔物。
『人』に攻撃されたことが分かれば、それなりの反撃を行ってくる。
突然、甲羅から光る玉が湧き出すように溢れだしたかと思えば、それはレオナの周囲を漂い始めた。
「何だい……これ」
レオナが警戒心むき出しでそれを睨んでいると、徐々に光球の光が強まっていく。
(まずいっ!)
嫌な予感を覚えたレオナがとっさに回避行動を取ると、次の瞬間にはすべての光球の光が限界に達し、同時にすべてが爆発した。
巻き上がる煙の中から抜け出したレオナは、体勢を整えながら周囲を見渡す。
「こいつは厄介だね……」
甲羅の到るところから、光球はまたもや溢れ出していた。
それは無差別に宙を漂い、レオナの近くにあるものから順に爆発していく。
故に彼女は常に動き続けなければならず、少しずつ体力が削がれていくのだ。
さらに爆風を完全にかわしきれてはおらず、長引けば長引くほど火傷は増える。
一刻も早く亀を討伐できなければ、いずれレオナは力尽きてしまう。
「もう甲羅に拘ってる暇はないか!」
レオナは光球をかわしながら、頭部に向かって駆け出す。
「頭に拳をぶち当てれば、さすがに効くだろ!」
飛び上がったレオナは、真っ直ぐ亀の頭に降下しながら拳を振りかぶる。
鈍重な動きでは到底かわすことなど不可能な速度での攻撃は、確実に命中する――かと思われた。
しかし、レオナの一撃が命中することはなかった。
亀は手足や頭を甲羅の中にしまうことができる。
それは、この巨大な亀であっても例外ではない。
一瞬の内に甲羅の中に頭を引っ込めたことで、レオナの拳は当たらなかったのだ。
「うわっ!」
結果として、レオナは海へと放り出されることになる。
真っ直ぐ海へと落ちていくレオナは、焦った様子で手足をバタつかせながらも何かに気づいたように目を見開いた。
「こんな風には使ったことないけど、やってみる価値はあるさね!」
口を大きく開いて息を吸ったレオナは、大きく体を反らしたあと、それを吐き出して海面に叩きつける。
鼓膜が破られそうなほどの声とともに放たれたそれは、ただの空気ではなく、魔力によって固められた高圧のエネルギー弾だ。
獣人特有の技であり、彼らはこれを『獣砲』と呼ぶ。
獣砲が放たれると、その反動でレオナの体は少し浮かび上がった。
しかし、それでも甲羅の上には届かない。
「弾けろ……っ!」
ただ、それで終わらないのが獣王の一撃である。
海面に衝突した獣砲は、爆散した瞬間に衝撃波を発生させた。
それは海を弾き、同時にレオナの体にも影響を及ぼす。
猛烈な勢いで空へと舞い上げられたレオナは、遥か上空から亀を見下ろすことになった。
「あっちゃー……ちょっと飛びすぎたかな。でも、この高さなら!」
レオナの鼓動が周囲に聞こえるほど大きく脈動する。
「獣神の鼓動!」
獣人の中でも限られた者のみが使用できる、もっとも強力でありながらもっとも危険な技だ。
全身の血流の速度を引き上げ、筋力、速度、反射神経すべてを極限まで高める。
この状態では、獣王とまで呼ばれるレオナですら二分しか持たない。
「重力たす、私の腕力たす、獣神パワーだ!」
拳を握りしめたレオナは、真っ直ぐ降下しながら振りかぶる。
「獣神拳!」
そして、獣の神の拳が亀の甲羅に叩きつけられる。
衝撃と轟音が響き、海に衝撃が駆け抜けた。
「――嘘でしょ」
それでも、亀の甲羅にはヒビ一つ入っていなかった。
むしろ壊れたのはレオナの拳の方であり、皮膚が割けて血が流れ出している。
(チッ……骨にヒビが入っちまったよ)
自分がどう拳を痛めたかなど、レオナにはすぐ分かる。
しかし、それでも彼女には拳を振るう以外のことはできない。
「それが何だってんだい!」
もう一度同じ手で、獣神拳を放つ。
それでも、甲羅に傷一つくことはない。
何度やっても、その事実は変わらなかった。
「参ったね……」
レオナの手の出血は、さらに多くなっていた。
骨の状態も悪化したようで、手の甲が青く変色し始めている。
(あと殴れて一発……左手じゃ右手ほどの威力は出ないし――もう仕方ないか)
獣神の鼓動が効いている時間は、あと一分と少し。
それ以上の酷使は命に関わる。
とはいっても、その前に亀が港に上陸してしまうだろうが――。
「あぁもう! 仕方ないねぇ!」
レオナは再び上空へと飛び上がる。
爆発する光球が迫っていたというのもあるが、大部分の理由としてはもう一度高さを利用したいからだ。
(これを使うと当分は力が使えなくなるけど、もうそんなこと言ってられない)
遥か上空で、レオナの体から赤色のオーラが漏れ始める。
獣神の鼓動は収まり、レオナの表情は猛々しいものから穏やかなものへと変わった。
「――獣神の命炎」
彼女の周りで、赤色のオーラが揺らめいている。
それはまさしく、命の炎。
生命力を燃料とし、現在レオナの体の中には莫大な魔力が生産されている。
むしろ魔力があり余り、外へ漏れてしまっている状態だ。
「このモードだと、私でも十秒しか持たないからね。戯れもそこそこに、これで終わらせてもらうよ」
レオナの表情は、いつもの様子からは想像もできないほどに穏やかであった。
それが、命を燃やしている証拠である。
生と死の境目にいる彼女は、ある種の悟りの境地にいるのだ。
「獣神拳――」
レオナは空中を蹴って、一気に亀へと迫る。
彼女を圧倒的な強者と認めた魔物は、大量の光球を甲羅から溢れ出させた。
しかし、もう遅い。
「――命火」
小さな炎が灯った拳を、レオナは甲羅に向かって叩きつける。
ただの獣神拳とは桁外れの衝撃が、亀を伝って海面を爆ぜさせた。
甲羅は砕け散り、拳はその下の肉にめり込む。
肉の下の内蔵は破裂し、亀の体は深く深く陥没した。
海へ赤黒い液体が流れ出し、辺り一面を赤黒く変えた始めた頃、砕けた甲羅の上に腰掛けていたレオナが息を吐く。
「はぁ……ほんとにこれは使いたくないもんだね」
浮いている甲羅の上に体を投げ出したレオナは、目を閉じて寝息を立て始めた。
これが大陸亀を叩き割った女だと言っても、誰も信じないだろう。
分かる者にだけ分かればいいと、彼女は言うだろうが。