触られる勇者
「や、やっとついた……」
船を出て約半日ほど経って、俺は魔族大陸へとたどり着いた。
もはや深夜といってもいい時間帯、俺は港から大きくかけ離れた浜辺に足をつける。
本当はもっと早く到着するはずだったのだが、なぜか出発して数十分で魔術が解け、そこから泳ぐはめになったのだ。
もしかしたら、魔術師の魔力が切れかけてたのかもしれないし、術者から離れすぎては駄目な魔術だったのかもしれない。
もはや真意を探ることはできないが、大切なのは、俺が魔族大陸にたどり着けたことである。
『早く……我を拭いて手入れをしておくれ……錆びる』
「そんな柔な剣じゃないだろ……まあ、分かった。とりあえずは野宿するぞ」
エクスダークにそう返し、俺は浜辺に座り込む。
すごく疲れた。
波で随分流されたし、ここがどこかも分からない。
「どうするかな……」
「――どうしてこんなところにたどり着いてるんですか」
途方に暮れかけていると、俺の背中に声がかかった。
振り返ってみると、そこにはファントムの部下であるイレーラが立っている。
「迎えに来てくれたのか?」
「港で待っている予定だったんですけどね。あなた持つ魔石の反応がかなり離れた所まで移動していたので、それを追ってきました」
「そういえば、そんなもの渡されてたな」
俺はポケットを漁り、小さな魔石のかけらを取り出す。
これは魔石を一部削り落としたものらしく、元になった魔石に現在地を伝えてくれるんだそうだ。
ファントムから持たされたもので、最悪誰かが迎えに行くと言われていたが――まさか副隊長が来るとは思わなかった。
「イレーラがこうして迎えに来てくれたのはありがたいけど、戦力は大丈夫なのか?」
「今すぐ戦闘が起きるわけではありません。それに、基本的には魔王様とファントム様だけで十分です。そこにギダラ様もいらっしゃいますし」
「あの小難しそうな爺さんか……それなら俺もいらなかったんじゃないのか?」
「ええ、必要でないのが一番望ましいです」
「……その通りだな」
俺が協力しなければならない状況になんて、ならない方がいいに決まっているのだ。
イレーラの差し出してきた手を取り、俺は立ち上がる。
「なぜ船などではなく泳いできたのかは分かりませんが、お疲れでしょう。近くに簡易的な小屋がありますので、そこを利用しますよ」
「理由は間抜けすぎて話したくない。そんな小屋があるなら、ありがたく利用させてもらうよ」
体をほぐしながらイレーラとともに歩くと、しばらくして小さな小屋が見えてきた。
かなり古いようだが、頑丈な作りをしている。
寝床としては十分だ。
「今夜はここで一晩明かして、明日出発しましょう。いくらあなたでも、夜動くのは得策ではないでしょう?」
「ああ。それに今の体調だと、満足に戦える気がしない」
巨大タコとも戦っているしな。
「でしょうね。魔族大陸にも魔物はいますから……」
イレーラはそういいながら、小屋の扉を開ける。
どうやらそもそも野宿用に造られていたようで、中心には火が置けるようになっており、布が敷かれただけのベッドが四つは置かれていた。
「火を焚きますので、その濡れた服をまずは脱いでください」
「あ、ああ……」
何でもないことのようにいうが、脱ぐ方はそれなりに恥ずかしい。
種族が違うとはいえ、男と女であるというのに。
「ふぅ……」
渋々服を脱ぐと、水を吸って重くなっていた分、開放感が凄まじい。
その後ズボンも脱ぎ、下着姿になる。
上も下も、水を吸ってまるで重りのようだ。
とりあえずは乾きやすくするため、一つにまとめて絞る。
「……」
「……なんだ?」
そんな俺の様子を、イレーラが火を作りながら見つめていた。
背中を向けているとはいえ、これもこれで恥ずかしいのだが。
「いえ――いい体をしていますね」
「? あ、ありがとう?」
そう一言いった後に、イレーラは視線を逸らしてしまった。
突然どうしたというのだろうか。
「勇者というのも、大変なのですね」
「それは……まあ。あんたら強いしさ、死ぬ気で鍛えないと人間なんて相手にもならないだろ?」
「そうして、その体が出来上がったんですね」
「ああ。毎日命のやり取りをしてたら、自然にな」
今思えば、かなり無茶をしていた自覚はある。
勇者になったのも十五歳とかだし、そこから何度も死にそうな目にあって、今に至った。
明らかに正気ではなかった自覚は、少しだけある。
「あの……一つ頼んでもいいでしょうか」
「俺にできることなら別にいいけど……」
「ありがとうございます。それでは――体を触らせていただけないでしょうか」
「――へ?」
何の冗談かと、イレーラの目を見る。
……いや、これ冗談ではない。
この女、本気で言っているようだ。
「私、こう見えて男性の引き締まった筋肉が好きでして。アデルさんの体が大変魅力的に映ったため、ぜひ触らせていただけないかと」
「……いいけど」
「ありがとうございます。失礼します」
「躊躇がないな!?」
イレーラの手が、俺の胸板に振れた。
自分より少し高い体温が手のひらかた伝わってきて、妙な心地になる。
「ふむ」
「……っ」
これはいったいなんなのだろうか。
イレーラの手は少しずつ動いており、筋肉をなぞっている。
それがかなりくすぐったく、思わず体が跳ねてしまった。
「――むふ」
「おい、今変な声が漏れた気が」
「気の所為です。ありがとうございました。もう満足です」
「……」
一瞬崩れかけた表情が元に戻り、イレーラは俺に背を向けてベッドの方へと離れていく。
その際に、彼女の一つ縛りにした髪の毛が、まるで嬉しいときの犬の尻尾のように揺れていた。
やはり、人を見かけで判断してはいけないな。
「アデルさんの筋肉は素晴らしいですね。今までで一番好ましく思います」
「それはどうも。お気に召したなら何よりだ」
「また触らせてください」
「状況による」
俺はイレーラがつけてくれた火の近くに座り、濡れた服をはためかせる。
さっさと乾かさなければ、また辱めを受けてしまうかもしれない。
こんなことになるなら、魔法袋に他の衣服も入れてくるんだった。
事態を甘く見て、ほとんど置いてきてしまった自分を恨む。
「明日はまず港へ向かいましょう。この辺りからでは真っ直ぐ魔王城を目指せませんから」
「突然真面目な話に戻さないでくれ……ああ、分かったよ」
「ではお先に失礼します。おやすみなさい」
「ほんとに突拍子もないな!?」
これが、本当に俺と戦った女なのだろうか。
どこかでキャラクターが入れ替わっていないか?
しばらくしてベッドで寝息をたて始めたイレーラの背中を見つめながら、俺は服が乾くのを待つことになった。
『あの……そろそろ本当に拭いてくれんか』
――忘れていた。