帰還する魔王
「船で行けるのはここまでだ。ここからは海面を歩いていけ」
「分かった。ありがとう」
「気をつけるんだよ、アル。本当に今、人間と魔族の仲は極めて悪いからね」
「ああ、十分気をつける」
俺は二人に挨拶をした後、船から海面へと飛び降りた。
銀翼の騎士団の魔術師に再び水を弾く魔術をかけてもらったため、こうして海面に着地することが出来ている。
魔族大陸近郊であるこの辺りから走っていけば、魔術が解ける前に大陸には到着する予定だ。
――最悪の場合、魔術が解けても泳いで行けるだろうが。
「さて、行くか」
俺は船に背を向けて、走り出す。
急速に接近しても気づかれるだろうし、逆にちんたら走ってても見つかる可能性がある。
それなら中途半端な速度で安定を目指し、隠密度を上げたほうが無難だ。
そして手を抜いて走っているとはいえ、そこらの冒険者よりは速い自信はある。
こうして、俺はイスベルたちの待つ魔族大陸へと向かうのだった。
◆
「魔王様のご帰還だ! 敬意を示せ!」
「「「はっ!」」」
魔王イスベルが魔族大陸に足をつけると、出迎えの魔族たちが一斉に姿勢を正し、右胸に手のひらを添える。
魔族の基本的な敬礼の姿勢である。
「待っておったぞ、イスベル」
「ギダラ……すまなかった、留守にして」
「こうして帰ってきたんじゃ、これ以上文句は言うまい。しかし、ファントムから話は聞いておるな?」
「うむ。事態が回復すれば、正式に魔王の継承を許してくれるのだったな」
「その通り。お主にそんな交渉を持ちかけねばならんほど、今の我々は窮地に立たされている」
「……」
ギダラはイスベルの後ろにつき、その横にファントムが並ぶ形で、敬礼の姿勢の魔族たちによって出来た道を進んで行く。
そんな彼らの前に、失礼にも立ちはだかる男の姿があった。
「これはこれはイスベル様、お帰りなさいませ」
「サドール……ッ!」
流れるような金髪、そして不気味なまでに整った顔。
そしてすべてを小馬鹿にしたような薄ら笑みを浮かべている男、サドール・バラガンが、イスベルの前に立っていた。
「サドール! いくら隊長格であっても、魔王の行く手を阻むことは許されんぞ!」
「魔王の職務を放棄した魔族を魔王と呼び、今までと同じように敬うのもどうかと思いますがね。少なくとも私は、そう安々とイスベル様を王と認めるわけにはいきません」
「貴様――ッ!」
ギダラが飛び出そうとしたところを、イスベルが手で制す。
「よせ、ギダラ。こやつに構うことはない」
「おや、冷たいですね。我々は魔族として、魔王軍として尊重し合うべきでしょう?」
心にもないことを言うサドールに対し、ギダラの怒りは頂点に達しそうになっていた。
今まさに攻撃を仕掛けようとするギダラをよそに、イスベルは極めて冷静さを保ったまま、そっと制している腕と逆の腕をサドールに向ける。
「私が帰ってきたのは、再び魔王に返り咲くためではない」
「ふむ。ではなぜ帰還なされたのですか?」
「教えてやる――」
イスベルの手から、巨大な氷の塊が撃ち出された。
驚愕に目を見開いたサドールは、かわすこともできずそれを受け止めることになる。
「とっさに腕を挟み込んだか。やはり隊長になるだけのことはあるな」
イスベルは冷静に分析しながら、サドールにトドメをさすべく歩を進めようとする。
しかし、その一歩が踏み出された瞬間、魔族の列にいた二人の男女が剣を抜き、イスベルに向かって飛びかかる。
「させないよ」
二人の魔族の剣は、イスベルの首と胴体に当たる直線で止まる。
間に割り込んだファントムが、二人の心臓に手を添えることで抑止力となったのだ。
イスベルの命を奪おうとすれば、すかさずファントムが二人の命を奪うだろう。
逆も然り。
ファントムが二人の命を奪おうとすれば、二人は自分が犠牲になってでもイスベルを殺害するだろう。
「……そこまでだ、パレット、キャンパス」
倒れていたサドールが、ゆっくりと体を起こす。
彼に名前を呼ばれた二人の魔族は、剣を下ろしてゆっくりとイスベルから離れた。
二人がイスベルから離れたため、ファントムも構えを下ろすが、辺りは緊迫した雰囲気に包まれたままである。
「突然の攻撃とは、ひどいものですね。まあいいです。イスベル様も乱心なされるときはあるのでしょう。寛大な私はそれを許します」
「貴様に許してもらう必要などないのだが」
「そうですか。では個人的な貸しであると私は認識しておきましょう」
「……貴様が何を考えているのかは知らんが、私は貴様を自由にさせないために来た。もう好き勝手できると思わないことだ」
「肝に銘じておきます。それでは」
サドールはパレットと呼ばれた男と、キャンパスと呼ばれた女を連れて、この場を去っていく。
それを睨みつけていたイスベルは、三人の姿が見えなくなったところでようやく肩の力を抜いた。
「敵意丸出しだな」
「よもや人前でも強気な姿勢を見せるとは……本格的に敵対する気なんじゃろう」
「ギダラ、他の二番隊の連中は全員サドールに従っているのか?」
「うむ。二番隊全体がサドールの手駒じゃ。正面衝突するならば、戦争は避けられぬ」
「……そうか。ご苦労だったギダラ。貴様は少し休むといい、ひとまず目先のことは私がやる」
「いや、しかし――――分かった。少し休ませてもらうぞ」
反論しようとしたギダラであったが、イスベルの有無を言わせない視線に渋々引き下がる。
イスベルはひとつため息をつくと、自らの歩みを進め始めた。
その後ろをファントムが付き従う形でついていく。
「ファントム、貴様の方で現在の魔王親衛隊の構成は把握しているのか」
「ええ、ある程度ですけどねぇ。ひとまず一番隊は揃ってますよぉ。しかし三番隊から五番隊の隊長、副隊長はあなた様を探すため魔族大陸を出てます。数日後に帰還するでしょうねぇ」
「戦力は一番隊と三番隊から五番隊の兵士たちと、貴様らと――あとギダラか」
「老体にムチを打ちますねぇ。あと、勇者でしょう?」
「……」
その言葉を聞いたイスベルの表情が、少しだけ曇る。
「できることならば、アデルが来る前にこの事態を収束させたいものだ。私はもう、やつを戦わせたくない」
「やはり人間を魔族の争いに混ぜたくないんですかぁ?」
「違う。純粋に……アデルは戦いすぎた。どんなに優秀な人物でも、どんなに強靭な人物でも、その魂というのはすり減っていく。いつか、絶対に今までの無茶の精算が行われる……それが怖い」
アデルという男は、先代魔王のときから今に至るまで、常に戦い続けてきた男である。
若く未熟な体に無理を詰め込み、ようやく手に入れた勇者としての力。
人間には手に余る力を、完成しきっていない体で扱い続けていたのだ。
今でこそ使いこなしているとはいえ、いつかその代償を支払うときがやってくる。
イスベルが怖がっているのは、それであった。
「……イレーラを港で待たせていますので、連絡を入れておきましょう。少し遠回りをして勇者を連れ回すようにと」
「すまないが、頼む」
「いえいえ、私自身がサドールを目障りに思ってましてねぇ。だって敬語キャラがかぶっているんですもん。勇者に頼らず、魔族の力で退場させてあげましょうねぇ」
「完全に私情ではないか……まあ、頼もしいから構わんが」
二人は魔王城へと向かっていく。
サドールとの戦いは、そう遠くないことである。