壮絶な勇者
俺たちの体をコーティングしていた魔術が、薄れていく。
「時間だ。頼んだぞ」
「あいよ!」
魔術が切れる寸前、俺とレオナは海面を蹴って飛び上がる。
このまま海に落ちれば、あっという間に触手の餌食だ。
それを回避するためには、この作戦を成功させるしかない。
「獣神の鼓動!」
レオナの鼓動の音が、辺りに聞こえるほど大きくなる。
獣神の鼓動――確か、魔力を含んだ血液の排出量を上げることで、一時的に身体能力を超強化する技だったな。
「あんたまで吹き飛ばされるんじゃないよ!」
「ああ!」
レオナが拳を振り上げる。
この時にはすでに触手たちも動き始めていたが、もう間に合わない。
「獣神拳!」
極限まで強化されたレオナの拳が、海面と衝突する。
その瞬間、轟音とともに衝撃が走り、海面が弾け飛んだ。
レオナを中心に波が一気に広がり、海自体に巨大な穴が出来る。
発生した強い衝撃に触手たちも煽られ、俺たちに近づけない。
そして、水の中に隠れ住んでいた巨大なタコの体が、ついに露わになる。
「見えた!」
「チャンスは一回だからね!」
「分かってる――――ッ!」
俺は空中で、レオナの足に着地する。
姿を確認しただけでは終われない。
ここで決めなければならないのだ。
「ぶっ――飛べ!」
レオナは宙返りするような姿勢で、俺をタコめがけて蹴り飛ばす。
協力な推進力を得た俺は、一気にタコへと肉薄した。
『魔力も十分溜められた! 行けるぞ主!』
「うおぉぉぉ!」
準備の時間は十分にあった。
これだけの魔力ならば、切断出来るという確信が持てる。
「飛剣――壮・絶!」
今の俺が放つことが出来る最大級の飛剣だ。
タコが触手で自分を守ろうとするが、もう遅い。
真っ直ぐブレることなく飛んでいった飛剣は、タコの体に潜り込む。
そして、まるで透けているかのようにタコの体を通過した。
その途端タコの動きが止まり、力なく項垂れる。
血液とも墨とも分からない液体が滲み出し、海水を汚し始めた。
「いい切れ味だ」
『じゃろう? 主に刃応えを与えるなど、二流の剣がすることじゃからな』
「お前を拾って良かったよ」
『ふぇ!? そ、そうじゃろう、そうじゃろう……急に褒めないでくれぬか……少し困る』
「逆に、突然照れないでほしいんだけど……」
いつもの違う反応が返ってくると、こちらも反応に困る。
――いや、今そんなやり取りをしてる場合じゃないな。
「お前、海水大丈夫だっけ?」
『……あとでしっかりと手入れをしてくれれば、きっと大丈夫じゃ』
「分かった。ちゃんと手入れしてやるからな」
そんなやり取りを終えると、俺たちは戻ってきた海水に包まれた。
◆
「げほっ……はぁ、はぁ……」
「ふぅ、大丈夫かい? アル」
「ああ、大丈夫だ……」
俺は体を起こし、辺りを見渡す。
あれから船に引き上げられた俺たちは、海水で重くなった体を労るために、甲板に寝転んでいた。
タコの魔物は完全に討伐出来ており、今は銀翼の騎士団が後始末に回ってくれている。
「あんだけでかい魔物も初めてだねぇ。アルがいなかったらどうなってたか」
「俺もあそこまで体がでかい魔物は初めてだった。みんなのおかげだよ」
「そうかい。ま、役に立ったなら良かったよ!」
レオナは活発に笑って、俺の背中を叩く。
少したたら踏むことになったが、悪い気はしない。
俺はそのままの足で、船の甲板から海を見渡せる位置まで移動した。
「何であんなでかい魔物が現れたんだろうな……しかも突然」
「突然ではない」
「シルバー……」
海を見渡す俺とレオナの下に、シルバーが近寄ってきた。
シルバーは神妙な面持ちで、同じように海面に浮かび上がってきたタコの死骸を見下ろす。
「突然ではないって……どういう意味だい?」
「出発する前、ギルドからいくつか情報が舞い込んできた。前例がなく、明らかに大きさがおかしい魔物が全国で確認され始めたらしい――」
島かと勘違いするような亀。
街一つを隠してしまいそうな程の鳥。
鉤爪一振りで山を吹き飛ばす竜。
シルバーの口から語られたのは、そんな災害を軽々起こせるような魔物たちのことだった。
少なくとも、勇者時代でもそんな魔物たちのことは聞いたことがない。
「それぞれの街にいるランクの高いクランが対応しているそうだが、足止めが精一杯で解決には至っていないと聞いている。グリードタイガー、俺たちはこのままそれらの応援に行くことになるが、調子はどうだ?」
「やれやれ、連戦かい? ま、問題はないさね。獣神の鼓動もまだ使えるし、グリードタイガーは協力するよ」
「そうか、助かる。アルは約束通り魔族大陸へと送ろう。今回のクエストは貴様がいなければ達成出来なかっただろう」
感謝する――。
そう言って、シルバーは俺に一度会釈した。
面と向かって感謝を言われると思っていなかった俺は、驚いて少し表情をしかめてしまう。
「感謝なんて似合わないな。俺はあんたらに恩があるし、当然のことをしたまでだよ」
「ま、家臣が王を助けるのは当然だな」
「……それはそれで腹立つけど、一番シルバーらしくて安心した」
そんな会話をしていると、重い鎧を擦り合わせながら銀翼の騎士団のメンバーが近寄ってくる。
「シルバー様、魔物の素材の回収が終了しました」
「ご苦労、休んでよいぞ」
「はっ!」
そう言って、銀翼の騎士団の彼が下がる。
もう終わったのかと海面を再び見てみれば、そこには黒くなった海が広がっているのみであった。
「さすがにすべてを積むことは出来ないからな。触手やいくつかの臓器、それを積み込むよう命令した。素材自体は巨大なだけで、既存の魔物と同じ物のようだ。海の汚れは、いずれ海自体に存在する魔力によって浄化されるだろう。」
「そうか……なら安心だな」
「問題は、なぜこんな魔物が突然現れたのか――だが」
「突然変異で片付けたら、安直か?」
「その可能性がもっとも高いとは思っている。が……同時発生というのがきな臭い」
シルバーの感じていることは理解出来る。
これが突然変異なのであれば、あまりに出来すぎだろう。
巨大化した理由はどこかにある方が、まだ納得だ。
「何者か、はたまたどこかの組織か、これを仕組んだ存在がいるかもしれない。私たちはこの件が片付き次第、原因究明へと走るつもりだ」
「手伝った方がいいか?」
「魔族大陸でのすべきことが終われば、協力してもらおう。家臣が王に従うのは当然だからな」
「はいはい」
肩を竦めはしたが、正直、俺もこの件は気になっている。
こんな大きさの魔物が世界に蔓延るようになれば、あっという間に平和が脅かされてしまうからな。
解決出来ることなのであれば、解決したい。
勇者としてではなく、アデルの良心として。
「アルが手伝うならアタシだって手伝うさ! いいだろう!?」
「何を言っている? 貴様らは元々強制参加だ。Aランククランの責任を果たせ」
「それはそれで複雑だけどねぇ……まあ、アルがいるならいいか」
いいのかよ。
そう突っ込みを入れたかったが、その声は船の軋む音で遮られた。
どうやら再び動き出したようだ。
「このまま魔族大陸へ向かうが、気をつけろ。魔族どもも血気盛んだからな」
「ああ、忠告はしっかりと聞いておくよ」
ゆっくりと出発する船の上で、俺は進行方向にあるであろう魔族大陸を見据える。
イスベルたちがまだ問題に巻き込まれていないといいが――。