バレてた勇者
「さて、ここまで来れば彼らに邪魔されることもないでしょう」
アデルとイレーラの対峙している位置から少し離れた森の中。
イスベルはファントムを真剣な眼差しで睨みつけているが、彼の方は意にも介していない様子で笑みを浮かべている。
「そう怖い顔をされなくとも良いじゃないですか。私はあなたの部下ですよ?」
「……もう部下ではない。今すぐ立ち去るというのであれば、見逃そう」
「それは出来ません。私の任務はあなたを連れ戻すことですから」
その言葉を聞いたイスベルを中心に、辺りの温度が突然大きく下がる。
足元の雑草に霜が降りているのを見て、ファントムは感嘆の声を上げた。
「ほう、魔王の心臓抜きでこれほどまでの冷気を生み出せるとは……やはり魔術の練度だけを見れば、歴代の魔王様を上回っているようですね」
「もう一度だけ言う。立ち去れ」
「……それは出来ないと――」
気づくと、イスベルの目の前からファントムが消えていた。
次の瞬間、彼女の喉にピタリと鋭い何かが押し当てられる。
「――何度も言っているでしょう?」
「……幻覚か」
イスベルの首には、ナイフが添えられていた。
刃が少し皮膚を切ったのか、一筋の血液が首をつたい、服の中へと消える。
「ご名答。気づくのは遅かったですけどね」
「幻覚と喋らせておいて、静かに近づいてくるとは姑息なやつめ」
「これで私は勝ち上がってきたのですから、むしろ褒めていただきたいですね。何度もあなたの窮地を救った記憶もあるのですが、忘れてしまいました?」
「生憎、もう覚えていない」
そう発言を返したイスベルに対し、ファントムは軽快に笑う。
「あははっ、そうですか。まあいいでしょう。これからはもっとちゃんと覚えていていただかねばなりませんね。私としてはこのまま大人しくついてきていただけると助かるのですが……どうです、まだ抵抗しますか?」
「当たり前だ。この程度で私の命を握ったと思うな」
イスベルが後ろを向くようにして、ファントムを睨みつける。
すると同時に、突きつけられていたナイフが破砕音とともに砕け散った。
「なっ」
「アイスボム!」
イスベルが手をかざすと、辺りに突然冷気が広がった。
ファントムは体を揺らめかせこの場を離脱するが、イスベルの周りはあっという間に凍土と化す。
足を動かすたびに雑草が砕け、地面からは冷気が立ち込めていた。
「ふぅ、危ないですねぇ。危うく氷漬けでした」
ファントムは、イスベルから少し離れたところに姿を現した。
服装のあちこちが凍結してしまっているが、彼自身は無事なようである。
「逃げ足だけは速いやつめ」
イスベルは、凍りついてもろくなってしまったナイフを足で砕ききる。
「範囲攻撃はやはり厄介ですねぇ。私がどの位置にいても関係ない。それはそれで対策のしようはありますがね!」
ファントムは腕を大きく広げると、辺りに魔力を放出する。
その魔力を浴びた木々が、先程アデルを襲ったようにざわめき出し、枝を伸ばし始めた。
「ウッドサーカス――さあ、公演開始です」
木々は枝を伸ばすだけでは飽き足らず、地面を盛り上げながら立ち上がっていく。
根っこを足のように動かしながら、周囲の木々は真っ直ぐイスベルへと向かっていった。
「さあ魔王様! どう切り抜けますか!」
「――ふざけるのも大概にしろ」
木の化け物たちイスベルに攻撃する直前、すべての木が動きを止めた。
いつの間にかすべてが凍りついており、ピクリとも動かない。
イスベルが腕を一振りすると、周りを囲んでいた木々は粉々になり一面に転がる。
「いつまでこのような茶番を続ける気だ」
「ふむ、茶番ですか?」
「貴様の幻術はこんなものではない。いつまで遊んでいるのかと聞いている」
「……ノリが悪いですねぇ、魔王様は」
ファントムはやれやれといった様子で肩を竦めると、両手を上げる。
「参りました、降参です。これ以上戦闘を続行する気はありません」
「……」
イスベルは腕を下げ、辺りの凍結を解く。
周囲の気温が上がり始めた頃、ファントムは静かに口を開いた。
「――あなたを連れ戻せと言われたのは本当です。それが指令でした。しかし、本当の所は少し違います」
「……」
「最近、二番隊の動きがおかしいのです。一言で言えば、外部の勢力を取り込み始めている。それこそ、人間などを」
「人間を?」
ファントムは一つ頷くと、言葉を続ける。
「そのことから、我々は二番隊が戦力を集め、魔王城を乗っ取ろうとしているのではと危惧しましてねぇ。何かことが起きる前に、一度イスベル様には帰ってきていただきたかったのですよ」
「……二番隊。確かに連中は貴様より胡散臭かったが」
「手厳しですねぇ! ですが、その通りです。魔王城の現在の悩みは、連中が何をしでかすか分からないところにあります」
話を聞いたイスベルは、少し考え込んだ後、顔を上げて口を開く。
「それで、私に戻って何をしろと」
「魔王の心臓を持ち、我々とともに二番隊を取り締まっていただきたい。ギダラ様曰く、この問題さえなんとかしてくれるのであれば、正式に魔王を他の者に引き継がせる形で独立していいと言っています」
「……」
イスベルは再びうつむき、唇を噛む。
そうして、しばらくの沈黙が訪れた。
◆
「この辺りから魔力を感じるが……」
森の中を歩いていた俺は、二人の魔力を見つけそこへと向かっている最中だった。
近づくにつれ、二人が戦闘を行っていないことが分かったのだが……何をしているのだろうか。
「――おや、人間の男……いや、勇者アデル。そこにいるのでしょう?」
「っ!」
俺は一瞬体を跳ねさせ、ゆっくりと声の主、ファントムの元へ歩き出した。
木々に阻まれた視界が開けたと思えば、そこは小さな広場のような場所だ。
葉や枝が一面に散らばっており、少しだけ肌寒い。
イスベルの戦闘の跡だ。
戦ったという割には、二人が向かい合い話している姿が少し疑問ではあるが――。
「気づいていたのか」
「イレーラと戦っているときに感じた魔力の波動が、極めて勇者に近かったものですから」
「幻術使いは感知能力も高い。覚えておくよ」
どうやら敵意はなさそうだ。
俺は少し警戒しながらも、イスベルへと近づいていく。
「アデル……」
「どうした?」
イスベルは少々難しい顔で、俺を見つめてきた。
この様子だと、何か話し合いでも持ちかけられたようだな。
「私、一度魔王城へ戻ろうと思う」
「……そうか」
驚いていないといっては嘘になるが、思いの外衝撃は受けなかった。
なんとなく、そんな気がしていたからか。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「魔王親衛隊の中に、怪しい動きをしている連中がいるんだそうだ。その連中の一件を解決すれば、私は晴れて解放されるらしい」
「……なるほどな」
良い話ではある。
これさえこなせば、魔族の方の因縁は断ち切れるわけだ。
ファントムの態度を見る限り、初めからこの話を持ち出すつもりだったみたいだな。
「解放されれば、新しい魔王も決められる。さすれば、私はなんのしがらみもなくここで暮らしていけるはずだ……だから、一度戻る」
「――分かった。お前の考えには反対しない。イスベルの家の畑の手入れくらいはしておくよ」
「うむ、助かる」
そういって、イスベルは少しさみしげに笑った。
不安もあるのだろう。
俺には、無理して笑っているように見えた。
「……は? 勇者、何を言ってるのですか?」
「へ?」
「あなたも行くに決まってますよねぇ? この状況はあなたが生み出したものでもあるのですから」
――へ?