畑仕事が上手くなる魔王
「魔王様はまだ戻らぬのか!」
魔王城という名の魔族の根城に、初老の男の怒声が響く。
男は魔王が座っていた玉座をにらみつけ、怒りの形相で地団駄を踏んだ。
彼の名前はギダラ。
魔王の側近にして、何代もの王を支えてきた男である。
「まあまあ、ギダラ様。魔王様も年頃の女性ですし……」
「だからといってわがままを言う歳ではないだろうが! それもこんな時期に!」
ギダラを宥めに来た他の家臣たちを、彼自身が一喝する。
魔王が突然家出をしてから、早一カ月。
その間、ギダラにとって頭を抱えるような出来事が起きすぎた。
「人間側に妙な動きがあるというのに……指揮する者がいなくてどうするのだ。馬鹿者め……」
ギダラは立派に蓄えた髭をさすりながら、独り言のようにつぶやく。
「人間側の動きですか……?」
「うむ。魔族と人間、どちらかが滅ばない限り、戦いは終わらぬのかもしれないな」
天井を仰ぎ、ギダラは家臣を連れ王の部屋を後にする。
「何としても、魔王が不在などと人間たちに知られてはならぬ」
「分かっておりますが……勇者への対応はいかがすれば」
「魔王様との闘いで消耗しているはずだ。当分は襲撃してこないことを願うしかあるまい」
王の部屋の扉が閉まる。
勇者たちの襲撃によって所々壊れている廊下に、ギダラと家臣の足音が響きだした。
(せめて心臓を持っていけばいいものを……魔王城の維持のために余計な気を使いおってからに)
ギダラは廊下の壁を叩き、深い溜め息をついた。
魔王城はただの建造物ではなく、歴代の魔王によって構造や外見を変える。
それを可能としているのが、魔王の心臓と呼ばれる究極の魔石だ。
心臓は魔王城のコアとなり、城壁や内装の自動修復を行う。
コアがどこにあっても、壊れていない限りは魔王城は保たれるはずなのだが――。
(最悪の場合……他の者に心臓を譲るつもりじゃな。バカ娘め)
心臓を譲る。
それはつまり次の代の魔王に全権を委ねるということだ。
「させぬ……させぬぞぉぉぉ――ごほっがほっ!」
「ぎ、ギダラ様! 落ち着いてください!」
叫ぼうとしてむせてしまったギダラに、家臣が駆け寄る。
ギダラが落ち着きを取り戻すのは、数分後のことであった。
「……もう良い」
「え?」
「このままでは埒が明かぬ! 魔王親衛隊を派遣し、魔王様を探し出せ! 最悪力づくでも構わん。今の魔王様であれば、親衛隊でも打倒できるはずだ……」
「よ、よろしいのですか!?」
「今の我々には魔王イスベルという存在が必要なのだ。人間どもも慌ただしく動いているようだし、我々も動くとしたら今しかない。なんとしても探し出せ!」
「は、はい!」
ギダラの命令を受け、家臣が廊下を駆けていく。
残ったギダラは、憤慨した様子で拳を握りしめ、羽織っていたマントを翻した。
「イスベル……お主はすでに魔族の命を背負っておるのだ……もうワガママを許すことは出来ぬ」
◆
「――くしゅん!」
「どうした? 魔王でも風邪をひくのか?」
「そんなことはない! 私は生まれてこのかた病に侵されたことはないからな!」
「……」
馬鹿だから気づかないとかそんなことはないよな?
「それよりアデル、ここを耕せばいいんだったな」
「ああ。これからはお前の畑だからな」
「そうだったな! よし!」
イスベルが鍬を振りかぶり、土に叩きつける。
その瞬間、爆音とともに土が舞い上がり、辺りに砂埃が立ち込めだした。
砂埃が晴れると、大きなクレーターの中心に立ち竦むイスベルの姿が見えてくる。
「……力加減は覚えたはずじゃなかったか?」
「久しぶりすぎだだけだ。次はちゃんとできる」
無表情になったイスベルは、それから自力で土を戻し、ゆっくりと鍬を振り下ろし始める。
正直に言わせてもらえば、慎重すぎて極めて効率が悪い。
俺はため息をついて、イスベルのもとへ近づいていく。
「イスベル、手伝うぞ」
「う、うむ……すまない」
俺は手に持ったエクスダークを振りかぶり、イスベルがいる場所とはまた別の場所に振り下ろそうとする。
『待て主!』
「? なんだ?」
『我を何に使うつもりなのじゃ!?』
「何って……これからお前を使って畑を耕すんだよ」
『え?』
エクスダークの反応を待たずに、俺は土に向かって振り下ろす。
多少魔力を込めたことで、小さな斬撃が飛んだ。
それが地面をえぐっていき、ほどほどに土を柔らかくする。
思ったとおり、効率が良さそうだ。
『……数百年とこの世に存在してきたが、畑仕事に使われた経験は初めてじゃ』
「まあ、伝説級の剣をこんな使い方することはないだろうしな」
『当たり前じゃ! こんな使われ方は屈辱すぎて……屈辱すぎて……!』
「屈辱すぎて?」
『大変興奮する』
「……」
俺は無言でエクスダークを振る。
数列にかけて振り下ろすことで、瞬く間に広い畑を耕すことが出来た。
振る度にエクスダークが変な声を出すのは無視し、俺はイスベルの方を振り返る。
「……ふっ! ……ふっ!」
イスベルは黙々と鍬を使って畑を耕していた。
かなりスローペースではあるものの、確実に耕すことが出来ている。
これだけのことに、妙に俺が喜んでしまうことはおかしいことだろうか?
「おーい、主ら!」
「ん、アドラーか」
ふと気がつけば、この村の長であるアドラーが近づいてきていた。
アドラーは悪くなってきたと噂の腰をさすりながら、後方を指差す。
「イスベルの家が完成したぞい。確認は主らに任せる。儂は腰がもうしんどいから寝る」
「うむ! 感謝するぞ!」
「おうおう。不備があったら言うんじゃぞ」
そう言い残し、アドラーは自分の家の方へ帰っていく。
俺はそれを見送り、土埃を払ってエクスダークを納めた。
「確認に行くか」
「うむ! 新しい魔王城だな!」
「それは違う」
畑仕事を切り上げ、俺たちはイスベルの新居へと向かうことにした。