霊獣と対峙する勇者
俺はジェネラルオークの腕をくぐり抜け、低い姿勢からその脇下を斬り上げる。
柔らかい肉の感触から、硬い骨を断つ感触が手に伝わった。
そのまま振りきり、ジェネラルオークの腕を斬り飛ばす。
「オォォォォ!」
「おっとっ……」
痛みに絶叫を上げたジェネラルオークは、残った方の腕をがむしゃらに振ってきた。
巨大な岩石ですら砕くであろう豪腕だが、精度をなくせば避けるのは容易い。
膝を折ってかわし、隙だらけの太腿を斬りつける。
しかしあまりに筋肉が分厚く、切断まで至らない。
これは刃が通りにくいなどということではなく、純粋に刀身の問題だ。
魔剣エクスダークは両手剣というには短く、片手剣というには長い刀身を持っている。
もう少し深く踏み込まねば、致命傷を与えることは不可能だ。
『あとはこいつだけだというのに、しぶといのう』
「本当にな!」
ジェネラルオークは怒り狂い、残った腕を何度も何度も俺に向かって繰り出す。
これでは斬りこむ隙すら見いだせない。
『主! まずは距離を取れ!』
「分かってる!」
勢い余って拳を地面に叩きつけた瞬間を狙い、俺は後退した。
お互いの間合いから大きく外れ、にらみ合いが始まる。
『ジェネラル……将軍という名前がつくだけのことはある。やつも決して弱くはないぞ。どうする?』
「方法がないわけじゃないが……それにはお前に頑張ってもらう必要があるな」
『誰に物をいっているのだ! 剣という立場において、我が主の願いで叶えられないものはないぞ!』
「上出来だ」
俺は呼吸を整え、エクスダークに魔力を流し込む。
エクスダークは黒いオーラを吐き出し始め、膨大なエネルギーを貯めこみだした。
『ぬおぉぉぉぉぉ! こんなにたくさんの魔力初めてじゃ!』
「壊れるなよ!」
『別の意味で壊れそうじゃぁ!』
大変嬉しそうな声を上げているが、剣が甘い声を出していると思うと気味が悪い。
「というか、この黒いオーラなんとかならないか?」
『かっこいいじゃろ?』
「禍々しいのは好きじゃないんだが……」
『我は漆黒の魔剣! エクスダークじゃぞ!? そんな我が黒い力を放出しなくてどうする――』
「もういい。どうしようもないことは分かった」
気分は乗らないが、仕方がない。
今は、これだけの力を込めても壊れないエクスダークの性能を喜ぼう。
さすがは魔剣。
まだ余裕がありそうだ。
「オオォォォ!」
「お前の顔も見飽きたぞ」
エクスダークを振った。
この距離でも、魔力を込めた斬撃ならば届く。
黒い線がジェネラルオークに届き、その身体を斜めに両断した。
ずるりと身体がずれ、今までのオークたちのようにジェネラルオークも地面に沈む。
『いっちょ上がりだのう!』
「ああ。あとは他のやつらが――」
俺はまず、レオナの方へ増援に行くため振り返る。
そちらへ走りだそうとすると、その方向から何かがこちらへ飛んできていた。
「あぶなっ」
横に飛び退いてかわすと、それは地面を数回跳ねた後、木に叩きつけられて止まる。
「ごぶっ」
驚くことに、その何かは緑色のローブを着た人間だった。
口から大量に血液を吐き出し、力なくうなだれている。
「おや? そっちも終わってたのかい」
「レオナ――って、何か雰囲気が違うな」
「今ちょっとパワーアップ中でね、もう少しで効果が切れるか……ら……」
「おっと」
レオナの雰囲気が元に戻り、力が抜けて崩れ落ちそうになる。
慌てて支えるが、つかんだ腕の筋肉が硬直していたことから相当酷使したのだろう。
全身から汗が吹き出し、疲労が溜まっていることが伺えた。
「悪いねぇ……ほんとはまだもう少し時間があったんだけど、あいつの魔術を吹き飛ばすために力を使いすぎて……」
「よく分からないけど、今はゆっくり安め」
俺はレオナを木の影まで連れて行き、寄りかからせる。
気づけば、絶えず響いていたオークたちの叫び声が聞こえなくなっていた。
冒険者たちの魔力の反応は大分残っているため、もう決着はついたと言っていいだろう。
あとはイスベルを待つのみだ。
探ってみれば、まだ大きな魔力と戦闘中なのが確認できる。
イスベルにしては調子が悪そうだが、まあ……大丈夫だろう。
魔王だし。
「さてと」
俺は緑色のローブの女に近づいていく。
呻き声を上げているため、まだ生きていることは分かっていた。
今のうちに聞けるだけ情報を聞いておこう。
「――うちの仲間に手を出さねぇでもらおうか」
「っ!」
突然飛来した火炎弾を、反射的にかわす。
着弾した場所から火柱が上がり、木々の葉を少し焼いた。
「……レッドか」
「また会えたなぁ、一般人」
レッドは木の上に座っていた。
そこから赤いローブを翻して飛び降りたレッドは、ゆっくりと俺の方へ近づいてくる。
「随分と魔力が減っているな」
「てめぇのおかげでな。再生すんのにも魔力が必要なんだよ」
レッドの魔力が前回から格段に下がっているのは、そのせいか。
『この緑色の仲間か? ここで殺した方が良いと思うのじゃが』
「殺せるならな」
あのときは、レッドが俺を殺すために力を使っていた。
しかし、それをすべて生き延びるためだけに使われたら、これほど厄介な敵はいない。
それだけあの再生力は驚異的だ。
「俺が炎のスペシャリストじゃねぇってことには気づいたみたいだな」
「あれだけの再生力を見せられたら、再生力のスペシャリストだけであってほしいって思っただけだよ」
「なるほどな。つくづく掴めねぇ男だ」
「初めて言われたよ」
レッドはため息を吐くと、女の方を一瞥する。
「こっぴどくやられたようだな、グリーン」
「がっ……れ、レッド……? よかったよかった、助けてよ! キミの力で傷を治してもらったら、また戦える!」
「そうだなぁ」
レッドは手をグリーンに向ける。
まさか、人の傷まで再生出来るのか?
「ほらよ」
「やあやあ! ありが――え?」
赤い炎がグリーンと呼ばれた女に灯る。
それは全身に燃え広がり、瞬く間にグリーンを火だるまにした。
その炎は彼女の傷を――治すことはない。
「あ、熱い熱いっ! なんで!? どうして!?」
「喋り出しを繰り返す癖は、そんなところにもあるんだな」
肉の焦げる香りが、辺りに充満していく。
どういうことだ? なぜ彼女を攻撃する?
「役立たずは始末しろ。ロイの旦那からの命令でな」
「な……ロイ様が……」
「じゃあな、緑っ子」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
女の悲鳴が響く。
しばらく悶え苦しむと、グリーンは徐々に動かなくなった。
木の根もとに残っていたのは、もう人型の炭でしかない何かだ。
「……仲間だったんだろ?」
「前は、な」
レッドはグリーンの死体に近寄ると、その身体に腕を突き刺した。
その腕を引き抜いたレッドの手には、緑色の石が握られている。
相当な魔力が込められた魔石だな。
「こんなもんに頼らなれければ、まともに戦えすらしなかったくせになぁ」
まるで馬鹿にしたように笑うレッドは、それを握りしめ、こちらに顔を向けた。
「こいつは属性の魔力が込められた魔石でねぇ。埋め込んだ者に絶大な力を与える。だが一度砕ければ――」
レッドはその魔石を砕いた。
内包された魔力が、爆発的に放たれる。
それは確かに風の属性を含んでおり、突風を発生させた。
「また会おうぜ、一般人。てめぇとは、しっかりと決着をつける」
「逃げるのか」
「俺は能力は熱苦しいくらいだが、頭の中はわりかしクールでね。この状況で勝てるだなんて思っちゃいねぇさ。潔く逃げさせてもらう」
レッドは炎の翼を生やすと、数度羽ばたかせる。
俺はエクスダークに力を込めた。
ここで逃したら、俺の平穏はまた先になる可能性がある。
せめて瀕死にすることさえできれば。
そう思い、俺は斬りかかった。
「おせぇよ」
炎が舞い上がり、視界が一瞬塞がる。
さらにその炎が吹き飛んだかと思えば、レッドの体は宙に浮いていた。
「じゃあな」
「――誰が逃がすか」
足元を、冷気が駆け抜ける
気づけば、地面から伸びる氷がレッドの足へと伸びていた。
まるで氷の腕に足を掴まれたかのような構図になったレッドは、憎々しげに森の中を睨む。
「てめぇ……チッ、イエローまでやられたのか」
「手ごわかったぞ、お前の仲間は」
「死んだ奴は仲間じゃねぇよ」
レッドの足に炎が灯った。
このまま溶かして脱出するつもりだろう。
けど、もう遅い。
「ナイスだ、イスベル」
一蹴りで、レッドの元へと肉薄する。
同時に、エクスダークを真っ直ぐ突き出した。
肉を貫く感触が、確かに伝わる。
「レッド、決着はここでつけるぞ」
「ああ……残念だぜ」
レッドの全身から炎が吹き出す。
だが、この程度で逃がすわけにはいかない。
「てめぇらは、ここで俺を殺せねぇ」
「っ! アデル! 避けろ!」
悪寒がした。
横目に周囲を見れば、風の塊がこちらに向かってきている。
とっさにエクスダークを抜き、地面へ離脱した。
風の弾丸を放った犯人は、周囲を突風で揺らしながら、この場に現れる。
「風の魔石に閉じ込められていた霊獣だ。さあ、まずは生き延びてみせろ!」
イスベルの氷を完全に溶かしきったレッドは、空へと消えて行く。
厄介なものを残されたもんだ。
目の前には、緑色の毛を持つ巨大な怪鳥がいる。
風を発生させながら、怪鳥は俺たちに敵意を向けていた。
いや……これは俺たちにというより、すべてにか。
「うむ。ご機嫌斜めだな、あの鳥」
「ああ。怒りに任せてすべて吹き飛ばすつもりだ」
「このまま放っておけば、森どころか街を襲いかねないぞ。行けるか? アデル」
「それなりに。俺はほとんど魔力を使ってないからな。お前は?」
「私は厳しい」
「本当か? あのお前が?」
「うむ……こっちにも事情があるのだ」
イスベルは話しにくそうに指を弄んでいた。
理由はよく分からないが、今聞いてる時間はなさそうだし、またイスベルが話せるときに話してもらうとしよう。
「エクスダーク、あいつ斬れるか?」
『誰に物をいっておる! 我に斬れぬものはない!』
「なら大丈夫か」
俺は怪鳥の前に立つ。
もう勇者ではないが、化物退治は専売特許だ。
少しくらい、過去の経験も役立てよう。