魔王な魔王
雷電速――。
雷属性の魔術を極めた者のみが使用できる、奥義の一つである。
全身に雷を流し、神経と肉体を極限まで強化する技だ。
反応速度、筋肉の動き、どちらも普通に鍛えたのでは辿りつけない領域。
それは魔王でさえも、たやすく追いつけるものではない。
「おい! 守ってばかりではどうすることもできないぞ!」
「……っ」
雷を纏ったイエローの拳や蹴りが、イスベルに襲いかかる。
眼で追えない速度で襲い掛かってくる攻撃は、イスベルでさえかわしきれるものではなかった。
そのため、初めと同じように氷の鎧を身にまとい、なんとか防いでいる。
「丈夫な鎧だ。しかし……これはどうだ?」
イエローは手を広げ、貫手の形を取る。
雷がその手に集中していき、脅威の貫通力を生み出した。
「一点集中――雷槍!」
神速の貫手は、イスベルの腕による防御を間に合わせず、その鎧へと到達する。
それだけにとどまらず、鎧を貫き腹部へとめり込んだ。
「手応えあったぞ」
「がっ――」
イスベルは地面を蹴り、大きく後ろに後退した。
寸前で離脱できたため、重要な臓器にまで貫手は届いていない。
しかし傷口からは血が絶えず流れ出し、その傷の深さを物語っている。
「むぅ……やはり厄介だなその能力!」
「よく言われる」
イスベルは自分が負ってしまった二箇所の傷を見て、表情を歪める。
最初の一撃、鎧の展開が間に合わず、左胸に傷を負ってしまった。
その傷の方がかなり深く、動く度にイスベルに痛みを与える。
(正面からでは分が悪い……一旦離れるしかないか)
「どうした? 諦めたか?」
「まさか」
イスベルは強く手を合わせる。
その瞬間、辺りの光景に変化が起きた。
「蒸発!」
周囲にあった氷が弾け、突然水蒸気を上げ始める。
足元から水蒸気が上がっているせいで、ほとんど何も見えないほどに視界が塞がってしまった。
「目眩ましか……小癪な真似を」
イスベルはその隙に、近くの木々の裏に隠れた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えながら、イスベルはイエローの様子を窺う。
イエローの方はイスベルを見失ったようで、警戒した様子で身構えていた。
「はぁ……はぁ……蒸発はやはり魔力を多く使うな」
魔術によって凍らせたものは、自由自在に操れる。
それがイスベルの氷魔術の特徴なのだが、最終的にはその温度までも操ることができるのだ。
ただし操れるのは氷の状態だけで、温度を上げて水にしてしまったり、今のように水蒸気にしてしまうと操れなくなる。
そしてこの温度変化には、大量の魔力を消費してしまうのだ。
「やはり、魔王の心臓を置いてきたのは間違いだったか――」
「いい加減、隠れるのはよさないか?」
イエローの声が響いてくる。
痺れを切らしたのだろう、その手には今までで一番の密度の魔力が溜められていた。
「出てこないのであれば……森ごと破壊するまで」
イエローが腕を振るう。
すると雷が衝撃波のように広がっていき、周囲の木々を焼ききった。
「ぬお! なんと無茶な男なの!」
イスベルの頭頂部が、チリチリと音をたてている。
数本髪の毛が焼け焦げ、イスベルの頬を冷や汗が伝った。
さすがに焦りで、彼女も素が出始めている。
「ふん、しゃがんでいたか。ならば、今度は低く放つまで」
再び魔力がイエローの手に集約していく。
今と同じことを行おうとしているらしい。
「……仕方がない。あまり得意ではないけど、頭を使うしかないね」
イスベルは木の影から飛び出した。
それと同時に、腕をイエローにかざす。
「隠れるのは諦めたようだな!」
「いい加減にね! アイスメテオ!」
イエローの上空に、巨大な氷の塊が現れた。
それは真っ直ぐ地面に落ちてきて、イエローの身体を押しつぶそうとする。
しかし、そんな攻撃が彼に当たるはずがない。
「遅い!」
「まだまだぁ!」
イエローの行く先々に、氷の隕石が落下する。
それでも数の割には命中することがなく、ただただ氷のオブジェクトを形成していくだけであった。
「どれだけ落としてたところで、俺に当たることはない! 魔力の無駄だ!」
「お前に心配されることじゃない!」
何を言われようと、イスベルは氷の隕石を落とすことをやめなかった。
すでに辺り一帯に氷のオブジェクトが立ち並んでおり、お互いの姿が見えないほどの高さまで積み重なっている。
そこまで来て、ようやくイスベルは魔術の発動をやめた。
「……気は済んだか?」
お互いの姿は見えないが、イエローの声が聞こえてくる。
イスベルは無言を貫き、息を潜めるようにしてしゃがみこんだ。
「息を潜めたところで無駄だ。この氷の表面を伝って流した微弱な電流が貴様にも流れ、俺に位置を教えている」
イエローは再び手を貫手の形にし、魔力を流す。
バチバチと放電するその腕には、今までで最大の魔力が込められていた。
「諦めろ」
イエローは地面を蹴った。
空中に跳び上がり、氷のオブジェクトを越えていく。
そうして、イエローが探知したとおりの場所にいたイスベルを捕捉した。
「これで終わりだ!」
最後のオブジェクトを飛び越え、空中からイスベルへ飛びかかる。
その様子を見て、イスベルはニヤリと笑った。
「愚か者」
「っ――しまっ」
イスベルは手に矢をつがえた状態の弓を出現させた。
すぐさま放たれた矢は、空中のイエローに向かって飛来する。
「ぐぁっ!」
どんなに速く動けても、雷電速を使用していても、空中を蹴ることができるわけではない。
時を加速させないかぎり、自由落下の速度は一定なのだ。
「オブジェクトを避けるため、跳び上がったお前が悪い」
何とか空中で身を捻ったイエローの肩に、矢は命中する。
さらにそれだけにとどまらず、そのまま高く積み上がった氷へと縫いつけた。
「くっ……やられたな」
「……」
「だがまだだ、俺はまだ動ける!」
イエローは、自分の肩を貫いている矢を掴んだ。
その矢を引き抜くため、イエローは自分の腕に力を込める。
しかし、抜けない。
「無駄だ」
「ざ、戯言を! 今に見ていろ!」
「無駄だと言っている。諦めろ」
「ふざけるな! 誰が貴様の言葉など――」
イエローが声を荒げた瞬間、パキリと何かが砕ける音がした。
「どうだ! 今すぐこの矢を砕いてやる!」
さらに数回、何かが砕ける音が聞こえてきた。
やがて、氷の破片が落ち始める。
イエローは口角を釣り上げ、一際強く腕に力を込めた。
彼が違和感に気づいたのは、そのときである。
「――なに?」
一段と大きな破砕音がすると、ゆっくりと大きな氷の破片が地面に落ちていく。
その破片は、人の腕の形をしていた。
イエローは自分の腕に眼を落とす。
そこには、肘から先の部分がなかった。
断面は氷結しており、血は流れてこない。
痛みすら、ない。
「な……なに……を?」
「氷魔の矢。命中した生物を、内部から凍らせる矢だ」
「ふ、ふざけるな!」
勢い良く声を上げたと同時に、複数の破砕音が響いた。
イエローが恐る恐る見下ろすと、つい先程まで警戒に動いていた足が、膝からなくなっていることに気づく。
「や、やめてくれ……」
「……」
イスベルは踵を返し、イエローから離れていく。
その後ろ姿に、イエローは叫び散らかしだした。
「助けてくれ! 悪かった!」
「……」
「なんでもする! だから助けてくれ! こんなところではまだ死ねないんだ!」
「……何でも?」
イスベルが振り返る。
話が届いたと思ったイエローは、途端に表情を明るくした。
「あ、ああ!」
「それなら、お前たちの目的を教えろ」
「わ、分かった! 俺たちは魔族や魔物、亜人たちと人間が共存できる世界を作るため――」
「そんな綺麗事で騙せると思ったのか?」
「ひっ……」
すでに、イエローが戦意を取り戻す気配はない。
イスベルがひと睨みしただけで、イエローの顔が恐怖に染まった。
今までのふてぶてしさもどこかへ消え去り、促されるまま情報を吐き出していく。
「生物を用いた研究を繰り返し、魔王、勇者よりも強い化物を創りだして、この世を支配する……」
「……」
「そして弱者に力を与え、強者を落とす……そうすることで、世界の秩序を作り変える。革命後の世界では俺たち虹の協会が支配者となり、新たな世界を整えるんだ」
イエローは一呼吸置き、さらに口を開く。
「新たな時代は、俺たちのような元弱者たちの時代だ! これまで我が物顔で俺たちを踏みつけてきた強者どもを、逆に足蹴にして――」
「もういい」
そこまで聞いて、イスベルは再び踵を返した。
「お、おい! 話が違うぞ! 俺はちゃんと話した!」
徐々に進んでいた凍結が、加速する。
皮膚が白くなり、ボロボロと砕けだした。
「待ってくれ! 言うことを聞いたじゃないか!」
「……そうだな。ではもう一つ聞いてもらおう」
「な、何だ!?」
イスベルは振り返らず、冷たい声でいった。
「来世では、どうか私と出会わないで」
「……い、いやだ……いやだ――」
イエローの叫び声が、途中で途絶える。
巨大な氷のオブジェクトに、人型の氷像が張り付いていた。
イスベルは森へと歩きながら、手のひらを握りしめる。
同時に、あれだけあった氷がすべて砕け散った。
あの、人型の氷像も。
「敵に情けを与えられるほど、私はまだ甘くなれないようだ」
イスベルは少し寂しげな表情を浮かべながら、その握りしめた拳を開いた。