置いていかれた勇者
「鈍いわ!」
「ピギィ!」
巨大なカマキリの魔物を自慢の鎌ごと両断したイスベルは、剣についた体液を払ってため息をついた。
「アデル、どれだけ進んだ?」
「今三十階層ってところだ。あと少しで折り返しだな」
「思ったより長いものだな」
俺は魔物から魔石を回収しながら、先の道を見据える。
ここまで来るのに約二時間ほど。
俺たちより早くダンジョンに入った連中を抜かして引きはがしてしまうほどに、俺たちの進行速度は速かった。
それも、ほとんどイスベル一人の力でだ。
先頭を行きたがるイスベルが立ちふさがる魔物を一刀両断してしまうため、俺の出番はほとんどない。
こうして魔石回収係として働くのも様になってきてしまった。
「それにしても、ずいぶんと他の人間の気配が消えたな。ほとんど魔物の気配しか感じないぞ」
「この辺りから魔物の強さが跳ね上がるからな。効率よく稼ぐことを目的にしている冒険者たちは二十階層から三十階層の間で狩りをするみたいだ」
ダンジョン内の魔物はいわゆる「無限湧き」というやつで、一気に狩ればしばらく数は少なくなるが、やがて元に戻る。
どこから生まれるのかはいまだに研究中で、詳しいことは分かっていない。
要は、弱い魔物でも無限に狩り続けることができるため、比較的安全に魔石を確保し金に換えられるということだ。
時間はかかるが、日々の生活費を稼ぐ程度であれば十分である。
「めぼしい依頼がないときの冒険者が当面の生活費を稼ぐために来ることが多いみたいだから、わざわざ危険は冒さないさ」
「それはつまらぬな。張り合いもない」
「張り合う必要はないだろ? 俺たちも俺たちのペースで進めばいい」
「こう……闘志に関わるのだ! 単調になってくるとどうしても飽きが来る」
「それは――まあ、その通りだな」
俺は黙々と何かをこなす作業が嫌いではないため、こうしたただ魔物を蹴散らし進むだけというのも苦に感じない。
剣術の訓練等も、好きで取り組んでいた節がある。
しかし、かつての仲間たちにもダンジョンに潜った際に苦言を吐かれたことを思い出した。
「といっても、七十階層までのお宝とかは回収されてる可能性が高いからなぁ……まだしばらくはこんな感じだと思うぞ?」
「むー! まどろっこしい!」
イスベルが剣をしまい、拳を握り込む。
大変嫌な予感がした。
「おい、やめ――」
「こうすれば早いではないか!」
ダンジョン全体を揺るがすような轟音と衝撃が響く。
破砕音とともに、俺の体を浮遊感が包み込んだ。
この女、やりやがった。
「どうせ下に階層があるのだ! こうすれば一直線であろう?」
「一直線であろう? じゃねぇよ! バレたらどうすんだよ!」
「? バレたらどうなる?」
「そりゃお前……」
あれ、どうなるんだ?
俺が調べた中に、ダンジョンを破壊した場合についての情報はなかった。
そもそもの話、こんな分厚いダンジョンの壁、床を破壊しようなどと思う者がいなかったのだ。
つまり前例がない。
誰も破壊できると思っていなかったせいで、明確に規約が設定されていないのだ。
「とりあえず罰がないのであれば、次の床も抜くぞ」
「いや、ちょっとま――」
「ふんっ!」
以降、同じことの繰り返し。
床を砕き、着地と同時に下層の床を破壊する。
真下に魔物がいれば、それごと床をぶち抜いた。
瓦礫と共に落下していく俺たちは、驚異的なスピードで下層へ下層へ降りて――いや、落ちていく。
「これで七十階層!」
イスベルの手はようやく止まり、俺はしっかりと着地することができた。
落ちてくる瓦礫をよけながら、俺はその惨状を見る。
「これはひどい」
見上げてみれば、はるか上まで一直線に伸びる穴。
間違いなく最短の近道が完成した。
「もう最下層までぶち抜いたらいいんじゃないか?」
「それではお宝を無視することになるだろう! 私は冒険とお宝を求めに来ているのだ!」
「はぁ……まあ確かに最下層へたどり着くことが目的じゃないしな」
俺はため息をつきながらも、冷静に辺りを見渡すことにした。
景色は上階と変わらないが、明らかに魔物の気配が強く、濃くなっている。
ここから下の階へ進むのであれば、俺たちでも用心が必要だ。
「さあ! 私たちの冒険はここからだぞ!」
「はいはい。慎重にな」
一応たしなめるような言葉をかけておくが、このイスベルのはしゃぎようを見ていると無駄な気がする。
イスベルよりはダンジョンに詳しい俺が気を張る必要がありそうだ。
「よし、行くか――」
そう思い、気を引き締めた瞬間。
俺は上空からの気配に気づき、とっさにイスベルが空けた穴を見上げる。
そこから落ちてくる二つの影。
イスベルも気づいたようで、俺たちは穴から距離を取った。
「へっ、こんなところに近道があるとはな! お前らが空けてくれたのか?」
七十階層に着地したのは、髪からローブから真っ赤な男と、男と同じ場所が青色になっている女だった。
不気味な雰囲気を感じる。
純粋な魔力とは違う、得体の知れない力を感じるのだ。
「レッド、時間が惜しい。私は奥へ行く」
「ブルーはせっかちだねぇ。まあいいや、行って来い。俺は哀れにも目撃者になっちまったこいつらを片付ける」
「しくじらないでね」
「誰に言ってんだよ」
ブルーと呼ばれた女が俺たちに背を向け、ダンジョンの奥へと駆けていく。
レッドと呼ばれた男は不気味な笑みを浮かべながら、瓦礫の上から俺たちを見下ろしていた。
「おいアデ――じゃなかった! アル! あの女お宝を独り占めするつもりだぞ!」
「いや、違うと思うけど」
「くっ、そうはさせるか! ここは任せたぞ!」
「え?」
イスベルが駆け出す。
持ち前の身体能力で、瞬く間にブルーという女が向かった方向に消えていってしまった。
俺は虚空に伸ばした手を、そっと下ろす。
腐っても元魔王だし、心配しているわけではない。
仮に戦闘になっても負ける方が難しいだろう。
それでも、イスベルはダンジョンに疎い。
多分、迷う。
「ま、死ななきゃ平気か」
「よそ見とは余裕だなぁ、これから死ぬんだぜ?」
「ん? ああ……」
そうか、自分の心配をしなければ。
久しく戦闘らしい戦闘をしていないから、少しだけ勘が鈍っていたようだ。
「散々戦わされたけど、別に戦いが好きってわけじゃないんだ。やるならさっさとやるぞ」
「へっ、強がり野郎か。お望み通り殺して――」
レッドの言葉の途中、俺はイスベルが空けた穴の方から新たな気配を感じ取った。
それはレッドも同じだったようで、素早く穴の真下から離れる。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉ! へぶっ」
下りてきた……いや、落ちてきたのは、銀色の鎧をまとった男だった。
俺はこの男に見覚えがある。
「ぐっ……この私がこんなみっともない着地をしてしまうなんて」
「あんた……馬車の列にいた」
「む! 貴様はあの女の隣にいた男ではないか!」
瓦礫の上で埃だらけになっている男は、先ほどイスベルに豪快に蹴り飛ばされた『銀翼の騎士団』のリーダー、シルバー・イージスターだった。