胸を揉む魔王
「ね、ねえざん、せづめいじないと」
「おっといけない。そうだったな!」
トラグルがレオナを止めてくれたおかげで、俺はハグからなんとか解放された。
お前に感謝することになるとは思わなかったぞ、トラグル。
「き、きさまぁー!アルにもう近づくな!だめだぞ!」
イスベルも俺とレオナの間に入ってくれた。
頼もしいぞ、魔王。
「まあまあ、別にとって食おうってわけじゃないよ」
「嘘だ!食おうとしてた!主に性的に!」
おい、何を叫んでるんだイスベル。
「失礼だねぇ!まだ食べないよ!あたしは段階を踏む派なんだ!」
まだってなんだ、まだって。
俺は寒気を覚え、レオナから数歩距離をとった。
「アルは私が生きてくために必要なのだ! あげないから!」
「お、じゃあライバルってことかぁ? あんたが何者かってのは分からないけど、勝負ってんならとことんやるよ?」
「望むところだ! アルは絶対にあげない!」
「へっ! このレオナ様に奪えないものなんてないよ!」
女の視線が、バチバチと火花を散らしている。
てか、イスベルは結構恥ずかしいことを言っているという自覚はあるのだろうか。
「べ、ベル! ちょっと止まれ! まずはちゃんと話が聞きたいから!」
「なんだ!アルもこの女の味方か! やっぱり男は胸か! 胸がいいのか!」
イスベルは一瞬でレオナの後ろに回り込むと、彼女の胸を下から鷲掴みにする。
いや、当然のようにさっきのレオナと同じくらいの速度だすなよ……。
「ど、どこ触ってんだいあんた!」
「胸だよ!」
その通りである。
「ほら! どうだアル! 貴様もこれが好きなのだろう⁉︎」
「いや、好きだけど」
嘘はつけない。
だから俺は真っ直ぐ二人を見つめながら言った。
こういう場面で間違ったことはいいたくない。
男として、漢として。
「貴様も胸か! 私に言えば胸くらい揉ませてやったのに! 先にこんな女の胸に籠絡されたのか!」
「別に籠絡はされてないだろ⁉︎」
俺はレオナの胸や身体に惹かれてイスベルを止めたわけでなく、単に話が進まないから止めたのだ。
というか、その胸の話はあとでもう一回聞かせてほしい。
「ちょっ、いいから一回離してやれ!」
「がぁー! このクソおっぱい女!」
「お前が言うなよ! あとお前キャラ変わってるぞ!」
俺はイスベルを羽交い締めにして、レオナから引き剥がす。
イスベルのやつ、とんでもなく酒臭い。
なるほど、酔って言動がおかしくなっていたのか。
「た、助かったよ」
「あんたもあんまり変な発言はよしてくれ! 話が本当に進まなくなる!」
「分かった分かった……」
今度はレオナの方から離れていく。
ある程度まで距離をとった時点で、ようやくイスベルの方も落ち着いてきた。
「フーッ! フーッ!」
いや、完全に落ち着いてはいなかった。
猫かお前は。
「と、とりあえず……あんたらはアルとベルでいいのかい?」
「そうだ。俺がアルで、こっちがベル」
「よしよし。それじゃ早速本題だ」
レオナはトラグルを呼ぶと、何やら丸まった紙を受け取った。
「こいつを受け取ってくれ」
それを俺たちの方へ放り投げる。
開いてみると、それはクラン「グリードタイガー」からのクエスト協力要請だった。
5日後の朝、ギルドに集合と書かれている。
「その日、あんたらもギルドに来てくれないかい? 今大きなクエストをこなすために、強い仲間を集めててね」
「つまりは、今までのも実力テストだったってことか?」
「ま、そういうことさ。詳細については当日教える。一々説明して回るのも面倒くさいから、まとめてその日に説明会ってことにしてるんだ」
「なるほど……」
「まあ……最悪こなくてもいいし、聞いた上で帰ってもいい。元々私たちのクランに流れてきた依頼だからね」
つまりは助っ人ということだ。
話から察するに、レオナですら不安を覚える相手ということだろう。
参加すること自体はやぶさかではない。
ただ、当日になってみないと分からないことは事実だ。
「――分かった。顔は出すことにするが、協力するかどうかは話を聞いた後で考える」
「十分さ! というか別にその時だけじゃなくてもいいんだよ? アルならいつでもあたしのところへ来ていいんだから! むしろ来い!」
「当分は遠慮させてもらおう……ッ!」
レオナが余計なことを言うせいで、イスベルの顔が鬼の形相になっている。
とりあえずこの場は立ち去らなければ。
「そろそろこの辺でお開きにしないか! 俺たち明日からダンジョンに潜るつもりなんだ!」
「ほう、ダンジョンかい。あんたらも一攫千金狙いってとこか。まあアルがいりゃいいところまではいけるんじゃないかい?」
「行けるとこまで行ってみるさ」
「いい土産話を期待しておくよ。それじゃ、鬼が暴れだす前に退散するとしようかね!」
イスベルの様子を見て冷や汗を流すレオナは、トラグルを連れて夜道に消えて行く。
俺たち以外に誰もいなくなったことを確認し、俺はようやくイスベルを離した。
「くっ……あのデカ乳女め……」
「だからお前が言うなって……」
「揉んだ感じだとあやつの方が数センチでかい! 胸だけには自身があったのに!」
怒鳴りながら自分の胸を寄せてあげるイスベル。
これではあまりにも眼に毒だ。
俺は目を反らし、酒場の方へと戻るため歩き出す。
「むぅ、見向きもしないとは」
「酔っ払いすぎだぞ、イスベル。あんまり男を惑わすようなこと……するな」
「ちょっと今含みがあったぞ」
そりゃ、勇者とはいえ男なもんで。
さっきからのイスベルの発言で期待してしまう部分もあるからして。
こっそり胸元に目が行くのは仕方のないことではないだろうか?
「……私がこういう風にしていれば、アデルは私を置いてあの女のところへ行ったりしないか?」
突然、消え入るような声が聞こえてくる。
思わず振り返ると、そこにいたイスベルの顔には怯えの表情が浮かび上がっていた。
「あまり離れてくれるな。ほんとに頼れるのは貴様だけなのだ」
「……」
目を離している内に、いつの間にかイスベルが俺の服の袖を掴んでいた。
本当に、酒のおかげで極端に素直になっているようだ。
ここ数日、俺の世界が変化しすぎている。
魔王と会話し、言い合ったり、褒め合ったり、誰がこんな関係を想像しただろうか。
俺は、本来ありえないはずのこの関係に、居心地の良さをかんじている。
だからこそ、もっと知りたくなってしまった。
魔王城ではどんな生活をしていたのか、どうしてここまで俺に執着しているのか――。
どうやら俺は、イスベルに歩み寄ってみたいらしい。
(でも、俺から聞くのはルール違反だ)
他者にはあまり干渉しないのが、俺たちが暮らすことになった村のルール。
いつか、イスベルの方から話してくれるときが来ると祈ろう。
そのときは、俺の経験してきたことも話すとしよう。
「この街で冒険者をしている間は、少なくともお前からは離れない。約束する」
「――ん、今はそれで……いい……」
「おっと」
話していたイスベルが、突然崩れ落ちる。
身体を支えてやると、口元からは安らかな寝息が聞こえてきた。
「安心したら睡魔が襲ってきたってか……? これじゃただの見た目通りの女の子だな」
――いや、もしかしたら本当にただの女の子なのかもしれない。
過剰な力を持たされた、ただの少女。
「宿に戻るか」
俺はイスベルを抱きかかえ、宿へと戻る。
この夜で、ほんの少しだけ、イスベルに近づけた気がした。