求める勇者
「ちょいと外まで来てくれないかい? 話があんのさ」
「……こっちにはない」
「そう言わずにさ、すぐ済むから――な?」
レオナと名乗った女は、机の上に金貨を一枚置く。
どうやらついてくれば奢ってやると言いたいらしい。
横目でイスベルの方を見てみれば、警戒を隠しもしない顔でレオナを見ていた。
それもそのはず。
この女は間違いなく強い。
イスベルや俺ほどまでとはいかずとも、冒険者の中ではまごうことなく最強クラス。
さすがはランクAのクランのマスターだ。
「どうだい?」
「……」
こいつの思惑が読めない。
順当にいけば、子分たちを痛い目に遭わせた俺たちへの仕返しが目的だろう。
しかし、眼に悪意がない。
隠すのが上手いのか、それとも――。
「――いいだろう。ついて行く」
「お、話が分かるねぇ。話を変にこじらせない男は好きだよ」
レオナは笑みを浮かべながら、近くの店員に先ほどの金貨を「釣りはいらない」と言ってわたす。
そうして彼女が先に酒場から出て行くのを確認して、俺も席を立った。
「むう……今更だが、あの女の言うことを聞くのか? 力ずくで黙らせたほうが良い気がするのだが」
「……あまり武力行使は好きじゃない。これでしか解決できないなら仕方ないけどな」
俺は腰につけている安物の剣に手を置く。
ずっと命を守るために戦ってたのだから、せっかく守った人たちを極力自分の手で傷つけたくない。
せめて、俺のやってきたことを無駄にしたくないんだ。
「む、まあ貴様が言うなら私は従うだけだが……」
「どうした? やけに大人しいな」
「悔しいが、私一人だったらこの世界はとても生き難いものだった。こうして酒場で酒や食事を楽しむことすら出来なかっただろう……それにわがままも聞いてもらっているし、私が文句を言える筋合いではないことは分かっているからな」
「……別にいいのに」
「気分の問題である」
イスベルはテーブルの上に残っていた水を飲み干すと、俺の横に並んだ。
「よし、行くとするか! いざというときは任せろ。貴様じゃ対応が遅れるかもしれんからな!」
「……ああ、そんときは頼む」
意気揚々と酒場から出て行くイスベル。
なんとも頼もしい笑みを浮かべる魔王だこと……。
◆
「お、来たか」
酒場の前で、レオナが待っていた。
「ついて来てくれ」
二人で彼女についていくと、酒場の裏手へとたどり着く。
すると、俺たちの他にもう一つ人影があった。
「こいつがあんたらにちょっかいをかけたトラグルだ。悪かったね、こいつすーぐ調子に乗っちまう男でさ」
そこにいたのは、レオナの言うとおりトラグルだった。
しかし、顔が腫れすぎて別人のようになってしまっている。
俺が殴った怪我も確かにあるのだが、それ以上の怪我を負わされているのだ。
「レオナだったな。これはあんたが?」
「そうだ。まあ、お仕置きだね。横暴な態度でグリードタイガーの評判を下げたことは許せることじゃないから。ほれ、謝んな!」
レオナが俺たちの方へトラグルを蹴りだす。
よろめきながら、トラグルは俺たちに向かって頭を下げてきた。
「ずびばぜんでじだ」
もはや顔が腫れすぎてまともに発音できていなかった。
痛々しすぎるが、これがグリードタイガーのやり方らしい。
「こんなやつでもクランの仲間だからね。これで許してやっちゃくれないかい? あたしの方からも改めて謝らせてもらうし、要求があればなるべく聞こう。今回のことは、本当にすまなかった」
そうして、レオナもトラグルに並んで頭を下げる。
突然の謝罪に、イスベルは眼を丸くして驚いていた。
俺も正直驚いている。
小さなトラブルに、まさかクランマスターまでが頭を下げにくるとは――。
「も、もういいから。別に何か求めるわけじゃないし、今後こういうことがなければそれでいいって……」
「……あんたらが寛容な連中でよかった。ほらトラグル! もっかい謝りな!」
「ずびばぜんでじだ!」
再び頭を下げるトラグル。
少々驚かされたが、とりあえずはこれで一件落着か――――。
「そんでもって、もう一つあんたらに頼みたいことがあんだ」
「……何だ?」
少し嫌な予感がしながらも、一応話だけは聞くつもりで問いかける。
「そんな難しい話じゃない。ちょっくら――」
次の瞬間、目の前からレオナが消える。
「あたしと戦っちゃくれないかい?」
俺はすぐさま剣を抜き、真後ろから繰り出されたレオナの鉤爪を受け止めた。
「っ! 何のつもりだ!」
「ずいぶんとあっさり受け止めるねぇ。もう少し本気で行ってもいいかな!」
レオナは一度俺から離れると、先ほどと同じように姿を消す。
実のところ、消えているわけではない。
まともな人間では捉えきれない速度で動いているだけだ。
俺の眼でも、ギリギリ見えている速度。
思った通り、気は抜けない相手のようだ。
「アル!」
「お前は下がってろ! 俺は大丈夫だから!」
イスベルには下がってもらい、剣を構えて次の攻撃に備える。
突然襲いかかってきたレオナだが、その攻撃自体にも敵意は感じなかった。
おそらく何らかの理由がある。
例えば、実力を試しているといった悪意のない動機があるはずだ。
「行くよ!」
高速移動を続けていたレオナが、真っ直ぐ突っ込んでくる。
レオナの行動や言動を見る限り、決して頭が悪いわけではない。
さっきの攻撃が防がれたのだから、これも防げるということは分かりきっているはず。
つまりは――。
「幻獣歩!」
高速で動いているレオナが、目の前でブレる。
姿がブレたせいで、レオナが数人に見えた。
「こっちか!」
「おっ!」
俺は右に剣を向け、再び獣人特有の鉤爪を受け止める。
受け止めた瞬間、レオナの姿は一つになり、目の前の一人だけになった。
やはり残像……フェイントの類か。
「参ったねぇ……まさか初見で見破られるとは」
「目はいい方なんだ」
「良すぎだよ、あんた」
レオナが俺から離れようとする。
しかし、そうはいかない。
もう速さの底は見えた。
これ以上は不毛である。
「なっ!?」
「捕まえたぞ」
俺は離れようとするレオナの腕を掴んでいた。
足の速さならともかく、掴むだけならある程度の速度までは対応できる。
そして動揺が収まらないうちに、その首に剣を添えた。
「終わりだ」
「……」
完全に詰みの状態になったレオナは、呆然としている。
何か策はあるのかと少し待ってみるが、動く様子はない。
それどころか、顔を赤らめて震えだしてしまった。
「ど、どうした?」
「――た」
「え?」
「惚れた!」
俺が呆気にとられた瞬間、レオナが剣を押しのけ抱きついてくる。
身体に当たる柔らかい感触に、頭の中が真っ白になってしまった。
「私を捕まえた男なんて生まれて初めて出会った! あんたはあたしの初めての男だよ!」
「なっ、と、とりあえず離せ!」
「いいや離さないね! 狙った獲物は離さないのがあたしだよ!」
レオナが露出度の高い服を着ているせいもあり、彼女の温かく柔らかい感触が強く伝わってきてしまう。
このままではまずい。
煩悩に身体が支配されていく――。
「き、きききききき貴様! 何をしているの!?」
イスベルが顔を真っ赤にし、叫びながら駆け寄ってくる。
俺はこの時、生まれて初めてこんなことを思った。
まさか、俺が心の底から求めることになるとはな。
『助けてくれ、魔王』――と。