第一章04★さよならハナガサタウン! まだ空っぽのリュックを背負って
「リーグのチャンピオンになるぞ! ピカリュウ!」
「ピィ……カァ……」
「ああ、寝てるのか。そっか、勇気を出して戦ってくれたもんな」
今、サタケとピカリュウは研究所の裏庭のベンチに座っている。
サタケの頬を優しい朝の風が撫でた。
ピカリュウは寝息を立てて気持ちよさそうにサタケの膝で眠っている。
まあるいお腹が丸見えになっていたので、サタケは近くのタオルを掛けた。
「なんかこうしてると本当に妹ができたみたい」
研究所の裏門を誰かが出てくる。
「サタケは10歳になったのにまだまだお子ちゃまねぇ」
「なんだよシグレ! 急にお姉さんぶってさぁ」
「しーっ、大きな声を出すと起きちゃうよ」
「しー」
唇に人差し指を当てて復唱する。
シグレがおにぎりをサタケに渡した。
「実際、昨日まで私がお姉さんだったの。忘れたの?」
「俺より一週間、誕生日が早いだけじゃないか!」
「しーっ」
「しー」
「それでもお姉さんはお姉さんなの。ちゃんと私の言うこと聞くのよ」
「なんで?」
「これから旅に出るんだから当然でしょ?」
「そっか。はやくリーグに出場したいなぁ!」
「いやいや。今すぐ行っても出場はできないわよ?」
「どうして?」
「えっ知らないの? リーグに出場するには、5つの【リング】を集めるのよ?」
「あっ、ぷにもん【ハイブ】でハイブヘッド? を倒すんだっけ……」
「アンタねぇ、自分の夢でしょ? ちゃんと勉強しなきゃダメよ」
「し、してるよ。ここからいちばん近いハイブは【タンザクシティ】のハイブ!」
サタケは道の向こうを指さした。
重機やトラックがあって、ヘルメットをかぶった作業員が仕事をしている。
道には黄色と黒のシマシマ模様のフェンスで通れないようになっていた。
「もしかして【月の洞窟】は通行止めかな?」
「さぁねぇ? 誰かのせいかしら……」
「それじゃあどこに向かえばいいんだ?」
「歩いていくなら【カントウシティ】はどうかしら?」
「どうやって行くんだ?」
「【マップ】は持って……、ないのね。しょうがないなぁ、ほら」
シグレはマップを開いてベンチに広げた。ハナガサタウンに指をさす。
ちょうど木漏れ日が差して、白っぽく光っていた。
「ここが私たちのいるハナガサタウンよ」
サタケは身を乗り出して確認する。
「それで、ここから海沿いに道を行くの。そうするとカントウシティに着くわ」
「ねぇ。この途中にある【コンペキ山】って何なの?」
「それは【ダンジョン】よ。コンペキ山はぷにもん修行で有名な山よね」
「へぇ〜、シグレは物知りだな!」
サタケが顔を上げると、目と鼻の先にシグレがいた。
シグレはサタケと目が合うなり、わなわなと震えて顔を真っ赤にする。
弾かれたように飛び退いて、息を荒くしてサタケを睨んだ。
「どうしたんだ? 顔を赤くして。風邪か?」
「ばかばか! 何言ってるの! ほら、まだまだ教えることあるんだからね!」
「ピピカァ……?」
ピカリュウが眠気まなこをこすっている。
「ああ、ピカリュウ。おはよう」
「ピカ!」
ピカリュウがサタケの胸に顔を押し当てる。
ごしごしと頭をこすりつけていた。
ぷにもんが頭をこすりつけるのは大好きって意味だ。
「はは、ピカリュウくすぐったいよ」
「まー、まー、ホントにサタケはぷにもんに好かれる才能があるのね」
呆れたようにシグレが言うのも無理もない。
いつの間にかサタケの座るベンチの周りにはぷにもんたちが集まっていた。
木陰で強い日差しを避けていたぷにもんも影を渡ってやってくるほどだ。
「皆がいればリーグ優勝も間違いないかもな!」
「言っておくけど、好かれるだけじゃ意味ないのよ?」
「どういうこと?」
「ぷにもんリーグは5体で出場するの。強いぷにもんを選ばなきゃダメなのよ」
「5体で……」
「ま、アンタには早いわね。なにせまだピカリュウしかいないもの!」
「なんだよ! シグレだって最初に孵ったマリンコだけじゃないか!」
「あれ? マリンコだけしか持ってないなんて、私は一言も言ってないわよ?」
シグレはポーチから3枚のディスクを取り出して、空高く放り投げた。
風を切って放物線を描き、回転しながらディスクが光る。
ポン! ポン! ポン!
シグレの周りに3匹のぷにもんが姿を現した!
3匹ともサタケやシグレよりも幼い見た目に見える。
シグレがディスクをサタケに見えるようにかざした。
「いまのは【ぷにもんディスク】。ここにぷにもんを仕舞っておくの」
「それくらい知ってるよ! それでぷにもんを捕まえるんだろ」
「ふーん。それくらいは知ってるのね。じゃあ、この子は知ってる?」
シグレが肩を置いたのは青い髪でクールな目つきの女の子だ。
サタケを見るなり、好戦的な姿勢を取る。
「知ってるよ、【マリンコ】だろ。水タイプ!」
「マリィ! マリッ!」
「正解。あ、こらこら! バトルするんじゃないの!」
「孵った時はそんなにやる気満々じゃなかったよな、マリンコ」
マリンコはシグレの最初の相棒で、サタケとは1年前から知り合いだ。
昔はもっとおとなしいぷにもんだった。
「バトルする気がないのよりはマシよ」
ため息をついて傍らにいた緑の髪の女の子の頭を撫でた。
「ビビィオ?」
「あ、それは草タイプの【ビオリン】だ!」
「そうよ。私が初めてゲットした野生のぷにもんなの」
ビオリンは緑色の癖っ毛で、胸元からピンと張った糸が伸びている。
片手に持った弓で、その糸を引くとキロキロとかわいらしい音が鳴った。
「良い音色でしょ。ビオリンは感情を音楽で表現するの」
「へぇ。それじゃあこれはどういう感情なんだろう?」
「うーん。大好きって感情かな?」
「頭を擦りつけるのと変わらないんだね」
ビオリンがてくてくと歩いて抱きついたのは、傍らにいた別のぷにもんだ。
赤と灰のツートンカラーな短い髪だが、前髪で片目を隠している。
赤いマフラーをしているが、今の季節は夏だ。暑くないのだろうか。
白と灰色の市松模様の高貴そうなドレスにビオリンがしがみつく。
「カゲッ」
「ビ……、ビオリ〜、ビオオリン!」
「カゲ、カゲッ」
ビオリンが片目隠しのぷにもんをぐいぐい引っ張っている。
「やめなさい、ビオリン。カゲローが嫌がってるじゃない」
「炎タイプの【カゲロー】か。やっぱりかっこいいな〜、わ!」
「ビビ!?」
カゲローがサタケたちのいる木陰に近づいたら姿が一瞬で消えてしまった。
「カゲローが消えちゃったぞ?」
「ビビオ、ビビィ〜!」
ぽろんぽろん、と悲しげな音色が響く。
サタケとシグレもうつむき加減になってしまい、次第に涙が溢れてきた。
たぶんビオリンの不思議な力のせいだ。
「あー、もう! ビオリン泣かないの! ほら、カゲローも出ておいで」
シグレがビオリンの目元をハンカチで拭きながら、カゲローを呼ぶ。
サタケはじっとカゲローがいた場所を見た。
おや? 木漏れ日が動いたみたい。
やっぱりぷにもんはおもしろいと思いながら、シグレに視線で正解を請う。
「カゲローの本体は、実は影なの。だから、影の中にいると見えなくなるのよ」
「カカゲ!」
強い日差しの下にカゲローが勢い良く出てくる。
腕を組んで、悩ましげに片手を目に当ててポーズを決めた。
「へぇ、すっげー!」
サタケの裏表のない感想に、カゲローは一瞬だけ自慢げに微笑む。
が、すぐにゆるんだ表情を堅く戻し、クールでニヒルな目つきになった。
よく暑い日差しの下、マフラーをしていられるものだ。
と思っていたら、彼女の足がカクンとなる。
「もうカゲローったら。かっこつけてないでこっちおいで」
カゲローは逡巡して、いそいそとシグレの元へ寄った。
影に入ったので木漏れ日のゆらぎ程度でしか存在が確かめられなくなる。
「さあどうかしら、サタケ。私の手持ちはもう3体なのよ!」
「ぐぬぬ……。俺だってもっとたくさんゲットしてやるんだ!」
「せいぜい私の旅の足を引っ張らないでよね」
「え? なんでシグレの足を引っ張ることになるんだ?」
「一緒に旅をするからに決まってるじゃない!」
「そうなの!? でもシグレは一年も前から修行してるんだよね?」
「そうだけどいいの!」
「マリッ! マァリリ!」
その時、シグレの顔めがけてマリンコが水をかけた。
「うわ〜、びしょびしょ……。って、なにするのよ、マリンコ!」
「マリリ! マリン、マリリィ!」
「なに? 怒ってるの?」
研究所の扉が開く音がして、サタケたちの元へ博士がやってきた。
「やっぱりじゃ。シグレ、思い当たることはないか?」
「じーちゃん。思い当たることなんて……」
シグレはサタケの顔を見るなり、耳まで真っ赤になってうつむいた。
「どうしたの? シグレ」
「シグレのマリンコはすぐ旅立たなかったことに腹を立ててるんじゃな」
「そっか。じゃあ早く行こうぜ、シグレ!」
サタケはシグレの手を取った。
その瞬間、マリンコの放った水玉を頭からかぶる。
「あぶぶぶぶぶぶ」
「やめてマリンコ! ……うう、分かったわよ。私、一人で旅に出るから!」
「マリ?」
「ごめんね、マリンコ。でも今日から私、変わるから!」
「ぺっぺっ……、どうしたシグレ? 一人で旅に出るとか変わるとか」
「予定が少し変わったの。私、一から修行し直す必要があるみたい」
シグレはマリンコと同じ目線になるようにしゃがんだ。
マリンコは初めてサタケたちの前で笑みを見せて、シグレの頬に手を当てる。
そうしてシグレは研究所に戻って、すぐに飛び出してきた。
「じーちゃん、行ってきます!」
「おー、おー、行ってくるのじゃぞ」
「えっ、はや!?」
「さすがわしの孫じゃ。いつでも旅に出る準備をしてたんじゃな」
シグレの後を3匹が追いかけていく。
遠くはなれていくシグレの背中を見ながら、サタケはその場で駆け足をした。
「どうしよう俺も早く行かなきゃ!」
「これこれ慌てるな。サタケにはこれを渡しに来たんじゃ」
「渡すって何を?」
「【ぷにもんディスク】と【ぷにもん図鑑】じゃ!」
サタケは【ぷにもんディスク】と【ぷにもん図鑑】をもらった。
ぷにもんディスクは手でつまむとずっとくるくる回る不思議な円盤だ。
ぷにもん図鑑は画面とボタンが1つだけのシンプルなデバイスだ。
雷のマークが付いたものはおそらくピカリュウのディスクだろう。
「ぷにもんを捕まえたい時は【ぷにもんディスク】を投げるんじゃぞ」
「はい、俺、5匹捕まえてリーグに出場します!」
「ぷにもんについて何か知りたかったら【ぷにもん図鑑】を使うのじゃ」
サタケは試しにぷにもん図鑑をピカリュウに向ける。
ピロピコン、という音が鳴って図鑑の画面にピカリュウの写真が映った。
発見者の欄にはサタケの名前がある。
「あれ? 博士これって!」
「うむ。サタケの発見した新ぷにもんも登録済みじゃ!」
サタケが嬉しくなっていると、遠くから女性の声が聞こえた。
駆け寄ってきた女性は妙齢のお姉さんだ。
サタケを見るなりほっとした顔をして、頬に手を当てて困ったように微笑む。
「あれ、ママ? どうしたの?」
「良かった。もう行っちゃったかと思った。ほら、これを渡しに来たの」
サタケはママから【笠】と【リュック】をもらった。
笠は藁を編んで作ったもので、内側に花のワンポイントパターンが入っている。
リュックはサタケには少し大きめで、頑丈な作りをしている。
「パパも笠を持って修行の旅に出かけたの」
「へぇ。あれ、このリュック、空っぽだ!」
「そうよ。これからそのリュックはすぐにいっぱいになるわ」
「そっか。俺、旅に出るんだもんな。いや」
「ピカ?」
「俺たち、旅に出るんだもんな!」
サタケはピカリュウの背中に手を当てた。
ピカリュウは誇らしげにサタケに身を寄せる。
「行こう! ピカリュウ! 目的地はカントウシティだ!」