第一章01 女の子はたまごから生まれてくるの?
サタケはハナガサタウンの坂道を全力で駆け下りていた!
小さな身体をフルに使い、黒髪が風でオールバックになるほど、疾走る。
走っているのは嬉しくて?
いや、だったらこんな必死の形相なんてしていない。
サタケの前方には琥珀色の【たまご】がごろごろと転がっていた。
そのサイズは大のオトナの頭ほど。勢い良く回って回って、
段差で飛び跳ねる!
「俺の【ぷにたま】!」
サタケが叫んだ。まるで神に祈るように。
宙に飛び上がった【ぷにたま】は放物線を描いて、
「えっ、サタケ!? って、きゃぁっ!」
道行く10歳くらいの女の子の胸元に、吸い寄せられるように着地した。
女の子は【ぷにたま】をぎゅっと抱きしめて、そのまま尻もちをつく。
サタケは草むらに腰を下ろした少女の元に駆け寄った。
「シグレ! お前がキャッチしてくれたのか?」
「イタタ……。もう、サタケ! 【ぷにたま】は大事にしなきゃダメなのよ!」
「ご、ごめんよ。でも、キャッチしてくれてありがとう!」
「か、感謝されるほどのことじゃないわっ」
ぷい、とそっぽを向く少女はシグレという名前だ。
サタケとは幼馴染。
……俺からすれば近所の口うるさいガキンチョにしか見えないけども。
綿毛のような髪が夏の海風にふわふわと揺れていた。
立ち上がれるように手を差し出す。
……あいにく俺はサタケとして、まっとうで普通の人生を歩んでいる最中だ。
シグレはジトッとサタケを睨む。
いまいましげにその手を取った割に、頬は紅く染まっているときた。
立ち上がった後、すぐに手を離される。
「それにしてもサタケの【ぷにたま】はいつ孵るのかしらね?」
う……。痛いところを。
「も、もうすぐだよ! だって明日は俺の10歳の誕生日だし……」
「でも10歳までに【ぷにたま】が孵らなかったら、大人になれないのよ?」
「……そうだね」
思わずしゅんとする。
生まれ変わった新しい身体は生前と比べて感情豊かに育った。
それともまだ子供だからかな?
シグレが抱えたままの【ぷにたま】を覗く。
琥珀色の卵型の中に、小さなお人形が浮かんでいる。
お人形は膝を抱きかかえるように丸くなって眠っていた。
「キミは生まれたら、どんな【ぷにもん】になるのかな?」
「……」
「草タイプの【ビオリン】かな? きっと歌って踊って楽しい旅になるよね」
「……」
「それとも水タイプの【マリンコ】? ぷにもんリーグで優勝できるかも!」
「……」
「じゃあ炎タイプの【カゲロー】だ! きっとかっこよくバトルできるよ」
「……」
「ねぇ? キミが生まれたら、俺はぷにもんトレーナーになれるんだ」
サタケは寂しい気持ちが表に出ないように優しく【ぷにたま】に話しかける。
シグレは少し怒った顔だ。
きっと寂しい感情を隠しきれなかったんだろう。
【ぷにたま】をサタケに差し出した。
「アンタがこの子が生まれてくることを信じなくてどうするの!」
突くように差し出された【ぷにたま】を受け取る。
シグレはサタケを見届けて立ち去った。
……シグレはいい子だ。頭もいいし思いやりもある。何よりまっすぐ成長してる。
俺、というかサタケもそうだと思う。
こんどの人生こそは失敗しないように生きていかなきゃダメなんだ。
残されたサタケは【ぷにたま】を抱えたまま遠くの方を眺める。
眺めた先には青に染まった大きな海が広がっていた。
サタケは防波堤のへりに座って【ぷにたま】をゆっくりと撫でる。
「キミは俺が生まれた日にもらった【ぷにたま】だ。ずっと兄妹だと思ってるよ」
ぎゅっと抱きしめて、頬を琥珀色の表面にペタリと当てた。
「キミが生まれて来なかったらって思うと、俺は心配でたまらないよ……」
……………………。
…………。
……。
ざざぁ、ざざぁ、波の打ち寄せる音、暗闇、波の引いていく音、暗闇、暗闇。
そこへ一筋の光が差し込んでくる。ぐにゃり、屈折してカーテンのよう。
揺らめくカーテンの向こう側に、何かの影が動いたように見えた。
そしてカーテンのこちら側に、サタケの体がふわふわとたゆたう。
俺が俺……、サタケを見ている。
なんとも不思議な光景だったのでスグにこれが夢だと分かった。
「……ざめ、……い」
波の音にまぎれて声が聞こえる。
サタケの声ではなさそうだ。おそらく女性の声だろう。
波の音が聞こえる間隔が短くなってきた。声がこちら側に通るようになる。
「目覚め、……さい。サタケ、目覚めなさい」
サタケは一向に目を覚まさない。
穏やかで包容力のある声は却って起きにくいのかも?
「目覚めなさい……。さあ、サタケ。目覚めるのです……」
少しずつ声に元気がなくなってきた。
「あの……。はぅ……、目覚めてくださいぃ……」
はぅ、とか言い出してしまった。最後の方とか泣きそうだ。
「うっ、うっ……。目覚めてくれないと困るんですぅ……」
しまいには泣いてしまった。
涙声で何者かが話しかけてきている。
サタケは波にただようのがお気に召したのか、ぐっすりと眠っていた。
「うう! じゃ、じゃあ! もう無視して言いますからね!」
……謎の声、吹っ切れた。
「サタケ、そなたは世界を変えるために『ぷにもん世界』へ生まれたのです!」
テンションは、一等のくじ引きが出ました! くらいだ。
張り上げた声がファウンファウンと反響している。
反響しているのは水の中? いや、闇が広がる不思議な空間だ。
次の瞬間には光のカーテンが消え、サタケの姿も見えなくなった。
……。
…………。
……………………。
ドテン!
床に物が落ちたような音がした。
それもそのはず、床にパジャマ姿のままひっくり返っている。
どうやらベッドから落ちてしまったらしい。
「イッテテ……。あれ?」
間の抜けた声が出た。
自分の視界が逆さまに気づくとでんぐり返ってベッド越しに窓を見た。
キラキラと差し込む光を浴びる。まぶしくて目をこらす。
「朝……、あっ」
慌てた様子で机の上を見た。
そこには「ぷにたま わすれずにおく ココ! ママより」と張り紙がある。
ココ! の下にはキルト地のミニ座布団が置いてあった。
「うそ! 俺の【ぷにたま】がなくなってる!」
変な叫び声が出た。
まあ、そんなことがあれば誰だって素っ頓狂な声くらい上がるものだ。
って冷静に分析してる場合じゃない。机に飛びつく。
座布団を裏返してみる。
いやいや、さすがにそこに【ぷにたま】があるはずないだろう。
というかたまごの殻もない。
散らかり気味の部屋だが、それらしきものなかった。
あ、考えて見れば【ぷにたま】って殻が割れる感じの卵ではない……。
……どうしよう。
「このままじゃ俺、ぷにもんリーグのチャンピオンになれないよ!」
力なくその場に膝を付いた。
うわ、もうほんと、どうしよう……、涙が溢れてきてしまった。
「うわーー!」
叫ぶだけ叫んでベッドにわーっと突っ伏して、
ぷにゅ
「ぷにゅ?」
聞いたこともないような気の抜ける音がベッドから鳴った。
おそるおそるベッドから身を離す。
なんと、タオルケットが不自然な形で盛り上がっているではないか。
「な、なんだよ……?」
空威張りしながらもタオルケットの端に手を伸ばす。
二本の指でつまんでゆ〜っくりと端を持ち上げていくと……
「ピッカァ!」
見知らぬ女の子が飛び出してきた!
「わわっ!」
びっくりして尻から床に着地した。痛い。でも、痛さなんて気にならなかった。
女の子の歳の頃は12歳くらい。背丈はサタケと同じくらいだ。
金に輝く髪の間に2つ、小さな羽のようなものがピョコピョコ動いている。
「こんな子、ハナガサタウンで見たことない……!」
誰かが引っ越してきて、サプライズのつもり、とか?
否。そんなおかしなことがあるわけない。
女の子はサタケを見るなり、パァァ! と全身から喜びオーラを漏らした。
「キミ、もしかして……」
「ピカリュウ!」
女の子は、ぴょん、とサタケにダイブした。
その瞬間にビリビリと電撃、走る!
「あばばばばばばばば!!」
唐突にサタケの身体に電気が流れ、数瞬のうちに床を伝って分散した。
電流による痙攣から解放される。
全身の筋肉が弛緩していた。
顔がフニャフニャした感じがするけれど、女の子を見たらそんなのスグ忘れた。
跳ねるように起き上がって、その子の狭い肩を両手で強くはさむ。
「ああ、キミは【ぷにたま】から生まれてきた女の子!」
「ピピカ?」
「うう〜〜〜〜! 今日から俺もぷにもんトレーナーだ!」
「……ピ?」
女の子はよく分かってない様子。小首を傾げている。
「もう、ピ? じゃないよ。俺が言いたいのは一つだけ」
「ピカ?」
「生まれてきてくれて、ありがとう!」
サタケは不思議な不思議な女の子を力強く抱きしめたのだった。