十
結局、すぐに彼の代用は必要なくなってしまった。
でも、彼の言葉が、使っていないときにこそ心が宿るというその言葉が、アイを手放そうとすることを拒んだ。
何度も抱きしめて夜を過ごしたことは事実だったし、確かに、最初に出会ったときから、アイはどこかほかのぬいぐるみとは違う、特別なものに思えたことも、事実だった。
必要がなくなったからこそ、大事にする。そういう考えは新鮮だったし、他人の思考に流されるのも、いつもの私だと思った。
しかし、それが良くなかった。
制服からジャージに着替えている最中、不意に、アイの首が動いたような気がした。傾げるように、角度を変えたように見えた。気のせいだと思ったし、実際には多分、動いてなんて居なかったんだと、思い込んでいる。
でも、一瞬前のアイは、ああいう格好をしていただろうか。あの位置から私を見ていただろうか。
怖くなって、足に引っ掛けたジャージを放って、アイに近付く。
抱きかかえ、下から、後ろから、アイを観察した。
そして、正面からまた向かい合って、私は気付いてしまった。
それを叩きつけるように投げると、下着姿なのも構わず、部屋を飛び出した。
リビングで、呆けたようにテレビを見ていた兄に、
「アイの、ぬいぐるみの目に、目が――」
惑乱した、言葉にならぬ言葉に、彼は首を傾げた。
アイの、目の色が、命を切らしたかのように、変異したのだ。それを伝えたいのに、口がうまく動かない。
アイの、目の奥には、もうひとつ。
それが内包していたのは綿でもなければ、心でもなく、特別なところなど何もない、ありふれた欲望だった。
彼の言葉の、ひとつひとつを、思い出す。