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はるあらし  作者: 雨咲はな
本編
7/45

7.寸劇ショッピング



 いつまでも屋上にいても冷えるだけなので、おれとハルさんは腰を上げることにした。

 せっかくデパートに来たのだから、ぐるりと中を見て廻ってみましょうか、ということになり、建物の中へと入る。屋上遊園地のショーのついでにショッピング、というのも、本末転倒のような気がするのだが。

 エレベーター脇に貼ってある館内案内を二人で眺めながら、どこから行くかな、とおれは考えた。

 一階がアクセサリー、二階がブランドショップ、三階が女性用の靴やバッグ、四、五、六階が婦人服売り場、とある。廻るとしたらこのあたりか。ここが最上階だから、上から順に降りていけばいいだろう。

「じゃあ……」

「とりあえず、七階へまいりましょうか」

 六階から順番に、と言いかけたら、それよりも先にハルさんに提案された。え、七階? と驚いて、おれは館内案内の表示に目を戻す。七階は紳士用品売り場である。

「七階、ですか?」

「だって、ベビー用品はまだ早いでしょう?」

 確認するようなおれの問いかけに、きょとんとした顔のハルさんが、意味不明の切り返しをした。ちなみにベビー用品売り場は八階だ。

「でも、紳士用品なんて、見てもつまらないんじゃ? あ、それとも、お父さんやお兄さんに?」

「父や兄に特に何かを買う予定はございませんけど、買うものがなければ売り場を廻ってはいけない、なんてことはないと思いますわ。それとも、哲秋さんはこういったところでお買い物はなさいません?」

「いえ、そんなことはないですけど」

 うちの母親の場合、デパートでの買い物といえば、外商の人間に家まで来てもらって、あれこれ注文して運ばせたりするわけだが、おれや妹はそんなことはしない。カードがあるから出入りのデパートは利用しても、自由に見て廻って、欲しいと思うものを買っている。

「買うか買わないかはともかく、いろいろと見比べて、あれこれ無責任な感想を述べ合ったりするのが、ウィンドウショッピングの醍醐味というものじゃありませんか? でも……そうですね、男性には、そういうのは退屈ですかしら」

 ハルさんはそう言って、真顔になって首を捻り、考え深げに呟いた。


「……でしたら、何かもっと楽しめる工夫を考えないといけませんわね」


「え」

 おれは少し動揺した。一体、何をどう工夫するつもりなんだ。ハルさんの「考え」とやらは、どこかおれの常識の斜め上を突っ走っていくような気がしてならないのだが。

「いや、あの、退屈なんてことはないです」

 ないですから、変なことを考えるのはやめてください、と慌てて言おうとしたが、遅かった。

 何を思いついたのか、ハルさんが、ぱっと明るい表情になって顔を上げる。いそいそとした口ぶりで、「では、まいりましょう、哲秋さん」と言って、エレベーターのボタンを押した。

 うわー、イヤな予感がする、とおれは思った。



          ***



 最初のうち、ハルさんは普通だった。

 ディスプレイされている商品を見ては、色や形について楽しそうに批評したり、感心したり。男物といえど、あちこちを眺めまわすハルさんは、子供のように無邪気で、興味津々の様子だった。

 なんだ、別に心配することもなかったか、と、おれはホッとした。「正統的なウィンドウショッピング」というものをしているその姿は、可愛らしい一人の女性、以外の何物でもない。それを見ているうちに、自分自身もだんだん楽しくなりだして、ハルさんとおれは、あれこれ雑談混じりに話しながら、二人でのんびりと順番に紳士用品売り場のフロアを廻っていった。

 それはハタから見れば、恋人同士が仲良くショッピングを楽しんでいる図、としか見えないくらいの、平和な光景だっただろうと思う。あくまで、最初のうちは。

 ──とある店で、並べられたネクタイを見て、これが似合う、ああいう柄は好みじゃない、と話しているところに、笑みを浮かべた店員が「どういったものをお探しですか?」と近づいてくるまでは。



「ああ、いえ」

 見ているだけなので、とおれが曖昧に笑って言おうとしたら、ハルさんは店員に向かってニッコリした。

「彼に似合いそうなものを探しているんです」

「…………」

 来た。

 と、おれはその時思った。

 ハルさんの口から出た、彼、という呼び方に、なんとなく緊張する。残念ながら、甘い感情によるものではない。ハルさんの笑顔と声で、何かよく判らないけど、はじまっちゃったな、というのをハッキリと感じ取ったからだ。何かよく判らないけど、どうやらおれは、それに付き合うことになるらしい、ということも。

 若い女性店員は、ハルさんの言葉を聞いて、ますますにこやかに微笑み、何度も大きく頷いた。ええええ、判ってますよ、判ってますとも、という、自信たっぷりの態度だった。何を判っているのかは知らないが、多分、彼女はハルさんという人も、これからの成り行きも、まったく判ってはいない。おれもだけど。

「そうですね、こちらの方ですと、明るめの色がお似合いではないかと」

 と呑気に勧めてくる店員と、

「でも、かえって、こういう渋めのもいいんじゃないかしら」

 とすっとぼけて言うハルさんが、それぞれまったく別の色合いのネクタイを手に取り、おれの首の根元に押し当てる。どっちがいいか選べ、と言われるのかと思ったら、おれの意見はまったく聞かれなかった。おれはどうも、顔と上半身だけが存在していればいいらしい。

 二人はそうやってしばらく楽しげにやり取りを続けていたのだが、「彼女さんから、彼氏さんへの贈り物ですか?」と店員が笑いながら質問したところで、風向きが変わった。

「ええ、そうなんですの」

 ハルさんがそう言って、つと目を伏せる。

 それから、微笑を寂しげなものに変え、


「……これを、最後のプレゼントにしようと思って」


 と、ぽつりと呟いた。

「は……?」

 瞬時にして、店員の笑顔が固まる。おれも固まった。

「……えっ、と」

 途端におろおろとした様子になって、店員はおれとハルさんを交互に視線を行ったり来たりさせた。悪いけど、おれに説明を求めても無駄だよ。この場でいちばん話が見えていないのは、多分、おれだ。そして顔には出さないが、内心でいちばん焦っているのも、このおれだ。

「私たち、実は、今日でお別れなんですの。これが最後のデートなんです。なるべく終わりまで、笑顔でいようと思っていたんですけど……駄目ですね」

 ハルさんはそう言って、頬に手を当て、哀しそうに微笑んだ。

「…………」

 引いてる。店員が引いてるよ、ハルさん!

「だからせめて、これからの思い出となるようなものを贈りたくて、一生懸命選んでいるんですの。あとになって、手に取ったその一瞬でも、私を思い出してくれればいい、なんて。でも、そうなるとやっぱり、あれこれ迷ってしまって……。難しいものですね」

 重い設定だな!

 それはどういう状況なのか、まずそこを教えて欲しい、とおれは固まったまま、心底思った。最初のデートが最後のデートにすり替わっているのはともかく、別れるのにどうしてデートしてるのか、さっぱり理由が判らない。大体、別れるという、その原因は何なの? そんな悲しい顔をしてるってことは、この場合、悪いのは、もしかしておれなのか?

「……そ、そう、なんです、か」

 店員の声は、困惑のあまり、今にも消えそうに小さくなった。

 まあ、そうだよな。ふ、と弱々しい息を吐くハルさんは、楚々とした外見も手伝って、怖いほど絵になっている。おれでさえ、思わず同情しそうになったくらいだ。そんなハルさんに、元気に相槌を打つのも、「そんな時にはこちらがピッタリ」などと商品を勧めるのも、そりゃ憚られるだろう。

 かといって、じゃあどうしたらいいのか、大急ぎで頭の中の接客マニュアルをめくってみても、「別れのプレゼントを選ぶ客への対応」という項目は見つからないようで、店員の腰は引ける一方だった。だよな、そんな項目、ないよな、普通。

「……え、ええっと、あの……」

 言葉に詰まったまま、ぐるぐると混乱していた店員は、結局、

「そ、それでは、どうぞごゆっくりご覧になっていって、ください、ね」

 しどろもどろになってそんなことを言い、おれとハルさんを残し、そそくさと店の奥へと引っ込んでしまった。

 逃げたい気持ちはよく判る。というか、きっともう、呼んでも来てくれない。

「あら……今ひとつ、張り合いがありませんでしたわね」

 何と張り合うつもりだったのか、店員の姿が目の前から消えると、ハルさんは少し残念そうな顔になった。

 それから、乱雑になったネクタイをきちんと並べ直し、綺麗に整えてから、これでよし、というように頷く。突拍子もない言動をするわりに、彼女は几帳面な面もあるようだ。いや、今はそれどころじゃない。

「……ハルさん、今のって」

「どうでした? 少しは楽しかったですか?」

 そろそろと問いかけたおれをくるっと振り向き、ハルさんは屈託のない笑顔と共にそう言った。

「…………」

 うん、やっぱりね……。

 どうやら、これがハルさん流の、「ショッピングを楽しむ工夫」であるらしい。いや変だ。変だよ、それ!

「確かに、妙なスリルとプレッシャーは感じました」

「ふふ、それはよかったです」

 褒めてません。

「おれは買い物に、そういう楽しみを求めたことはないんですけど」

「まあ。それでは、新しい楽しみを発見してしまいましたわね」

 ハルさんはニコニコした。「自分のお手柄」みたいなその言い方は、いかがなものだろうか。

「いや、無理がありますよ。おれはハルさんほど、アドリブの利く性格じゃないし」

「そこは慣れですわ、哲秋さん」

 ぐっと拳を握って力説するようなことじゃないと思う。

「もしかして、おれが慣れるまで、これを続ける気ですか?」

「頑張りましょう。人によっては千の仮面を持つことも可能だと、本で読んだことがあります」

 聞きようによっては含蓄のある言葉を口にして、ハルさんはうんうんと頷いた。なんの本かは知らないが、迷惑な話である。

「さあ、では次へまいりましょうか」

 ショーのステージへ進んでいく時と同じ、堂々とした足取りで、ハルさんが楽しげに次なる舞台へと向かってフロアを歩いていく。おれは息を吐きだしながらそれに続き、果たして今度は何の役をやらされるんだ、と考えた。

 ……趣味、「演劇」ね。

 なるほど。

 ハルさんの書いた釣り書きに、嘘はない。



 それからハルさんは、ことあるごとに、おかしな設定を作り上げ、ある時は姉弟(ハルさんがおれの姉)、ある時は新婚夫婦、ある時は不倫カップル(おれに妻子がいることになっていた)として、そのたび店員を驚かせたり、微笑ましくさせたり、顔を引き攣らせたりした。

 しかし恐ろしいことに、ハルさんが言うとおり、こういうのは、回数をこなしているうちに慣れる。あんまり慣れたいとは思っていなかったのだが、慣れる。ちょっと破れかぶれな気分になりかけていたこともあって、おれはいきなりハルさんに役を割り振られても、さして驚くこともなく、自然体で受け止められるようになっていった。冷静になるとそれもどうかという気もするのだが。

 次第に、打ち合わせをしているわけでもないのに、二人の掛け合いも違和感なく出来るようになってきて、

「今のはよかったですわね、哲秋さん」

「そうですか? でもちょっと最後のあたりが納得いかないというか……」

「今度はもう少し緻密に設定を考えましょうか」

 と、デパート内のティールームで喉を潤しがてら、作戦会議を立てたりもした。簡単な脚本も作った。ハルさんもおれも、もちろん大真面目だった。バカだ。自分でも、そう思う。

 デパートにしてみたら迷惑な客ではあっただろうが、特に害はないのだからいいだろう。ひょっとして、店員たちの休憩時間の話題のネタ提供くらいには、貢献したかもしれない。



          ***



 ──そうして、おれとハルさんが、デパートの一階の出口から外に出た時には、すでに夕方近くになっていた。

 結局おれたちは、何も買わずに七階から延々と時間をかけて、一階まで店を巡ってきたことになる。女性とのショッピングに付き合ったことは何度もあるが、こんなことははじめてだな、と夕日を見ながら驚きと共に思った。

 今までデートなどで経験してきたそれは、ほとんど相手の買いたいものを見たり選んだりすることに費やしていた。時には、欲しいというアクセサリーや洋服を買ってやったりして、それで喜ぶ相手の顔を見て満足する──女性同伴のショッピングとは、そういうものだとばかり思っていた。

 退屈なんてことはないです、とハルさんには言ったものの、本音を言えば、少しばかり退屈な時間つぶし、程度にしか考えていなかった。

 ……でも、今日、終わってみれば。

 おれはまったく、「退屈」だと思う暇もなかった。やっていたことは確かに、馬鹿馬鹿しくて、子供の遊びのように、意味のないことばかりだったけれど。

「ハルさん」

 呼びかけると、はい? と隣のハルさんがこちらを見上げて返事をした。最初から何も変わらない、にっこりとした笑みを浮かべている。

「…………」

 おれは口を閉じて、その顔を見た。

 それから、少しだけ微笑んだ。

「──楽しかったですね」

「はい」

 おれの言葉に、ハルさんが嬉しそうに笑みを深める。

 デパートを長い時間かけて歩き回って、なのに何ひとつ自分の買い物もせずに出てきたというのに、そこにはまったく躊躇というものがなかった。

 おれはここでようやく、ハルさんという人を、ほんの少しだけ理解できた気がした。



 ……そうか。

 楽しかったのは、おれだ。

 おれがハルさんを楽しませた、んじゃない。

 ハルさんが、ずっと、おれを楽しませてくれていたんだ。




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