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はるあらし  作者: 雨咲はな
本編
5/45

5.再顔合わせ



 日曜日、母親と仲人おばさんによってセッティングされた待ち合わせ場所で、おれは落ち着かない気分でそわそわと相手を待っていた。

 ちらっとスーツの袖口から腕時計を一瞥する。約束の時間まであと五分。

 ハルさんは、まだ来ない。

 別に、女性との待ち合わせということで、緊張しているわけではないのだ。デートの経験くらいはもちろん何度もあるし、女性と二人きりで話をしたり出かけたりするのが特に苦手というわけでもない。どちらかといえば、おれは大概の女性に対して如才ない態度をとれるタイプで、それなりに紳士的に振舞うことだって、あまり苦にするほうではなかった。

 しかしねえ。

 駅前広場の噴水前、と勝手に決められた待ち合わせ場所に立つおれは、見合いと同じスーツ姿である。私服で出かけようとしたら、母親に見咎められ、「まあそんな姿でお相手に会うつもりなんですか、非常識な。スーツを着ていきなさい哲秋さん」と厳命されたのだ。おれには、母親の考える「見合いの常識」なるものがよく判らない。まさかとは思うが、ハルさんも着物で現れたらどうしよう、と不安になる。

 そもそもハルさんの性格も嗜好もまったく謎なのに、行ける範囲の限られる着物姿で来られたら、どうエスコートすればいいのか見当がつかないではないか。初デートとして、それはあまりにもハードルが高すぎるだろう。


 そしてもう一つ落ち着かない原因は、もちろん監視の有無にある。


 ない、とは思うんだけど。いくらなんでもそこまでしないだろう、とは思うんだけど。

 うちの場合、あの母親に「まさか」があんまり通用しないのが困るのだ。母親本人はいないにしたって、頼まれた誰かが今のおれをじっと観察しているという可能性が、きっぱり否定しきれない。こんな開放的な空間を待ち合わせ場所に指定したのは、どこからでもおれを見つけやすくするためなんじゃないだろうな、とつい勘繰りたくなってしまう。

 そう思いはじめると、誰かがどこかからこっちをじっと見ている視線を感じるような気もして、ますます落ち着かない。

 おれはさりげなく、周囲に顔を巡らせてみた。

 大きな駅前広場にはそこそこの人出がある。でも、みんな無関心な顔で、噴水前に立っているおれの脇を通り過ぎていくだけだった。

 犬の散歩をしている中年男性、きゃあきゃあ笑いさざめき合う女の子たち、手を繋いで歩くカップル、寄り添う老人夫婦、ニコニコ笑って立っている若い女性──

「え」

 ぎょっとした。


「ハ……ハルさん?」


 ハルさんは着物ではなくて普通の洋服姿だった。ベージュのふんわりしたコートから出ている足首はすらりと細く、履いている淡い色のパンプスが似合っている。先日アップにしていた髪は背中に垂らしてあり、サイドの部分を後ろでまとめているから、耳たぶを品よく飾る真珠のピアスがよく見えた。

 その格好で、噴水から離れた位置にある街灯の下に立ち、こちらに向かってニコニコ手を振るその姿は、通る人を振り向かせる程度に可愛い。うん、そう思う。思う、のだけど──だけど、あの人、なにやってんの?

「いらしてたんですか、ハルさん」

 ひょっとして待ち合わせ場所は噴水前じゃなくて街灯の下だったか? とおれが少々混乱するくらい、ハルさんは堂々とその場に立っていた。手を振るってことはおれに気づいているのだろうし、じゃあどうしてこっちに来ないんだろう、と訝しみながら、おれは小走りにハルさんの許へと駆け寄った。

 すぐ前に立ったおれを見て、ハルさんはふふっと笑った。

「哲秋さんが、いつ私に気がつくのか、ここで興味深く拝見しておりましたの」

 そして、腕を動かして目線を下げた。コートの袖口から覗く華奢な手首には、細いチェーンのような腕時計が巻き付いている。

「八分と二十六秒かかりましたね」

「そんな前からいたんですか?!」

 だったらさっさと近づくなり声をかけるなりすればいいではないか。もう一度言う。なにやってんの、この人。

「哲秋さん、ずっと駅の出口の方ばかり気にしているんですもの」

「じゃあ、反対から来たんですか?」

「はい」

「あ、つまり、タクシーとかでここまで」

「いえ、電車でまいりました。反対の出口から出て、ぐるっと回って逆方向から歩いてきましたの」

「…………」

 なぜに?

 おれの混乱は深まる一方である。行動の意味が不明すぎて、かえって理由を訊ねるのがためらわれる。ハルさん自身はまったく当たり前のような顔をしているから、なおさらだ。

 しかし、そこでおれは思い出した。そういえば、釣り書きに書いてあったっけ。趣味、「散歩」と。

 そして、さらに思い出した。


 ──趣味、「観察」。


 あれはこういうことを指していたのだろうか。おれを監視していたのは母でも母の回し者でもなく、デート相手本人だったわけか。いや変だろ、それ。絶対に変だろ。

 どうしていいか判らなかったので(本気で心底判らなかった)、おれは少しあやふやに笑ってその点を追及するのを避けることにした。聞くのがちょっと怖かったためもある。

「えーと、じゃあとりあえず、行きましょうか」

 そうなんだ、これはデートなんだもんな。謎は謎として、このままこんな場所で止まり続けているわけにもいかない。

 おれの提案に、ハルさんは「はい」と微笑んで従順に頷いた。こういうところだけを見れば、彼女は本当に大人しそうな大和撫子そのものだ。

 気を取り直し、二人で並んでゆっくり歩き出す。冷たい風がびゅうと吹いて、ハルさんの長い髪が空中に流れるように舞った。

「今日は少し冷えますね。寒くはないですか、ハルさん」

 問いかけると、ハルさんは髪の毛を手で押さえながらにっこりした。

「ええ、平気です。哲秋さんこそ、スーツの上にコートも羽織ってらっしゃらないですけど、寒くありません?」

「大丈夫ですよ」

「そうですか? 噴水前で待ってらっしゃる時、片足がそわそわ足踏みしているようでしたから、よほど冷えるのかと」

「…………」

 そういうところを見学してたわけですね。そう思ったなら、声をかけてくれればよかったのでは?

「冷えたわけじゃなくて、ちょっと落ち着かなかったんですよ」

 と本当のことを言ってから、ふと思いついて、冗談交じりに付け加えた。

「うちの母親のことだから、このデートに監視でもつけてるんじゃないかって」

 実際、おれを観察していたのはハルさんだったんだけどね。

「まあ」

 おれの言葉を聞いて、ハルさんは笑うでもなく、目と口を丸くして驚いたような声を上げた。

 まさか、とか、お母様に対してそんなことを仰ってはいけませんわ、とか、そういう類の言葉が続くのかと予想して、おれはちょっと笑った。おれの母親を知らない人間にとっては、それがぶっ飛んだ内容であることくらいは理解している。

「いや、もちろん、冗──」

「それは大変ですわ」

 冗談ですけどね、と言おうとしたおれの声は、いきなりがしっとハルさんに腕を掴まれ、喉の奥に引っ込んだ。

 は? と呆気にとられて目をやると、ハルさんはとてつもなく真面目な顔をしてこちらを見返している。

「哲秋さん、走りますよ」

「……は?」

「監視の目から逃れるんですわ、もちろん。安心なさって。尾行を撒く方法くらいは心得ておりますから」

 女スパイみたいなことを言うハルさんは、ものすごく真顔だった。

「あの、ハルさ」

「いざ、まいりましょう」

「いざって、ちょ」

「大丈夫、私、こう見えて足は速いんですの。パンプスでも百メートル十一秒は楽勝ですわ」

「どこのオリンピック選手ですか!」

 おれのツッコミが終わるのを待たず、ハルさんはおれの腕を掴んだまま、突然、走り出した。オリンピック選手ほどではないが、確かにパンプスを履いていてもかなりのダッシュ力で、走りも速かった。

 ヒールの音も高らかに駆けるハルさんに引っ張られて足を動かしつつ、おれはしみじみと痛感した。

 ハルさんに、冗談は通じない。

 ……いや、違う。

 ハルさんは、軽い冗談にも、全身全力で悪ノリをする。

 どちらにしろ、わけが判らない。



          ***



「……で、こ、これからなんですけど」

 駅前広場から離れた場所まで走って、おれはぜえぜえと息を乱しながら、これからの予定を確認するためになんとか声を出した。最近はマトモに運動もしていないため、なかなか呼吸が整わない。

「はい」

 ハルさんもはあはあと荒い息をしながら、パタパタと手の平で顔を扇ぎ、それでも律儀ににっこり笑って返事をした。見上げた根性である。ていうか、そうまでして走らなくてもよかったんだけどね。尾行を撒く、とか言っておいて、けろりとした顔のハルさんは後ろを振り返りもしない。

「どうしましょうか、映画でも」

「ベタですね」

「は?」

「ベタベタとくっつくカップルがたくさんいそうですわね」

 ふふ、と笑ってハルさんは誤魔化した。ベタで悪かったね。けど、初めてのデートなんて、そんなもんじゃないのか。

 とおれが思うのと同時に、ハルさんが言った。

「見合い相手との初デートなんて、話題の映画を見て、そのあと軽くイタリアン、適当にお喋りして時間を潰し、じゃあサヨナラと別れればいいだろう、みたいな感じですかしら」

「…………」

 まさに自分が考えていたデートコースをずばりと言い当てられて、口を噤む。ハルさんは心でも読めるのか。

「読めません」

 ニコニコしながら言われた。怖い。

 どう返すべきか迷っていると、ハルさんは微笑んだまま、「哲秋さん」と改まっておれの名前を呼んだ。


「──いくら断ることを前提としたお付き合いだからって、適当にお茶を濁しながらデートという名目だけが立てばいい、というつもりでお会いするのは、あまりに無為なことではないですか? せっかくこうして二人で共通の時間を持つのですから、少しでもお互いが楽しく過ごせるよう、努力いたしませんか」


「…………」

 おれは口を結び、ハルさんの顔を見返した。ハルさんの瞳はまっすぐにおれを向いている。

「……そう、ですね」

 ややあって、おれの唇から声が漏れた。自分の耳に入るその声は、我ながら、バツの悪そうなものだった。

 反論できなかった。

 多分、おれの頭の片隅にはずっと、「これはただの芝居なんだから」というのが引っかかっている。母をいなすため、これからの見合いから逃げるための、上辺だけ取り繕った付き合いだ。何度かデートという名の顔合わせをしさえすれば、それでいいんだろう、と考えていたことは否定できない。決して、ハルさんのことを軽々しく扱おうと思っていたわけではないのだが、そんな風に考えて過ごす時間が空虚で無為だと言われれば、まったくその通りだ。

 それはダメだろ。

 もともとハルさんは、おれの母親の勝手でこの見合い話に巻き込まれているのだし、それだったらおれはせめて、短くとも彼女に楽しい時間を提供できるよう、努力すべきだよな。

「すみませんでした、ハルさん」

 謝ると、ハルさんはひとつ目を瞬きした。それからほんの一瞬、微笑を苦笑に変えた──ような気がしたが、実際のところは定かではない。些細な表情の変化にひとつひとつ敏感に気づけるほど、おれはまだ、ハルさんのことを知っているわけではなかった。

「……あんまり判っていらっしゃらないようですけど、まあいいですわ」

 と小さな声で呟いてから、ハルさんはまた、いつものようににっこりした。くるりと顔の向きを変えて、人差し指で北の方角を示す。

「哲秋さん、あそこにデパートがございますでしょ?」

「ありますね」

 おれもそちらに視線を移して頷いた。買い物でもするのかな、とそのビルを見ながらぼんやり心の中で思う。

「あのデパートの屋上に、今どき珍しく遊園地があるのをご存知ですかしら」

「いや……すみません、知らないですね」

 屋上遊園地か。そういうものがあるということは知識として知っているが、実際に行ってみたことはないし、見たこともないので、どういうものなのかはよく判らない。回転木馬とか、売店とか、せいぜいそんな程度のものだろうとは思うのだが。

「何か特別変わった趣向でもある遊園地なんですか」

「いえちっとも。せいぜい回転木馬と売店がある程度のショボい遊園地ですわ」

「…………」

 ハルさん、心が読めないって本当?

「……で、それが何か」

「そこの遊園地には小さなステージがございましてね、そこで時々、ショーが開催されるんですの」

「ショー……。えーと、芸能人とかが来て、歌ったりするわけですか」

「まさか。犬やウサギの着ぐるみが出てきて歌ったり踊ったりするショーです。ひとつ格が上がって、特撮ヒーローショーですわね」

「…………」

 申し訳ないのだが、どういう格が上がるのか、おれにはよく判らない。

「見に行きません?」

「え」

 屈託なく誘われて動揺する。ついさっき、「楽しい時間を過ごせるように努力しよう」と決心したばかりなのに、着ぐるみやヒーローショーを見て、二十代の男女が楽しいと思えるのかどうかが、今ひとつ判断できなかった。

「おイヤなら、無理にとは申しませんけど」

 おれが返事に困ったまま黙っているのを見て、ハルさんは頬に手を当てて目を伏せ、しょんぼりした。なんとなく、本当に残念そうだった。もしかしてハルさんは本気で特撮ヒーローショーが見たいのだろうか。

「いえ、そんなことないです」

 おれは慌てて手を振る。嘘ではない。そういうショーが見たいかと言われれば正直微妙だが、どうしてもイヤというほどのものでもない。

「そうですか? よかった、では、まいりましょう」

 ハルさんは嬉しそうに笑って、元気よくデパートに向かって歩き出した。




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