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はるあらし  作者: 雨咲はな
本編
3/45

3.結婚って?



 帰りの車の中で、母親はあれこれとハルさんのことを訊ねてきた。

 どんなかたでした、とか、二人でどんなお話をしたんです、とか、印象はどうでしたか、とか、ハッキリ言って質問というよりは尋問だ。

「えー、まあ、おっとりとした、優しそうな女性でしたね」

 としか、おれは言いようがない。少なくとも、見合いの場において最初から最後まで、ハルさんは一貫しておっとりしていたし、物腰は柔らかかったし、優しそうでもあった。なのでおれのこの答えには、どこも嘘は混じっていない。彼女のいわくいいがたい別の一面については、おれ自身、まだよく判らないし。

「庭を歩きながら、どういうお話を?」

「どういうって、まあ……世間話ですかね」

 見合いを断ったところ、この話の裏の事情をぶっちゃけられ、その上で協力体制を強引に求められて、了承するに至りました、という内容は、うんと広義に解釈すれば、「世間話」として括れないこともない……かもしれない。

「お話は弾みましたか」

「弾……まあ、そうですね」

 何にしろ、なかなか濃密な会話の内容と時間だったことには違いない、よなあ。

「あちらのかたは、楽しそうでした?」

「……まあ、ずっと、ニコニコはされてましたね」

 そのニコニコが、途中からけっこう怖かったけどね。

「あなたはどうだったんです。お喋りは楽しかったですか」

「まあ……そう、ですね……」

 正直言って、びゅうびゅう吹いてくる風にくるくる振り回されて、飛ばされないようにしているだけで精一杯だったのだが。あの状況を楽しむ余裕を持てるほど、おれは大人物ではない。

「なんですか哲秋さん、まあ、まあ、ってハッキリしない。もっと自分の考えをしっかりおっしゃい。あの女性を気に入ったんですか、どうなんですか」

 曖昧なおれの答えに苛ついたのか、母がぴしゃりと叱りつけるように言った。「気に入ったかどうか」って、母の言い方は言い方で、あまりに露骨すぎやしないかという気がするのだが。

「そうですね……」

 なんと言ったものか、言葉を探しながら、何気なく目を上げると、バックミラーに映る一対の目とばっちり視線が合った。運転手の坂田さんは寡黙な人で、いつもほとんど喋らない無口な性格なのだが、この時おれと合わせている目は、ひたすら何事かを語りかけているようだった。

「……感じのいい、女性でしたね」

 おれがそう言うと、ミラーの中の目が、うんうん、とほんのわずか頷いた。それでいいんです、それでいいんですよ、と言っているみたいだった。とてつもなく同情を含んだ眼差しは、一体どういう経験から来ているものなのだろう。

「そうですか」

 母は一言だけ言って、ようやく少しだけ満足したように、深くシートに身を沈めた。

 これで、母の中にあった、おれのいろんな疑惑も、多少は晴れたのだろうか。念のため言っておくが、おれは断じて同性愛者ではない。それなりに女性経験もあるし、そちらのほうでもそれなりに問題はない。いちいちそんなことは母親に報告しないだけの話だ。

 でも、ここで断ったら、ハルさんの言うとおり、やっぱり何かあるのかと勘繰られて、病院に連れていかれたりするのだろうか。

 ……そうして、すぐにまた、次の見合いを持ってこられたりするんだろうか。

 おれはこっそり、息を吐いた。



          ***



「よう、哲。よく来たな、上がれよ」

 突然電話してマンションに訪ねていったおれを、兄はそう言って、気さくに招き入れてくれた。

 いつもは仕立ての良いスーツをビシッと着こなし、眼光鋭く部下に命令したりする兄だが、こうして普通にセーターなんかを着ていると、いかにも休みに寛いでいる父親のように見えるのが不思議だ。結婚する前とも、少し違う。自分の家族を持ってから、兄は雰囲気が柔らかくなった。

「義姉さんは?」

 室内に入ると、シックな内装にまとめられただだっ広いリビングは、誰もいなくてしんとしていた。義姉の姿も、まだ小さい甥っ子と姪っ子の姿もない。

「子供たち連れて、買い物に行ったよ。お前がこんな風にいきなりうちに来るなんて滅多にないし、もしかして俺に相談でもあるのかなと思ってさ。子供がいると、落ち着いて話なんて出来ないだろ?」

 電話では特に何も言わなかったのに、さすがに鋭い。昔から、この兄は他人の気持ちを読むすべに長けている。

「悪いね、せっかくの休みなのに」

 兄は非常に多忙な人なので、家族団欒できる機会は平生からあまり多くない。休日も仕事で潰れることはよくあるという話だから、今日のように妻子とゆったり過ごせる時間は貴重なものだろう。そう思うと、おれはかなり兄とその家族に対して申し訳なくなった。

「いいって、いいって」

 兄は笑いながら、隣接のキッチンに行って、「コーヒー飲むだろ?」と、豆を取り出した。手際よく挽いたり淹れたりする様子を見て、おれは感心してしまう。

「へー、兄さん、そんなことするんだ」

 独身時代の兄が、自分でコーヒーを淹れるところなんて、一度も見たことがない。桜庭の長男ということで、ケガをしたり病気をしたりしないよう大事に育てられた兄は、家の中ではいつも優雅にただ座っているだけの人だった。

「おう。っていっても、コーヒー淹れるのは、最近ようやく習得した技術なんだけどな。蒔ちゃんに教えてもらって、この間、なんとか合格点をもらったところだ」

 蒔ちゃん、というのは、兄の妻、義姉の蒔子さんのことである。子供を二人も作っているというのに、未だにここの夫婦はお互いを「蒔ちゃん」「さとちゃん」と呼び合うバカっぷりなのだ。それを知ってるのはおれと妹の愛美だけで、うちの両親の前では二人とも澄ました顔で、蒔子だとか智さんだとか呼んでいるわけなのだが。

「やってみると、けっこう楽しいぞ。蒔ちゃんが、『さとちゃんの淹れるコーヒーは世界で一番美味しい』なんて言うからさ、つい乗せられちゃうんだよなー」

 ああそうですか。

 デレデレと目尻を下げる兄は、これで外では「桜庭の若獅子」などと呼ばれて、その有能さと辣腕さを怖れられていたりするらしい。若獅子は、いそいそとコーヒーを二人分運んでテーブルの上に置くと、おれの向かいのソファに腰かけて、「どうだ、上手に淹れられただろう!」と子供みたいに胸を張った。

 湯気の立ち昇るカップを手に取り、おれは自分の口許へと近づける。世界で一番かどうかはともかく、香りはなかなか良い。いい豆を使っているのだろう。

「仲のいい夫婦で何よりだね」

「まあなー」

「きっかけは見合いだったのにね」

「まあな、運命ってやつかなあ」

「十六回目に廻ってきた運命か」

 ぼそりと言うと、兄はぶはっと飲んでいたコーヒーを噴いた。ゴホゴホとむせてから、うろたえたようにソファから立ち上がる。

「なんでそれ知ってんだ、哲!」

「その筋では有名らしいよ」

「ウソだろ、その筋ってどんな筋だよ!」

 おれだって知りたい。


「……実は、今日、母さんに見合いをさせられてさ」


 溜め息交じりに打ち明けると、「ああ……」と兄がすべてを納得したような声を出し、改めて座り直した。坂田さんそっくりな、同情のこもった目を向けられる。

「そうかあー、お前もとうとう……」

 同病相哀れむ、という言葉がぴったりの顔つきをされた。嬉しくない。

 おれは口を開きかけたが、その機先を制するように、兄がぴしりとおれに広げた手の平を見せた。

「言っとくが、その件について俺から母さんにやめるよう忠告してくれ、っていう相談なら無理だぞ。他のことなら、兄ちゃんいくらだって可愛い弟のために力を貸してやるけど、こればっかりは無理」

「……なんで断言なの」

「そんなことが出来るなら、俺は自分の時にとっくに何とかしてたって思わない?」

「なんで何とかしなかったの?」

 それを訊ねたくて、おれは今日、ここまでやってきたのだ。

 兄は昔からよく出来た子供で、頭もよく、要領もよかった。桜庭の跡継ぎということで、周囲からかかるプレッシャーというのも並大抵のものではなかっただろうに、表面上はきちんとその期待に応えながら、裏ではこっそりと遊んだり悪さもしたりして、上手に息を抜くやり方も心得ていた。

 兄なら、見合いがしたくなければ、角を立てることなくするりと母を躱せることなんて、いくらだって出来たはずではなかったのか。

 おれの疑問に、兄はしみじみと息を吐いた。

「一回目の見合いでさあ、俺、その場ですぐさま断っちゃったんだよね」

「え、その場ですぐさまって……ひょっとして、相手の女性の前で?」

 驚いて問うと、兄はその当時を思い出したのか、苦々しい表情で頷いた。

「そう。母さんに無理やり連れだされて、腹が立ってたこともあってさ。俺も若かったんだよ。ようやく仕事の面白さが判りかけてきたところで、結婚なんてまだまだだって思ってたから、相手と対面した次の瞬間には、『すみませんけど俺はまだ結婚する気はないんで、この話はなかったことに』ってきっぱり言っちゃった」

「…………」

 うわあ……と思った。

 なにも兄弟して、同じようなことをしなくても。

「そうしたら、母さんが激怒しちゃって」

「……だろうね」

「なんでも相手は相当いいとこのお嬢さんだったらしくて。彼女にも恥をかかせたし、こちらから頼んだっていうのに、向こうの家にも顔向けできない結果になった、って言ってさ。未だにその家との付き合いは断たれたままだっていうから、まあ、見合いとしたら、大失敗、ってやつだよな」

「…………」

 なるほど。それで母は、おかしな学習をしてしまったわけか。


 ──最初の見合いはお試しで、などという。


「で、そんな失敗して、普通は懲りるか、もうちょっと様子を見ようかな、って思うもんだろ?」

「そうだね。普通はね」

「母さん、あんまり普通じゃないからなあー。その二日後には、新たな見合いが用意されててさ」

「二日後……」

 電光石火の早業だ。どうやら母の辞書には、我慢、とか、辛抱、とかの言葉は存在しないらしい。

「……断らなかったの?」

「断るヒマもなかった。仕事を終えて帰ろうとしたら、坂田さんが待ち構えてて、まるで拉致されるみたいにして車に乗せられて、着いた場所にはもう、見合い相手が待ってた」

「…………」

 ほとんど犯罪ではないか。そうか、坂田さんのあの目つきの意味が腑に落ちた。

「それで俺もさすがに同じ轍は踏んじゃいかんな、って思って、そこでは適当にお茶を濁して、家に帰ってから、はっきり母さんに断りを入れたんだよ」

「……うん。真っ当なやり方だね」

「だろ? 母さんも『そうですか』って言うから、俺も安心してたら、一週間後には次の見合いがあって」

「…………」

「もう、とにかく、すごいんだ。尋常じゃないんだ、手口が。仕事相手との会食だっていうから出かけていったら見合い、ゴルフに行けば見合い、スポーツジムでも見合い、友達に映画に誘われれば隣に座ってるのが見合い相手。俺はもう、この世の誰もが信じられない、ってノイローゼになりかけた」

「…………」

 だろうね……。

「それで途中から腹を括ったんだよ、俺は。こうなったら五十回でも百回でも見合いしてやる、その代わり、絶対に自分が納得した相手と出会うまでは妥協なんてしてやらないぞ、ってさ。まあ運よく、そこまではいかずに、蒔ちゃんと会えたわけだけど」

 それが十六回目の見合いであったと。

「……そう」

 おれはなんとかそれだけ返事をするのがやっとだった。

 ハルさんの言葉に間違いはない。

 それじゃ何か、おれの運命も、これと同じようになるわけか。どこに行っても見合い、誰と会っても見合い。結婚を決めない限り、それが続くってことか。

 そうやって見合いをするにしろ、これから自分で相手を見つけるにしろ、あの家を出ない限り、おれは母親になにがなんでも結婚を強要されるってことか。そんなことまでして、結婚ってしなきゃいけないものなのか。


 ……結婚って、なんだ。



          ***



 おれは結局、その日の見合いのことを一部始終、兄にぶちまけた。兄のことは信頼しているし、自分がどうしていいのか、よく判らなくなってしまったためもある。

 兄は興味深そうにその話を聞いていたが、ハルさんという謎の生命体については、特に楽しそうに大笑いした。

「面白い人だなあ~。それで、しばらくの間、付き合うことになったわけか」

「半分以上、成り行きでね……」

「いや、ハルさんの言うことは筋が通ってるよ。確かにその状況じゃ、向こうからは断れないよな」

「……そう、かな」

 おれだって子供じゃないんだから理屈は判る。企業の強弱や上下関係というのも理解は出来る。でも、なんだかそれもおかしな話だよなと思わずにいられない。

 だって、もしおれがこの話に乗り気になっていたら、ハルさんはどうしたのだろう。母親の思惑はともかくとして、中身はさておき外見は大和撫子の綺麗な女性なのだから、そういうケースだって大いにあり得たではないか。その場合はおれのことがどんなに気に入らなくても、嫌いなタイプだったとしても、結婚を前提としたお付き合い、というものに承諾したのだろうか。


 だったらそれって、結局は、桜庭の息子という名がついていれば、どんな男でもいい、ってことにならないか。


「…………」

 イヤなことを思い出した。むっつりと黙り込む。

「まあ、あっち側がそこまで割り切って考えてるのなら、お前ももう少し気軽に受け入れてみたらどうだ?」

 兄はそう言ったが、そんな風に思えるのなら、おれはそもそもここに来ていない。

「……結婚じゃなくて、断ることを前提とした付き合いを気軽にしろって?」

 そんな時間を、どう過ごせばいいというのだろう。

「そう真面目に考えなくても。お前はどうも、昔から、気が優しすぎるっつーか、強気に出られないところがあるよなあ」

「どうせおれはボンボンで優柔不断だよ」

 腕組みして呟くと、「まあまあ。否定はしないけど」と兄に笑われた。

「意外と、付き合ってみたら楽しいかもしれないし。哲はさ、少しは女のことで苦労したほうがいいんだって」

「…………」

 兄の言葉に、おれは腕を組んだまま、口も結ぶ。腹の底あたりが重くなったことを、気づかれたくない。信頼している兄とはいえ、おれは自分のことを何もかも、打ち明けているわけではなかった。

 だってそんなこと、口が裂けたって言いたくない。笑われるのも、同情されるのも、真っ平だ。

 まだ、半年だ。もう半年、とも言えるかもしれないが、おれにとってはまだまだそれは触れられたくない生々しい傷のままであり続けている。

 案外、他人にとってはどうってことない話なのかもしれない。でも、当人にとっては笑い事では済まされない。少なくとも、おれはそれを笑い飛ばせる境地には、とてもじゃないけど達していなかった。

 真面目に結婚を考えていた女に、二股をかけられた挙句に捨てられた──なんて。




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