第漆話 抱える同じ想い…。
「まあ、俺は養護教諭なわけだが…日本史好きでもある」
「え?雪崎先生って保険の先生だったんですか?」
意外な顔をして見つめてくる千代に、誠志郎は「ここの生徒が何を言うか」と顔に出しつつ見つめ返した。
「お前のその身なりが不清潔だからだろ」
「これはラフな恰好してるだけだ。普段はちゃんと整えてるってちぃーも言ったじゃねえか」
なんの躊躇いもなくズバッと言い切る千志郎に、誠志郎がムッとしたように唇を尖らせ言い返す。
そんな二人の態度に話が逸れていることに気づきつつも、政宗は引っかかっていたことをそのまま問う。
「お前たちは兄弟なのか?」
「「え……」」
驚きの声をハモらせ、二人は政宗を見た。
その顔は髪型や服装は違えど、瓜二つと言って良いほど似ていた。
それは小十郎も思っていた事だったのか、彼等に確認するように言葉を続けた。
「兄弟…というよりは雪崎殿が二人いるように見えますが…?」
千志郎と誠志郎は嫌々ながらお互いの顔を見合わせると、一つ溜め息を吐き千志郎が答えた。
「僕と誠志郎は双子なんです。」
「双子…」
「僕が弟で、誠志郎が兄です…不本意ながら。」
「不本意とはなんだ、不本意とは。」
また睨み合いを始めた千志郎と誠志郎の双子の兄弟に、政宗はうんうんと何度も頷くと、くるっと小十郎を見た。
「…で、双子とはなんだ?小十郎。」
コテッとその場にいた全員が転けそうになる中、小十郎は体制を戻すと咳払いを一つした。
「双子とは……簡単に言うと、母体の中で同じ時期に二つの卵が成長し、同じ時に産まれた子供のことです」
「なに!?母体の中に二人も!?」
「あの…何故か恥ずかしい話してる見たいに聞こえるんで、一々驚かないでくれます?」
小十郎の説明に、雷鳴が落ちたかの如く驚く政宗に、一応養護教諭である誠志郎が恥ずかしげに小さく声をかけた。
そんな会話に耐えかねた千代が、今度は大きな声を上げる。
「もう!皆、脱線し過ぎですよ!」
「一番初めに脱線させたのはちぃーだけどな。…まあ、そんなわけで俺は特に戦国時代が好きなんだ」
「一時期、戦国物のゲームにハマっていたしな」
「そうそう!あれは特に面白くてだな…ってまた脱線するっての!」
千志郎との息の合った会話後、誠志郎は一つ咳払いすると政宗と小十郎を交互に見た。
「伊達政宗って名前は東北、今の宮城県周辺を統治していた有名な武将の名前だ。片倉景綱…呼び名は小十郎だっけか…は伊達政宗に忠誠を誓っていたすごい軍師だった人物と同じ名前だよ。
ちぃーだって、知ってるはずだ。前にテレビで特集やってたし、授業でも少しやっただろ?三日月の付いた兜被って、馬に乗ってる武人の銅像」
「あ…そういえば…見たかも。え、ということは…政宗さんたちは、その武将さん!?」
驚きに目を見張った千代は、政宗と小十郎を凝視する。
けれど誠志郎の話を聞いた政宗と小十郎もまた、自分たちのことがこの世界の者たちに、ここまで知られていることに驚きを隠せずにいた。
「どんな理由かは知らないが、仮説を立てるとしたら…」
「タイムスリップしてきた政宗さんたちが、術をかけられ犬の姿にされた…ってことだね」
誠志郎の続きを千志郎が話せば、考え込むように下を向いていた政宗が千代の膝から床に降り立つ。
そしてそのまま背を向けると、出口の方へと歩き出した。
「政宗さん?どこに…」
「すまない、少し席を外す」
一言そう述べると、政宗は器用に扉を開け職員室を出て行った。
その背がとても悲しげで、千代は追いかけようと立ち上がろうとした。けれどそれを制するように、小十郎が口を開いた。
「政宗様は、我らにとってかけがえのない大切な御方。けれど、だからこそあの御方は、自分に忠義を持って仕えてくれていた家臣を犠牲にし、生き長らえたことを悔やんでらっしゃるのです」
「え…」
「政宗様の決断無しに、術に関して詳しきことは言えませぬ。
しかしながら、そこの男の申す通り、政宗様は天下を取るべく戦いを選んだ御仁。“我々”は炎に呑まれる城から政宗様を逃がすため…打ち首覚悟で政宗様に嘘を吐き、次元移動の術を使ったのです」
小十郎の話の中にある『我々』という言葉に、千代はとても重く強い繋がりを感じ、知らず唇を噛みしめる。
先程の誠志郎の言葉に対する政宗の反応、そして先刻此処を出て行った時の政宗の背から、千代は政宗が抱えている「心」を知った。―――仲間を犠牲にし、生きる苦しさを。
出会って間もないと言えど、ほんの少しでも周りにそんな感情を見せない政宗に、千代は胸が締め付けられる思いがした。
誠志郎と千志郎もまた、小十郎の話から…政宗たちが犠牲にしてしまった者たちの正体に気付き、悲しげに顔を伏せたのだった。
「千代ちゃん?」
そこでいきなり立ち上がった千代に千志郎が声をかける。
こちらからは読み取れない表情。けれど彼女の纏う気配が悲しげなことに気付き千志郎は何も言わずフッと表情を緩めた。
「私、政宗さんのところに行ってきます」
「え…ちぃー!?」
「誠志郎」
駆け出す千代に手を伸ばそうとした誠志郎の腕を、千志郎が止める。
ハッとしたように弟の顔を見た誠志郎は、彼の言わんとしていることが伝わったのかゆっくりと伸ばした手を戻した。
「千代殿…?」
「あの、片倉さん…でいいのかな」
千代の背を呆然と見送っていた小十郎に、千志郎が話しかける。
振り向いた小十郎が見たのは、同性でも癒されてしまいそうなほど穏やかな表情をした千志郎の姿。
「…片倉さんたちにとって、その人たちは家族かな?」
「!…ああ。政宗様も、そう言うだろう」
「そうですか…。なら、後は千代ちゃんに任せて下さい」
「…?」
千志郎の真意が分からず、小十郎は首を傾げる。そこへ付け足すように、誠志郎の声が耳に届いた。
「あいつは…アンタ等と同じ気持ちを知ってる。だから…大丈夫だ」
「同じ、気持ち…?」
「アイツも……十二年前に、母親を亡くしているんだ。アンタ等のいう犠牲ってのでな」
「…!!」
誠志郎の言葉に、小十郎は衝撃のあまり二の句が継げなかった。
雪崎兄弟は既に知っていることなのだろう。落ち着いた表情をしていた為、小十郎も大きく取り乱すことなく一度その事実を受け入れ、続きを話すよう小さく頷いた。
「下に千代と同い年の弟がいるけど…そいつと俺等はちぃーと幼馴染なんだ。小さい頃からよく遊んでいたんだが…そんな弟と千代がまだ五歳の時、近くの山林で殺人事件が起きた。」
「亡くなったのは千代ちゃんのお母さんで……現場には、まだ幼かった千代ちゃんもいたんだ。」
「!…では、犠牲というのは……」
「ちぃーは…発見されたとき、母親の死体の下に隠されるようにして固まっていた。そのショックから何年も話すらまともに出来なかったし、犯人の顔はもう覚えていないらしい。」
「それどころかその犯人もまだ見つかっていないんだ…」
「目の前で…母親を」
誠志郎と千志郎が代わり替わりに話す内容は、小十郎の想像を遥かに超えていた。
何故なら今の千代からは考えられないほど、過酷な過去だったからだ。
小十郎の知る千代は笑顔に溢れ、優しすぎるほど優しく温かい少女なのだ。そんな彼女が、まだ幼き日に最愛の母を目の前で、そして自分を庇って死したとあらば、驚きよりも悲痛な思いが胸を占めた。
「今はもう、平気だよ。それこそ誠司さんや茂さんが側で支えたからってのもあるけど、一番は千代自身が頑張ったからだ」
「僕たちも役に立ちたくて、この道に進んだんだけどね…」
「バカッ、何口走ってんだよ!」
苦笑しながら言った千志郎の口を誠志郎が顔を赤らめ塞ぐ。
しかし出てしまった言葉は戻らない。小十郎は改めて二人の職業を思い出す。
(一方は甘味処、もう一方は養護…つまり医者のようなものか?)
甘いものは時に人の心を優しく溶かす。特に女子の心を掴むのはお手の物。
養護教論は生徒の怪我を手当てするのもあるが、もう一つ大事なことがある。それは生徒の心のケアだ。
この世界の職業を知らない小十郎であっても、二人の仕事が千代の為であることくらいは分かった。
(先程の無礼……許してやるか)
千代の為。それだけで動いてしまう自分の意志に、小十郎は苦笑を浮かべる。
彼は言い争いを始めてしまった雪崎兄弟を尻目に、此処にいない千代と主に思いを馳せたのだった。
* * * *
職員室から一番離れた場所にいるのでは、と考えた千代は屋上へと来ていた。
出入り口である重い扉を開けると、冬の冷たい風が容赦なく千代を襲う。
「さむ…。あ―――」
千代の思った通り、政宗はフェンス前に座り、空を見上げていた。
彼が人間だと知らない者が見れば、ただ豆柴が座っているだけに見えるだろう。けれど千代には、青年が…寂しげに、遠くへ思いを馳せているように見えた。
「政宗さん」
「…千代、か」
一声かけ、千代はゆっくりと政宗傍まで歩み寄ると、そっと隣に腰かける。
何か話しかけてくるだろうと身構えていた政宗は、ただじっと隣に座ったまま遠くを見つめる千代に、気付けば自分から話しかけていた。
「小十郎から、何か聞いたのか?」
「少しだけです。片倉さんは…政宗さんの許可なしに話しませんよ。そうでしょう?」
「!…そう、だな」
(分かり切っていることを聞いたな…)
千代の何気なく言った自分と小十郎の信頼の絆を、政宗は再確認すると苦笑した。
すると、どうだろう。政宗は胸に抱えるものを吐き出すかのように、千代に語りだした。
「前に、俺たちをこんな姿にした理由は話せない…と言ったが」
「はい…」
「俺たちは、本当は死んでいた身なんだ」
「っ!」
息を呑む千代に、政宗はフェンスの向こうに広がる町並を見渡した。
「この姿になったのは、運が良かったことだ。実際に同じ術にかかった家臣たちは、獣にならずに死んだ。
薄々気付いているとは思うが…誠志郎の先程の話にあるように戦国という世界で、多くの兵と民を従え奥州を統治していた俺を殺すため、相手はこの術をかけた。
俺にとっては暗殺など日常茶飯事だ。しかし…千代や茂殿に己の正体を明かした以上、敵の手が及んではと言えずにいた……すまない」
「そんな、謝らないでください!私たちのことを思って、言わずにいてくれたのでしょう?」
「ああ…いや、言えずにいたのは、家臣を犠牲にしたにも関わらず、こんな姿になるだけで生き延びてしまった自分自身を恥じたからかもしれない。家臣を残し、逃亡する主など…と」
苦しげに自身の犬の手を見つめ、それを強く握りしめる政宗。
そんな彼に、千代は一つ深く息を吸うと、一気にそれを言葉と共に吐いた。
「いい加減にしてください!!」
「!?」
「恥じるって、そんな酷いこと言わないで下さい!政宗さんを大切に思っているから、家臣の皆さんは自分の命をかけて政宗さんを逃がしてくれたんです!…その言葉はその人たちを傷つける言葉です!」
立ち上がり大声で続ける千代に、政宗は目を丸くすると彼女を凝視した。
そんな政宗の目を真正面から見つめるため、千代はしゃがみ込む。
「どんな姿でも、政宗さんは政宗さんでしょう?
自分の命を捧げてもいいと思えた人が、たとえ犬の姿だろうと…生きていることが分かったら、家臣の皆さんは嬉しいに決まってます。
恥じることが、何処にあるんですか?その姿は、皆さんが政宗さんの為に命を懸けた証ですよ」
ふわりと体が浮き、政宗は千代に抱き上げられたことに気付く。
そこから伝わる鼓動は、とてもゆっくりと音を立て、落ち着かせるように政宗の中に響いた。
(恥じる…。そうだな、俺は自責の念に駆られていたのかもしれない。)
少し胸が軽くなるのを感じ、政宗は千代の腕の中で目を閉じた。しばらく千代の心音に聞き惚れていた政宗は、ハッとしたように目を開けると千代の腕から抜け出す。
「その、すまなかった…。千代の言葉に救われた、礼を言う」
恥ずかしげに目を反らしそう言った政宗。すると、苦笑交じりの声が千代の口から洩れた。
「いいえ、生意気なこと言いましたけど……今の言葉、私のではないんです」
「…?」
反らしていた視線を戻し、政宗が見たのは辛そうな笑みを浮かべ、瞳を潤ませた千代の姿だった。
「私も、お母さんを目の前で亡くしているんです。」
「母を?」
「はい。…その頃の記憶はほとんどないんです。でも、今の政宗さんのように、私も母を死なせ、じぶんだけがって…責めていました。
そんな時、父が言ったんです―――『母さんはお前の所為で死んだんじゃない。母さんはお前を護れてきっと幸せだった。お前はそれだけ価値があるんだ。
私にとっても、千代は掛け替えのない大切な存在だ。だから…自分を責めないでくれ、千代。父さんは…お前の笑った顔が大好きだよ。
お前は…母さんが父さんに残してくれた、大切な宝物だ』…って」
その時のことを思い出しているのか、千代の瞳には涙が浮かんでいた。
「私…嬉しかったんです。母さんが亡くなったことはすごくショックだったけど、父やお爺ちゃんが私のことを宝物だって言ってくれたこと。
…でも、だからこそ同じくらい……後悔が胸を占めました。
どうして犯人を見ていなかったのだろう。どうして、私は覚えていないのだろう…って」
千代が言葉を紡ぐたび、似た思いが政宗の胸を占めた。
それは同じように大切な存在を目の前で亡くした者同士だからこそ、感じ取れるものだと政宗は思った。
(幼き少女に、母が目の前で殺されるという出来事は…あまりにも残酷で、その恐怖は奥深くにまで刻まれているのだろう。
こうやって話せるまで、どれほどの苦労を重ねてきたのだろうな)
「ふふ、ごめんなさい。政宗さんを、励ま…そうと…あれ?」
苦笑を浮かべていた千代の目から、涙が零れた。
ぽろぽろと溢れる涙に、千代は何度も目元を擦り拭う。
「ごめんなさい…っ、泣くつもりじゃ…」
「千代、少ししゃがんでくれないか」
「え?…はい――――っ」
政宗に言われるがまま彼に近づけるように顔を寄せたその瞬間、千代は生暖かいものが右頬を滑る感触がし、徐々に目を見開いていった。
(え……ええ!!?)
その感触は、政宗が千代の頬を流れる涙を舐め取ったものだった。
「ま、ままま政宗さんっ!?」
一気に頬に熱を上らせ、千代は政宗を凝視する。
他の者が見れば、犬が頬を舐めたように見えるだろう。しかし千代にとっては、政宗が元は人間の青年だということを知っている。焦るのも無理はなかった。
「うむ…やはり、しょっぱいな」
涙が残る前足をまるで猫のように一舐めし、政宗は悪戯っ子のような瞳を千代に向けた。
「しょ、しょっぱいじゃないですよ!」
「ふっ。だが、止まっただろう?」
「え、あ…。」
驚きからくるものではあったが、政宗の言う通り千代の涙は止まっていた。
(…慰めて、くれたのかな?)
目を丸くして政宗を見つめる千代の頬は、自然と朱に染まっていた。
「って、そういう問題じゃないですよ!?」
「ははっ」
慌てて赤くなっている頬を押さえる千代を見つめ返しす政宗は、どこか優しげな眼差しをしていた。
けれど千代にはその表情にふとした瞬間「凛々しい青年」の顔と重なって見え、どうにも胸が高鳴りもっと顔を赤くさせたのだった。
「さて、ここは寒い。…戻ろう、千代」
「もうっ…!…分かりました、政宗さん」
先に立ち上がり出口に向かい歩き出す政宗の後に続き、千代も残った涙を拭うと慌てて駆け出したのだった。
けれど政宗の背が、職員室を出る時見せた悲しげなものではなく、どこか頼もしげなもの変わっていたことに気付き、千代はふわりと微笑んだのだった。
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