第壱話 犬って喋るんですね…。
武将の名前など間違いがありましたら、お知らせ下さい。
店から数分後、千代と犬達を乗せた雪崎の車は彼女の家に着いた。
千代は子犬を抱きしめ車を降り、それに続くようにしてレトリバーも車を降りた。
すると車のドアを閉めた音と同時に、家の玄関の戸が勢いよく開き、中から慌てたように駆け寄ってくる人物がいた。
「千代!!」
「あ、お父さ…」
バッと子犬ごと千代を強く腕の中に抱きしめたのは、彼女の父『月之瀬 誠司』だった。
短めに切り揃えられた黒髪や、着ているスーツは少し乱れていた。
「帰りが遅いから心配したんだぞ?あちこち探し回ったのに見つからないしで…何処にいたんだ」
千代を抱きしめる手は震え、とても不安だった事が見て取れた。
「ごめんなさい…」
こんなにも心配をかけてしまったと反省し、父の胸に顔を埋めそう言った千代。
だが、抱きしめる強さが強く、息苦しさが限界だった彼女は、苦しいとばかりに父の腕を叩いた。
「お、お父さん…とりあえず放して?苦しいよ…」
「ああ、ごめんな。千代、怪我は無いのか?大丈夫なんだな?」
身体は離したものの、まだ心配だとばかりに千代の肩に手を置いて視線を合わせる父に、千代は安心させるように笑いかけた。
「うん、大丈夫だよ。……大丈夫」
「……そうか」
千代が肩に置かれた父の手に優しく触れると、彼はやっと安堵の表情を浮かべた。
そして、今その存在に気づいたと言わんばかりに後方にいた雪崎に目を向けると、雪崎の後ろの車に目を留め、一瞬で状況を把握したのか誠司は笑顔を見せた。
「ああ…千代を送ってきてくれたのか!ありがとう、雪崎くん」
「い、いえ!僕のほうこそ、もっと早くに連絡を入れておくべきでした。すみません」
「いや、いいんだよ。確か…君の家はここから結構遠かったよな?
これから雪は激しさを増すと天気予報で言っていたから、君は早く帰りなさい。交通事故にでも遭ったら大変だからね」
「は、はい」
誠司の前で恐縮しきっている雪崎に、千代は近寄ると頭を下げる。
「雪崎さん、送ってくださって本当にありがとうございました。ケーキ、皆で美味しく食べますね!」
笑顔でケーキの箱を持ち上げる千代に、緊張が解けた雪崎は微笑んだ。
「それから、父のあれは『職業柄』しょうがないので気にしないで下さい。あれでも、心配しているんです…雪崎さんのこと。」
「うん、分かっているつもりだよ。だけど、やっぱり目の前にいると緊張しちゃうよ…はは。」
小声でそう言った千代に照れくさそうに笑みを深めると、雪崎は車に乗り込んだ。
「それじゃあね、『千代ちゃん』。また、お店に来てくれると嬉しいよ」
「はい、絶対行きます!」
「それでは、失礼します」
誠司に一礼し、雪崎を乗せた車は降り続く雪の中を走り出した。
「それで……この傷は?」
「痛っ…!!」
雪崎の車が見えなくなると、誠司は千代の腕を掴んだ。
そこは先程レトリバーが噛み付いた所だった。制服に隠れて傷口は見えないが、余程深く噛み付かれたのか手首辺りまで血が流れていた。
「どうしたんだ、この傷!大丈夫じゃないだろう!?それにこの犬達はなんだ?まさか拾ってきたとか言うんじゃ…!」
「そんな場合じゃないの!早く温めてあげないと、この子死んじゃう!!」
マフラーに包んだまま制服の中に入れるようにして抱きしめていた子犬に視線を向けた千代は、誠司の手を解き玄関に駆け込む。
状況がまったく分からず雪の中一人取り残された誠司の横を、レトリバーが何食わぬ顔で千代の後を追い家の中に入っていった。
それを呆然と見送り、我に返った誠司も慌てて千代を追いかけたのだった。
――――「…よかった」
畳の香り漂う部屋に敷かれた毛布の上で、気持ちよさそうに眠る豆柴を見つめ、千代は安堵の息を吐いた。
その横では心配そうに豆柴を見つめるゴールデンレトリバーが座っている。
「もう大丈夫だよ、お風呂にも入れたしストーブの前でこうやって温めていればすぐに元気になるよ。アナタも少し休んだらどうかな?」
千代が安心させるようにそっと頭を撫でようと伸ばした手をスッと避けると、レトリバーは千代と豆柴の間に座りなおし千代を見つめた。
その瞳は、千代を見極めようとしているような瞳だった。
(私は敵か、味方か…。それを知りたいって感じがする…って)
「そんなの、犬が考えるわけ無いか…」
「おい、千代!!」
「あれ…この声」
部屋の外からバタバタと走る音が聞こえたかと思った次の瞬間。
―――バンッ!!
千代たちのいる部屋の襖が開き、素早い影が部屋に入ってきた。
それに驚きゴールデンレトリバーは千代と最初に対面した時と同じように豆柴を護るように立ち、唸りを上げた。
「ほほう…獣にしてはなかなかの殺気じゃのう」
「“お祖父ちゃん”!?…もう、いきなり入ってこないでよ!この子も驚いちゃったでしょう…?」
千代の視線の先、白髪の短い髪に、群青色の羽織を羽織った千代より少し背の低い老人がいた。
それは彼女の祖父『月之瀬 茂』で、彼は怒ったように抗議した。
「何を言うか、千代!祖父ちゃんはお前を護ろうと此処に来たのじゃぞ!?凄まじい殺気をその獣から感じるのだ!離れよ、千代!!」
「もう!この子はお祖父ちゃんに驚いてるだけだよ!だ・か・ら!!」
「むむむ!!?」
「今すぐご飯の用意はするから、茶の間で待ってて、ね!!」
千代は祖父を押し出しパタン!…と、戸を閉めると脱力しその場に座り込む。
「…えっと、ごめんね?私のお祖父ちゃんが驚かせて…でも、悪い人じゃないんだよ。とっても優しくて、とても温かい人なんだ…」
レトリバーの視線に気づいた千代は頬を染めると、まるで自分のことのようにそう言って微笑んだ。
千代の笑顔から、祖父を大切に思っているのが伝わってきたのか、レトリバーは目を細めると豆柴の側に座りなおした。
(まただ…。まるで、私の言葉が解っているみたい…)
最初に会ったとき、千代の言葉に噛み付くのを止めた犬。
そして先程の時も、千代の気持ちが伝わったからこそ気を静めたレトリバーに千代は半信半疑で、問いかけてみる事にした。
「ねぇ…。もしかして、私の言葉が……解るの?」
そう言った瞬間。
目の色を変え、レトリバーは牙を見せ勢いよく立ち上がると、千代に近づいてきた。
その姿はまるで命の危険に晒された獣が獲物をしとめる為には、容赦はしない…というような感じがし、千代は恐怖のあまり顔を青ざめ動けなくなってしまった。
「ガグルルルゥ!!」
何故、この子は此処まで敵意を剥き出しにするのか。
それが解らないまま、千代は目の前に牙が迫り、ギュッと目を瞑ったその時。
「やめろ、小十郎。」
凛とした男性の声が聞こえた。
その瞬間、千代の目の前にあった殺気がピタリと止まった。
「お前は、恩を仇で返すつもりなのか?」
声がだんだんと近づいてきているのに気づき、千代は恐る恐る目を開けた。
そこにいたのは豆柴とゴールデンレトリバー。他には誰もいなかった。
聞き間違いかな?と思い、千代がキョロキョロと周りを見回していると、プッと噴き出す声が彼女の『足元』から聞こえてきた。
「面白い女だな、自分から聞いておいて分からないとは…。まあ、確かに普通は信じられないか」
いつの間にか側に来ていた豆柴の小さなフワフワの前足が、ポンッと千代の膝に乗る。
(ま、まさか…!?)
ゆっくりと千代が視線を足元に移すのと同時に、今度はハッキリと…先程と同じ声が彼女の耳に届く。
「今、話したのは『俺』だ。これで分かったか?女」
千代と視線が『絡み合う』豆柴。
その口が動くたびに聞こえたのは、間違いなく人の『声』だった。
「し、喋ったぁあああああ!!?」
「お、おい!落ち着け、女!」
「いい、犬が話してるぅう!!?」
パニック状態に陥った千代に、豆柴の声は届くわけが無く、彼女は頭を抱えて蹲った。
(まって、まって待って!!な、何?訳分かんない…犬が喋るなんて…なんて……)
「お、おい?…!!……おい、女!?おい!!!」
豆柴の声を聞きながら、千代はパニックのあまりその場に倒れ込むと意識を手放したのだった。
――――「参ったな…倒れるなんて思わなかった……」
千代の顔を覗き込んだ豆柴が、困ったように頭を掻いた。
そんな豆柴を見つめ、レトリバーはため息を吐くと豆柴に身を寄せる。
「貴方様がいけないんですよ、いきなり話し出してしまうから…」
「元はといえばお前のせいだろう!威嚇して今にも噛み付こうとするなんて、恩人に対して無礼だろう…小十郎」
豆柴が睨みつけると、小十郎と呼ばれたゴールデンレトリバーは頭を下げた。
「それは、申し訳ありませんでした。しかし、貴方様は無策すぎます。」
「何だと?」
「命の恩人といえど、所詮は他人。下手をしたらこの者は『奴ら』の間者かも知れません、ですから無闇にこちらの事情を知られるわけには―――…!!」
ドンッと、レトリバーが畳に倒れ込む。
その上には豆柴が乗り、牙をレトリバーの首元に突き立て低く言い放った。
「だからといって、見極めもせずに安易に命を奪う事は…お前でも許さないぞ『影綱』。彼女は俺の恩人だ。それに…」
レトリバーから降りた豆柴は千代に近づくと、前足を彼女の顔に置いてペシペシ叩いた。
「こんな直ぐに気を失う奴が、間者なわけないだろう?」
「そ、それは…」
直ぐに立ち上がったレトリバーも千代に近づくと、豆柴の隣に並び考え込んだ。
「それに俺は、コイツを信じてみたい。」
キラキラとした瞳で迷い無くそう言った豆柴に、レトリバーは仕方ないとばかりに息を吐くと深く頭を下げた。
「…分かりました。最初から私には決定権はありませんしね…そうでしょう?『政宗様』」
「はは、分かってるじゃねえか…。だがな小十郎、俺の右目はお前だけだ。この意味…分かれよ?」
「っ…!はい、この命尽きるまで…貴方様と共にありまする。我が主…伊達政宗様」
凛と構える青年の姿が豆柴と重なり、またその人物に傅く一人の男の姿がレトリバーに重なった。
だがそこで、豆柴が焦ったように千代に目を向け、レトリバーに話しかけた。
「……って、コイツどうしたら、いい?」
豆柴の問いに、レトリバーは千代を飛び越えると器用にも前足で襖を開けた。
「先程いたご老人か、この者の親だと思われる人物がこの家にはいるようなので、私が呼んでまいります。…勿論“一切人の言葉は話しません”ので、ご安心を。」
「なんだ、最後の言い方…なんか腹が立つな。」
「………。気のせいでしょう、では行って参りますので…おとなしく此処にいてくださいね、政宗様」
駆け出していったレトリバーを見送り、豆柴は千代の側に寄り添うように寝転がると窓の外に目を向けた。
今だ降り続く雪は激しさを増し、地面が雪で覆いつくされるのは時間の問題だろうと豆柴は思った。
(目覚めたら、今度は倒れずに俺の話を聞いてくれ……俺の、命の恩人よ)
目を閉じた豆柴の脳裏に浮かぶのは、助けてくれたときの必死な千代の姿だった。――――
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