二〇〇七年 六月二二日 Ⅱ
いつものように昼休憩には、航大たちは食堂のテーブルを一つ陣取っていた。
食堂には周囲からワイワイと騒ぎ合う声が響いてくる。それらの声は楽しそうな話題で盛り上がっており、どこのテーブルでも笑顔が絶えない。
「旅行……?」
航大から話を聞いた咲良は素っ頓狂な声を上げる。
「そうそう!! 希が俺らのグループになってから、まだほとんど遊びに行ってないじゃん。もう少しで夏休みだし、どっか遠出でもしようって俺らで話してて――」
「ふ~ん」
軽く興奮している誠の話を聞いた咲良の反応はそれほど乗り気には見えない。話半分で聞いているようにも見えた。
「な……っ!? 嫌なのか?」
「そんなこと言ってないじゃない。旅行の話はいいけど、それって航大の提案じゃないでしょ――?」
「え……っ!? な、なんでそう――?」
咲良は的確に誠の作戦をついてきた。そのことに誠は動揺を見せる。まるで初めから分かっていた、とでも言わんばかりの咲良の勘の鋭さである。
「や、なんとなく。航大はそういうの自分から言う方じゃないし――」
「あ……」
鋭い咲良は誠の動揺を見て、この提案が誠によるものだと見抜く。
「まぁ、旅行することは別に嫌じゃないけど――。でも、どこ行くとか決まってるの?」
「い、いや、そこまで話せれてなくて……」
「なに? じゃあどこに行くのかも、何をするのかも決めてないの?」
強気で突っかかってくる咲良に、誠はたじたじとしながら言葉を返すしかできない。その様子を、助け舟を出すでもなく裕也は弁当をいつものように食べていた。
「いいの?」
その裕也に、二人のやり取りを見て心配した希がささやく。小声で話しかけられた裕也は、黙々と食べていた弁当から箸を止めて、希のほうへ顔を向ける。
「いいんじゃない?」
「で、でも――」
「喧嘩してるわけでもないし、旅行の話自体も誠が一番に言いだしたことしな。それに咲良も旅行には行かないとは言ってないじゃん」
隣でがやがやと言い合っている誠と咲良を見て、裕也はまたかというような表情を見せている。二人のやり取りを裕也は止めようともしない。それは航大も同じで、誠に変わって旅行の提案をした後は黙って二人のやり取りを見つめている。
「咲良が気に入らないのは、誠が何も考えてなくて、ただ行こうって言っただけだからだろ。それは俺も思ってたし、誠が悪い部分もあるさ」
「そんな――」
二人のやり取り、というよりも咲良が強く言っているのを止めたいと思っている希だが、その勢いに萎縮してしまって、自ら咲良を止めることができないでいる。裕也はいつものこと、と二人のやり取りを静観して止める素振りも見せず、航大も希と同じような状況だった。
「大丈夫だって。そのうち治まるだろ」
そう言い締めて、裕也はまた弁当に箸をつける。
「むぅ……」
その間も咲良の言葉は止まらないでいた。すでに咲良を止めるつもりもない裕也に代わって、見るに堪えなくなっていた希は、
「ちょ――、ちょっと!」
勇気を振り絞って、咲良に声をかけた。
「……っ? なに?」
不意に話しかけられた咲良は驚いた表情を見せた。
「もうそれくらいにしなよ。みんなで楽しく旅行したいし――」
「希……」
希に言われて、咲良は自分が誠にあまりにも突っかかっていたことに気付いた。見れば、誠は普段とはかけ離れたシュンとした姿になっている。その誠の表情を見て、咲良は誠に謝る。
「ご、ごめん――。言いすぎた……」
「い、いや……」
二人の間に微妙な空気が漂う。それは次第に広がり、航大たちが陣取っているテーブル全体が静まりかえる。
食堂の雰囲気は賑やかなままで、テーブルが静かになったことで周囲の会話が倍の大きさで聞こえてくる。やはり、それらの会話は楽しそうな笑い声で満たされていて、航大たちは些細なことで言い合いをしていたことが恥ずかしくなる。
「はいはい――っ! それで、旅行行くんだろ? どこに行くか、みんなで決めようぜっ」
そんな居心地の悪い空気を変えようと、それまで静観をしていた裕也が声を張り上げた。急に大きな声を出した裕也に、航大たちの視線が集中する。
「旅行行かないのか? 誠も言ってたけど航大ともこうして友達になれて、希とも仲良くなれて、俺たちも遠出とかしたことなかったろ?」
視線が集まる中、裕也は一人一人の顔を見渡して、誠が言った言葉を繰り返した。
「そ、そういえばそうだね……」
先ほどの自分の言動が恥ずかしいのか、咲良は弱々しく裕也に同調する。
「だろ? だから誠も旅行行こうって言ってるんだよ。いつ行くだとか、どこ行きたいとかも自分から提案するよりも、みんなで考えて計画したほうが楽しいしな。だから旅行雑誌もわざわざ買ったんだろ?」
そう言った裕也は、意味ありげな視線を誠へと送る。
「?」
その意味が分からない航大たちは、視線を向けられた誠へと顔を向ける。
「あ、あぁ――」
いきなり話を振られた誠は一瞬何のことかと戸惑うが、持ってきた鞄の中をがさがさと漁りだして、一つの旅行雑誌を取りだす。
その旅行雑誌を見て、咲良は目を丸くする。
「これ、誠が買ってきたの?」
「当たり前だろ。旅行行こうって計画立てるなら必要かと思って――」
「へ、へぇ~」
旅行雑誌を自ら買ったという行動があまりにも意外だったらしく、咲良はそれまでの恥ずかしさは何処かに消え去ったように素で驚いていた。
どこで買ってきたのか、誠は旅行雑誌をぱらぱらと捲りながら、
「秋には修学旅行だし、それまでにみんなでどっか行きたいなって考えてたんだよ」
と旅行の計画をずっと前から考えていたことを打ち明けた。
「そっか! 二学期には修学旅行があるんだったね」
「そうだよ。それまでにはみんなで遊びに行きたいじゃん! 夏休みがあるから絶好の機会かなぁ~って思ったんだよ」
修学旅行の存在を忘れていた希に、誠は言った。
航大たちが通っている高校の修学旅行は二学期の初めの方に予定されている。季節を微妙に外すことでかかる費用を抑えることと、修学旅行先の学生の多さを外すことを狙っているのだ。
「ところで、修学旅行ってどこ行くんだっけ?」
修学旅行のことをほとんど覚えていない希は、みんなに尋ねた。
「ん? 東京だけど……?」
「そう……なんだ――」
修学旅行の行き先を聞いた希の表情が一瞬曇る。
「……楽しみだね!」
「? あ、あぁ――」
その一瞬の変化に気付いたのは希の方を向いていた裕也だけだった。
航大は自分の弁当を食べており、誠と咲良は旅行雑誌に目を通していた。どうやら咲良は旅行に乗り気になったみたいだ。
「それで、どこ行く?」
「東京は修学旅行で行くからとりあえずナシだろ? 関西辺りはどうだ?」
旅行の計画を仕切りだした咲良に、誠は提案した。
「おいおい、そもそも日帰りか宿泊するのかも決めてないだろ?」
俄然話し合いにやる気を見せている二人に、落ち着け、と裕也は言った。
裕也の言う通り、宿泊するのか日帰りにするのかすら決まっていない。どこに行くのか決めてから、それを決めるのもアリだが、それでもみんなのお金の問題があった。
「せっかくだし泊まりのがよくね?」
「俺は別にそれでも構わないけど、航大や希にも確認を取れよ」
「そ、そっか――」
自分の都合だけで考えていた誠は、裕也に言われて改めてみんなに問う。
「私も泊まりがいいかな~」
転校してきてからまともに遊んだこともない希は誠の考えに賛同する。一方の航大は即答することができない。
希の返事が誠にとって良いものであったことから、さらに調子づく誠は、
「そっか! 航大は?」
「……僕は……」
誠に返事を催促された航大は、言葉が詰まってしまう。
宿泊での旅行は身体が悪い航大にはあまりに危険が多い。しかし、みんなと行く旅行にはなるべくというよりも絶対参加したい。その相反する気持ちが航大の中で渦巻いている。
さらに、
(母さんたちにはなんて言おう……)
という問題もあった。
両親が容易に納得してくれるとも限らない。修学旅行ですら、学校の教師たちにもしもの場合は最善を尽くさせるという良く分からない取り付けを行ったほどなのだ。
「……僕は、どっちでも構わないよ」
結局、航大はそう苦し紛れに言うしかなかった。
「そっか。まぁ、まだ泊まりで行くとは決まってないからな」
航大の返事の間を誠は気にもしないで、言った。
誠は、航大が気にしているのはお金の面だと思ったのだ。この中の誰一人としてバイトもしていないため、その問題はもちろんあるが、誰もがそれは親に相談しようと考えている。
「よし! じゃあ、どこに行こうかの話し合いな!」
気を取り直して、誠は購入してきた旅行雑誌をみんなが見えるようにテーブルの上に開く。
旅行雑誌には『夏の旅行大特集』という旅行プランが大きく取り上げられている。それには観光メインだけではなく海水浴やバーベキューなどのアウトドアも特集されているようだ。
「みんなはどこか行きたいとことかあるか?」
旅行雑誌を開いた誠は、みんなに尋ねた。
「行きたいととこね~」
「ん~…」
尋ねられたみんなはそれぞれ黙り込む。
旅行はしたいという気持ちはあるが、はっきりと行きたい所がないのだ。特に咲良はそうだった。
一方、裕也はテーブルの上に開かれた旅行雑誌をぱらぱらと捲っている。
「泊まりでいくなら、これにあるプランとかがいいんじゃない? 一から考えると意見の食い違いあるだろうし、遅くなったら宿取るのも苦労しそうだし」
旅行雑誌の旅行プランのページを見ながら、裕也は何とはなしに言った。
「でも、行きたい所とは限んないじゃん」
「そういうの拘ってたらどこにもいけないだろ? みんなが行きたい所が一致するとは限んないじゃん」
「そうだけど……」
「だろ? だったら、プランにある中からみんなが行きたいとこ探すのがベストじゃない?」
裕也と誠が熱く話し合っている横で、旅行雑誌に希も目と通す。
裕也が言ったように、そこには多数の旅行プランが紹介されている。その中にも魅力的な旅行が幾つもあった。
「ね、ねぇ、ちょっといいかな?」
その旅行プランを見ていた希は話し合っている裕也と誠、そのやり取りを見ていた航大、咲良に言葉をかけた。
「ん?」
「どうした……?」
「なに?」
希の言葉に、裕也たちはそれぞれ別の反応を見せる。航大だけが何も言わずにじっと希のほうへ向いた。
みんなの視線が集まる中、希はおもむろに自身の願望を口にする。
「えと……。その、私、まだこっちに引っ越してきてから二カ月ちょっとしか経ってなくて、みんなでどこかに旅行に行くのもいいけど、みんなにこの街やこの県の案内をしてほしいなって思って――」
視線を俯かせながら、希は小さな声でそう言った。
「そ、そっか――」
「いいじゃん、それ! 夏休みの旅行はこの県の観光やアウトドアにしないか? 希にこの街や県の魅力を教えてやるんだよ」
それまでの勢いが削がれたような声を上げた誠とは違い、裕也は希の提案に大きく賛同する。そして、航大たちにも希の願望を提案した。
「私はそれでもいいけど――」
「僕はそれがいいな。この県にも行ったことがないとこはまだまだあるし」
裕也の提案に、咲良と航大はそれぞれ乗っかる。
航大たちの反応を見て、一人残った誠も、
「……そうだな、引っ越してきた希にはまだ知らないことも多いもんな!」
と思い直す。
せっかく購入した旅行雑誌は無駄になるが、希の希望を叶えるのが今は大事だろうと思ったのだ。それに、転校してきた希と遊びに行くのだ。希の希望をまず聞くのが筋だろうと誠は今さらに気付く。
これで夏休みの旅行の計画はとりあえず決まった。
県内のどこに行くか、泊まりにするかなどの詳細はまた後日でもいいだろう、と航大たちは食堂のテーブルから立ち上がる。
その時、午後の授業の予鈴が鳴り響いた。