(9) ~ ギルド入団すでに決定
タリハラは見張りの青年と別れたあと、すぐさま厨房で準備されていた朝食を、事情を話して一人分確保し、ついでにロビーで仲間と今後の予定を話していたランギスを見つけると、そのままマコトの部屋へ案内した。
「あの、昨日の今日ですけど、大丈夫なんですか?」
「ええ、思った以上の回復力です。私たちの魔法以外にも、あの子自身の体質にもよるのでしょうね」
朝食ののったプレートを手に、タリハラはやや早足でマコトの部屋へ向かっていた。隣をいくランギスも、なぜ早足なのだろうと疑問に思いつつ、ペースを合わせる。
そして、マコトの部屋の前について、タリハラがドアを開けてくれるよう頼む前に、ランギスは素早く前に出てドアノブに手をかけた。もう一方の手で素早くノック。「失礼します」とランギスが言って、ドアを開くと。
「あ」
一、二、三、四、と小さくかけ声を出しながら、屈伸運動を行なっていたマコトの姿があった。当然、ベッドから降りた状態で、スリッパも履かずに。
「……」
「あらあら、あら」
本当に元気になってる、と半ば呆然としかけたところで、ランギスはごく近い場所から放たれる殺気にも似た気配に、身の毛をよだたせた。その気配を発している張本人、タリハラは、近くの一人がけ用テーブルにプレートを置いて、ゆっくりと手を差し出す。
「一旦ベッドに戻って、それからもう一回、お説教ですよ?」
「……はい」
もう一回という言葉に引っかかりを覚えつつ、ランギスは
(ああ、これはしばらく話聞けそうにないな)
そう判断し、ドアを閉めて軽く目を閉じた。ごそごそという衣擦れの音がしたあと、普段から穏和なタリハラのものとは思えないような厳しい声が室内に響く。内容は、推して知るべし。
しばらくすると、ドアの側にいたランギスにしか聞こえない程度の、とても控えめなノックが鳴った。ランギスは腕組みをして唸りつつ、そっと扉を開く。
「どのような用件ですか?」
「あ、のー、タリハラさんに頼まれて、こっちの猫を」
顔をのぞかせた青年が持ってきたものを見て、ランギスは軽く頷く。
「ああ、入ってください」
「いえっ、失礼しますというか失礼させてくださいお願いしますっ」
そう言ってドアをさらに開けようとすれば、彼が持っていた猫入りの檻が入る程度まで開かれた瞬間、がっちりと青年にノブを外側からつかまれて動かせなくされてしまった。せわしなく視線をあちこちに向ける青年の様子に、ランギスは合点がいったように、もう一度頷く。
「あー……タリハラさん、ですね。はい、分かりました。じゃあ猫だけ受け取ります」
「ありがとうございます……っ」
檻を差し出した青年は、ほーっと安堵のため息を漏らすと、ランギスに一礼してそのまま部屋から離れていってしまった。やれやれと肩をすくめつつ、ドアを閉めたランギスは、そろそろクールダウンしてきたタリハラに声をかける。
「タリハラさん、猫がきましたよ」
「え? ああ、そうね。ふぅ、今日は二度目だからこれくらいにしておくわ。いいわね、マコトさん」
「はい」
すでに二回目かい、とココロの中でつぶやきつつ、ランギスは一瞬檻をどこへ置こうかと視線を彷徨わせる。床に置けばマコトから遠ざかってしまうし、テーブルにはすでにプレートが場所を取っている。
「あの、ベッドの上、ダメですか」
すると、マコトの方から控えめな口調で意見が出てきた。おそらくタリハラの前だからか、挙動も一つ一つが食堂で見たときよりも丁寧になっている。ランギスはそれに気づき、苦笑をしてタリハラに許可を求めた。
「いいですか?」
「まあ、いいでしょう。あんまり檻も汚れてなさそうですし」
許可をもらって、ランギスはマコトが身体をずらして確保したスペースに檻を置く。慣れた手つきで檻を開き、中からゆっくりと猫が出てくるのを待った。
「来な、トリル」
「に」
マコトが手を差し出すと、トリルは短く鳴いて、檻の中から出てきた。その動作の頼りないこと、よろよろとした足取りを見て、ランギスは眉をひそめる。
「まだ、怪我が完治していないのですか」
「いいや、こいつ爺さんだから、歳なんだ」
「は?」
トリルがやってきたからか、若干口調が戻ったマコトは、そっとトリルを抱き上げると、自分のひざの上にのせて頭を撫でた。トリルの方も、気持ちよさそうに目を細めている。
「……あ、そういえばちょっといい、ですか」
「なにかしら?」
無理矢理丁寧にしたようなマコトの言葉に、タリハラは「ちょっと脅かせすぎたかしら」と苦笑しながら聞き返す。
「あの、この国での人間でない種族の扱いってどんなもんなんですか」
「人間でない種族? 魔族とか、獣人とか精霊とかなら、この国はかなり寛容な扱いをしている部類に入るわね。実際、私もちょっとだけ精霊の血をひいているのよ」
「……へぇ」
マコトはタリハラに軽く頭を下げて、ランギスの方を見、前に意識が落ちる寸前に会った人だよな、と確認をして。
「だったら、大丈夫そうだな。なあ、トリル」
『儂、しゃべってもええんかの?』
突然室内に響いた老人の声に、タリハラとランギスはきょとんとして、マコトのひざの上でだれているトリルを見つめた。
「しゃべった……のは、あなたなの?」
『うぅむ、儂じゃー儂、確かにの。改めてこちらから名乗るぞ。猫のトリルじゃ。マコトとミコトが飼い主での、でも儂が保護者なんじゃ』
「トリル、お前あんまり自分の言ってる意味分かってないだろ? 保護者になるのは人間になったときだってばよ」
『おお、そうじゃった』
「……使い魔、ということか」
二人の会話に妙なものを感じつつも、ランギスは改めてマコトの方を見下ろした。すると、急にマコトの方が、その漆黒の瞳をランギスに向ける。
「そういえば、この間会ったとき、あたしすぐに寝ちまったよな。あたしはマコト、駆け出しの旅人。あなたはー、確かランギス、だったよな……。苗字忘れたけど。このギルドの団員さんで、あたしたちを助けに来てくれた」
「ああ、そこまでしっかり覚えていたんだ」
しゃべる猫という、人間社会では黒を身に宿す者並に珍しい存在にあっけにとられていたランギスは、マコトの言葉にさらに驚かされる。この間話したとき、彼女はほとんど意識を失っていたも同然の状態だから、覚えているはずがないと諦めていた。
「まあ、ぎりぎり。もう一人女の人もいたよな」
「そっちの人は、いったん所属ギルドに戻ってもらったよ。君たちが襲撃された日の警備当番だったギルドの副支部長でね。ミネア=エシュリーというんだ」
「なるほど、ね……」
マコトは表情を動かさずに、トリルを見下ろしながらつぶやく。トリルはのんびりとマコトのひざの上で伸びをしていた。
「で、なんであたしらは……この『荒神の槍』、だっけ? そんなギルドにここまで助けてもらってるわけ? あたしらは別にギルドの団員ってわけでもないのに」
「まあ……そうね。えっと、信じてもらえないかもしれないけれど」
タリハラは上げられたマコトの視線の鋭さに、この子はまず他人という存在を疑ってかかるのね、と判断した。助けてもらえたことは感謝するが、その裏に何かあるんじゃないか……そう勘ぐることが染みついているのかもしれない。
「私のたちの悪さ、かな。挙げられる原因とすれば」
「はあ?」
タリハラに代わって答えたランギスの言葉に、マコトは首をかしげる。ゆっくりと片目を開いたトリルが、ランギスを見定めるように眺めた。
『ふむ、自分はたちが悪い、とな?』
「あまりギルドの面々からは好意的にとってもらえない性質なので。端的に言うと」
「お人好しなの、彼は。このご時世に珍しいくらい」
「…………はあ」
マコトの視線がうろんなものを見るものになる。ランギスは居心地が悪そうに頭を掻いて、ばつが悪そうにはにかんだ。
「えっと、その、まあ私が勝手に、あいつらに追いかけられた君たちを気にして、さらに追いかけて、見つけた先で全員倒れていたから、一番医療施設が整っていて都合がつく所属ギルドに運び込んだ、ってことなんだけど」
「つまりはあんたの身勝手か」
「……さらっと言われると本当に傷つくな」
マコトの納得したような一言に、ランギスはがくりと肩を落とした。タリハラは小さくため息をついて、マコトをたしなめようとすると。
『マコト、言い忘れておらんかの?』
「う……ああ、うん、えと、……助けてくれて、ありがとう」
『うむ、よく言えました、じゃ。恩人にさっきみたいな口を利いてはあかんぞい』
「わかってるよ」
『わかってたら最初から言っちゃあかん』
「…………次から、なおす」
びしびしと太ももに猫パンチを食らいながら、マコトはかなり不満げな表情でランギスに頭を下げた。トリルはその様子に満足したのか、ごろごろと低く喉を鳴らして、またぺたりとベッドの上に横たわる。
『あと、さっきから思っておったんじゃが、いい匂いがするのぅ』
「ああ、朝ごはんを持ってきたのよね。じゃあ、食べながらでも、貴方たちの今後についてお話ししましょうか」
「……あたしたちの、今後? あたしたち、怪我治ったらほっぽり出されるんじゃないのか」
テーブルごと食事をベッドサイドに引きずってきたタリハラに、マコトはトリルの毛がついた両手を、側にあったぬれタオルで拭いながら尋ねた。その言葉に、ランギスがふいっと視線をそらせる。
「いいえ、貴方たちには、いっそこのまま『荒神の槍』の団員になってもらおうかって話になってるのよ」
「はい?」
『なんじゃい?』
きょとんとするマコトとトリル。テーブルを移動し終えたタリハラは、今だそっぽを向いているランギスの脇腹をちょんとつついた。
「は、はは……えっと、私が君たちをここに連れてきて、治療を受けさせて、君たちがここまで回復したのはいいんだけれど」
「ちょっとね、その代金分を彼のお財布から取り上げちゃうと、彼と彼がまとめてるグループがしばらく困窮しちゃうのよ」
話の流れから、マコトはちょっと遠い目をした。
「……つまり、あたしらは今、このギルドに各自の治療代という借金があると」
「端的に言うとそうね」
さらっと笑顔で認めるタリハラ。おそらく、マコトやミコトの治療のほとんどを彼女が取り仕切っていたであろうことは予想できた。つまりは。
「大体が貴女への借金、てこと?」
「まあ、私が大体担当したけれど、シスタ支部の治療班全体に対するものね~」
総額聞いておく? と顔を近づけてきたタリハラに、マコトはかなり嫌そうな表情で片手を遮るように向ける。
「妹の意識が戻ったら、全員で聞く。あたしの方が先に動けるようになったら、団員になるならないもあいつと一緒に決めるとして、何か、団員としてじゃなくても手伝えることをさせて欲しい。あいつが目ぇ覚ますまで」
「……わかったわ。ゴーディスにもそう伝えておくわね」
タリハラは笑みを深くし、そっとマコトの頭を撫でた。さらに彼女の表情がムスッとしたものになるが、特に振り払うわけでもなく、大人しくされるがままになっていた。
「では、今日のところはこれで。お昼ご飯……の時間も近いわね。お昼過ぎに何か軽食を持ってくるわ。あと夕食。食器はあとで下げにくるから。あと、そのトリルさん? は、一緒のままの方がいいかしら」
「ああ、置いといていいんなら」
「そう。じゃあそれもゴーディスに言っておくわね。じゃあ、きちんと寝ておきなさい。ランギス」
「はい。それでは」
軽く会釈をして、ランギスが扉を開く。開かれた扉を通り抜けたタリハラの後に続くように、もう一度礼をして、彼も部屋を出て行った。残されたマコトとトリルは、顔を見合わせる。
「どうするか、トリル」
『とりあえず、腹ごしらえじゃろ。まー、これ食べて「やっぱり団員にはなりません」とか言ったら、食い逃げになってしまうがの』
「だよなあ。ていうか組織相手に借金かあ。トリップしていきなり嫌な状況だチクショウ」
頭を抱えるマコトの頬に、トリルがぽんと肉球を当てる。
『あのまま、あの柄の悪い男どもに連れて行かれるよりは万倍マシじゃろーて』
「だな。よっし、ポジティヴシンキング、俺たち幸運」
『うむ!』
ぐっと拳を握り、マコトは無表情でそうつぶやいた。
そしてトリルとともに、用意された食事を欠片も残さず食べきった。
入団 → 最初から借金。しかし貸してくれた方がとても善良なので、普通に働いて返してねーと。なんとも運の良いこと。そういう風に話を持っていってるわけなのだけど。