(8) ~ スリープモードより回復中
痺れるような痛みが、全身の筋肉を絶えず震わせている。マコトはゆっくりと浮上してきた意識のもと、自身の肉体の様子をそう表わした。
(……やべ、めちゃくちゃ痛い)
痛みがなければ、金縛りだと錯覚しただろう。それほどまでに、見事に全身が動かない。動くことを拒絶している。あきらめのため息すら満足に吐くことができなかった。
「あ、彼女、意識が……」
と、マコトの頭のすぐ近くから、穏やかそうな女性の声が聞こえてきた。それは久しく聞いていない母の声にも似ており、マコトは微笑を浮かべようとする。だが、それも頬の筋肉がぴくりと痙攣するだけで、まともな形にはならない。
「タリハラ、せめて顔の筋肉だけでも治癒を」
「はい」
そっと痺れる顔面に誰かの手と思しきものがのせられ、あの、正座をして痺れた足を触られたときのような衝撃が、マコトの身体を襲った。痛い、離してくれ、動けない、ああ、嫌だ!
「……か、は」
「おお!」
しばらくすると、添えられた手からほんわかとした温かさが伝わってきた。温かさはびりびりと神経を刺激する痛みを和らげていき、やがてまぶたを開き、口を動かせる程度に回復させてくれた。
「え、あ?」
「大丈夫か、しゃべれるかね?」
ゆっくりと目を開けると、ぼさぼさの茶色い髭を蓄えた優しそうな顔の男と、少しふっくらした丸眼鏡の女性が、マコトの顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「あ、はい……なんとか」
「ああ、よかった。すまなかったね、これでもギルド内の優秀な癒し手に総力を挙げてもらったのだが」
「貴女の身体の中……内臓を治癒して、安静にさせておくのでいっぱいいっぱいだったの。身体は、まだ痛む?」
「ええ、なんか、びりびりって感じ。全然動かせない」
仏頂面のままけろりと答えるマコトに、女性はくしゃりと表情を歪めた。そっと、体格のわりに小さい手の平がマコトの額を撫でる。しばらくその心地よさに目を細めていたマコトだが、はっとして二人に問いかける。
「あの、ここはどこ、なんだ? 妹はどこだ、あと、相棒の猫も」
「落ち着いてくれ。君の妹というのは、髪の長い魔法使いのことだね? 猫の方もどちらも、きちんと預かって治療させてもらった。ここは、ギルド『荒神の槍』シスタ支部だよ」
「『こうじんのやり』……?」
マコトは眉をひそめる。ギルドの存在をはっきりと知ったのは、あの大衆食堂で初めてのこと。さらに細かいギルドの名前など、まったく知らなかった。
「知らない、のかい? そこそこに大きなギルドなのだけど」
「ああ、はい、すごい田舎に住んでて……初めてやってきたのが、シスタの町で」
「なるほど」
ぱっぱと適当な嘘を、疲れ切った頭でもでっちあげられるあたり、マコトは自分の性格に感謝していた。マコトの返事を聞いた男は、再度マコトの顔をのぞき込む形で自己紹介を始める。
「私は、このシスタ支部を任されている、支部長のゴーディス=レルグだ。そちらは治療班隊長のタリハラ=メインスコール」
「改めまして、はじめまして」
「あ、いえ……あたしは、駆け出しの旅人で、マコトっていう。助けてくれて、ありがとう」
「いや、実際貴方たちを助け出したのは、私たちではなく、このギルドの団員一名と『オックスアース』の面々でね。回復したら、彼らに直接礼を言うといい」
ゴーディスはそういって微笑むと、あとは任せる、とタリハラに声をかけて、部屋を出て行った。かちゃり、とドアの閉まる音がして、タリハラはマコトの左腕に手を添える。
「っ」
「やはり、触れるだけでも痛むのね」
タリハラは悲しげに目を細めた。
「一体、どんな無茶な身体の使い方をしたの? どこもかしこも細胞がぼろぼろ……一時は再生魔法が効力を発揮しないときもあったのよ。貴女の身体自体に、再生するほどの力も残されていなかったの」
「……無茶、しないと……逃げられなかった。妹を、逃がせなかったから」
目を閉じて、なんとか左手を握りしめようと必死に感覚を探りながら、マコトはそう答えた。それに対して、タリハラは首を横に振る。
「貴女の妹さん、魔法の暴発で、いまだ意識が戻らないの」
「え」
タリハラの言葉に、マコトは勢いよく目を見開いた。ぱくぱくと、金魚のように口を開け閉めして、ゆっくりと舌で唇を湿らせてから、絞り出すようにつぶやく。
「嘘だ。あいつが、まだ、魔法なんて使えるわけ」
「いいえ。私たちが彼女の身体を調べたとき、まさに、死の一歩手前というところまで精神力が放出されていたわ。肉体的な損傷は、貴女ほど見られなかったけれど、あのまま治療が遅れていれば廃人になってしまっていたであろうほどに」
「…………」
突然の宣告に、マコトは言葉を無くす。
「それから、貴女の相棒……と言っていたわね。その猫も、今は一番意識がはっきりしているようだけど、運び込まれたときはまさに死にかけだったわ」
タリハラの声が、震える。
「…………本当に、間に合って、よかったわ。貴女ぐらいの子や、小さな動物が死んでしまうところなんて、私は見ていられないもの……」
マコトはゆっくりと、視線だけをタリハラの顔へと向けた。タリハラは泣いてこそいなかったが、唇を引き結び、頬を紅潮させて、瞬きをせずにマコトを見下ろしていた。
「貴女たちが巻き込まれてしまったこと……報告で聞いているわ。ゆっくりと休んでちょうだい。どうか、まだ若いのだから、無茶をしないでね……?」
そして、またタリハラの手が、マコトの頭へと伸ばされる。そろそろと痺れを刺激しないように気遣われて、最後に、マコトの髪を一房持ち上げられる。
「黒い髪、綺麗ね……あんまり見たことはないけれど、黒って私けっこう好きよ」
「そ、か」
ストレートな褒め言葉に、お世辞だろうと自分に言い聞かせながらも、マコトは素っ気ない態度で視線を逸らした。くすくすとタリハラが笑うと、こんこんっと素早く部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
「失礼します。意識が戻ったと聞きまして」
「私も失礼いたします」
「あら、ランギス、それにミネア副支部長……」
部屋に入ってきた女性の方を見て、タリハラは目を見張る。だが、すぐに思い至ったような表情を浮かべると、二人に軽く一礼して、退室していった。
「彼女は今目が覚めたばかりですので、あまり長話は……」
「わかっています。二十分程度でなんとか今日は切り上げるつもりです」
タリハラとランギスと呼ばれた男は、戸口でそんな会話をして、ゆっくりとドアを閉じた。先ほどまでゴーディスが座っていた方の椅子にミネア、タリハラが座っていた方の椅子にランギスが座り、マコトの顔をのぞき込む。
「初めまして、私は『荒神の槍』の団員、ランギス=ドルトメア。貴女がたが、ギルド『金と報い』の団員に襲われていたところ、事がすべて終わってから保護した者です」
「そこまで長々しく解説する必要……あっと、失礼。私の方はミネア=エシュリー。ギルド『オックスアース』シスタ支部副支部長、兼筆頭冒険者よ」
「……ども」
だんだんと眠たくなってきたマコトは、自己紹介をしなければと思いつつ、揺れる視界、誘いくる睡魔と必死に戦っていた。
「……この子、眠たいんじゃない? やっぱり後回しにしたほうがいいわ」
「あ、ああ、けれど」
「タリハラさん怒らせるつもり? だったら私はこの場を即刻逃げ出すわよ」
「ふぅ……わかった。今日はとりあえず紹介だけにしておく。もう一度タリハラさんを呼ぶか」
視界が狭まっていく。まぶたが自然と下ろされ、マコトはまた、深い眠りについた。
※ ※ ※
次に目を覚ましたとき、だいぶ身体の痺れや痛みから解放されたマコトは、誰もいない部屋で、ゆっくりとベッドから起き上がった。軽く乱れていた服を整え、慎重な動きで立ち上がる。
「……だるい、ふう」
と、重心が安定しないまま、両足を肩幅に開いて右肩に左手を添えたマコトは、小さなノックとともに部屋に入ってきたタリハラとばっちり目が合い。
「あ、おはようございます」
「…………」
一瞬呆然としたタリハラに、あっという間にベッドの中へ叩き込まれ、くどくどくどくどとお説教を受けるハメになった。その後の触診を終えて、なんとか上半身だけベッドの上で起こす許可をもらう。
「まったく、でも、すごい回復力……まだ運び込まれて三日しか経ってないのに」
「え、三日? あたし三日も寝てたのかよ」
「三日『しか』よ。普通の冒険者なら一週間は寝込むような傷だわ」
ふーん、とあまりよく分からなそうな返事を返して、マコトは両腕の力を抜き、肩だけをゆっくり前や後ろにくるくると回した。確かに、無理もしていなさそうなこの不思議な少女に、タリハラは眉根を寄せて首をかしげる。
(そういえば、精神力の流れが少しおかしかったけど……)
その辺りの理由か、生まれつきのものだろうと判断して……それに黒をその身に宿す者は、他とは違う力を持つ場合が多いということも思い出し、タリハラはもう一度マコトに眠るよう促す。
「さ、この調子だったらご飯も食べられそうね。あと、何かして欲しいこととかはある?」
「なんでこんなに、関係のないギルドで面倒みてもらいっぱなのかも聞きたいけれど……そうだな、とりあえず、呼べそうだったらトリルを、あたしたちと一緒にいた猫を連れてきて欲しい」
「ああ、そっちの方なら大丈夫ね」
にこりと笑みを浮かべるタリハラの言葉に、マコトは仏頂面のまま、ふいと視線をそらせた。『そっち』というのが何を示すのか、すぐに思い当たったからだ。
タリハラはマコトがベッドに横たわるのを確認すると、部屋を出た。そして、部屋の扉の前で見張りをしていた青年に、扉をしっかりと閉めてから声をかける。
「起きたみたい、もう立ってたわ……」
「え、マジですか。なんなんですかあの子たち」
青年は心の底から驚いた、とでもいうように、思わず扉の方へ目を向けた。担ぎ込まれてきた三日前の少女達の姿が、じわりと脳裏に浮かぶ。
「とりあえず、朝ごはんを持ってこなくちゃ。あなた、彼女たちの猫を迎えに行ってあげてくれる?」
「え、ええ……いいですけど、見張りは?」
「…………まあ、大丈夫よ」
若干引きつり気味のタリハラの笑みに、青年は何か原始的な恐怖を感じて、背筋を伸ばし簡単に命じられた項目を復唱、実に見事な動きでその場を離れていった。タリハラと逆方向へ廊下を進んでいき、階段を下り、そのすぐ脇にある扉の部屋が目的地である。
「よっと」
特にノックもせず、周りの部屋のドアよりもやや重めに造られているノブをひねり、青年は部屋の中へ足を踏み入れた。いくつかの空の檻が、大小様々で放置されている中、一番小さな檻の中に、目的のものはでろんと俯せになっていた。
「いや、猫としてその姿勢はどうよ」
小声でツッコミながら、青年はコンコンと軽く檻の天井部分を叩く。すると、中で眠っていたらしい猫は、「ぅうーに」と低い声であくびをし、目の前に見えた青年の顔に驚くふうでもなく、大人しくちょこんと檻の真ん中に座った。
「ああ、うん、そうやって綺麗な姿勢してると猫だって思えるな」
これまたぶつくさ一人でつぶやきながら、青年は檻ごと猫を抱え、のんびりと部屋を出た。
檻を抱えたまま重いドアを閉めるのに四苦八苦していると、先ほどまで自分が見張りをしていた部屋のほうから、自身にもさんざん浴びせかけられた覚えのある怒り声が響いてきた。
「……タリハラさん、絶好調だな」
なんとも、部屋へ戻りたくなかった。
まだまだチートとは言えない二人。最初から楽なんてさせません。けど急成長してね!