(7) ~ ファーストバトルの行方
「っはぁ、そろそろ……疲れた」
そして、状況は冒頭へと戻る。
食堂を出た瞬間、ミコトをあっさりおんぶ状態にして、人混みの中をまず全力疾走。次に、なるべく表通りから遠ざからない程度の裏路地を駆け抜けて、いくらかは撒いたか?と楽観視していたときもあったのだが。
「この町に関しては、むこ、けほっ、向こうの方が有利……地の利がなぁ」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ん、なんとか。この身体能力向上ってほんとすごいわ」
耳元で声を震わせながら尋ねるミコトに、マコトは息を整えながら答えてやる。もうしばらく路地に潜んでいるか、と考えたところで、ぴぃっと鋭い口笛のようなものが聞こえた。
勢いよく上を見上げると、逆光でよく見えないが、人影らしいものが見えた。
「まずい、か」
「え?」
「―――いたぞ、オラァっ!」
苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、マコトはそっとミコトと鞄を地面に下ろす。そして、近くに落ちていた二メートルほどの角材を拾い上げて、両手で静かに構える。
「お、ねえちゃ」
「っ、いた、ここブゴッ!?」
目の前の曲り角から顔をのぞかせた男は、下あごに角材による強烈な打撃を受けて、そのまま気絶した。仰向けに倒れ込み、後ろに続いていた仲間らしい男を二人ほど押しつぶす。
「だ、でぇ!?」
「ちょっとガルさんどいて―――」
「あんたらがどけっ」
「「ごぶあっ!」」
そのまま角に飛び込み、マコトは素早く男達の側頭部を蹴りつけた。側頭部の衝撃と、さらに互いの頭での頭突きというダブルダメージに、下敷きにされた男達は白目をむく。
「お姉ちゃん……そんな喧嘩、できたの?」
「いや、こう動きたいって思ったら、大体思った通りに動けただけ。すんごい節々が痛い。こりゃ運動不足だな」
怯えるミコトに、マコトはごくごく軽い調子で答える。が、実際には口調から想像されるものよりも数十倍の痛みが、マコトの全身に及んでいた。今にも、肩に担いでいる角材を取り落としそうである。
マコトは元の世界ではヒキコモリまっしぐらだった。一日に必要最低限の栄養のみを摂取し、自室にこもるのはいつものこと。わりかしあっさりと入学できた高校も、何日間通えば留年せずにするのかを入学して最初に計算し、その計算通り、一週間のうち三日は休んで家に引きこもるというおおよそ不健全な生活を送っていた。アウトドアどころか、ちょっとした散歩でもすぐに息が切れてしまう。……あの森からシスタの町への道のりも、ほとんどこの能力のおかげで歩き切れたといってよい。
つまりは、能力のおかげで無理矢理強化されたマコトの身体の細胞が悲鳴を上げているのだ。全身をひどい筋肉痛が襲っているということでもある。
だが、マコトはそんなことなどおくびにも出さないで、いつも通りの仏頂面のまま、ミコトを手招きした。
「そら、逃げるぞ」
「う、うん」
一歩一歩、足を踏み出せば、太ももやふくらはぎはもちろん、足の裏まで激痛が走る。こんなとこの筋肉までなまってたのかい、と自分自身に呆れながら、マコトは角材を低い位置で構え、腰を落とした。びりびりと両腕が震えているが、構っていられない。
「見つけたぞ、ガキ共」
正面に四人、後方からも足音がする……全部で、十人いるかいないか。
「は、そっちの眼鏡の嬢ちゃんは、武器は持ってねぇようだがなかなかやるらしいな」
角材の先端についた血の跡を見て、男はやはり、あの黄色い歯をむき出しにした嫌みな笑いを浮かべる。
「後ろの嬢ちゃんは特に使えなさそうだな……まあいい、とりあえず、大人しい方はそのままで、眼鏡の方は顔以外どうとでもしろ、お前ら」
男がさっと片手を振るのと同時に、下卑た笑いを浮かべた男達が指の骨を鳴らしながら近づいてきた。狭い裏路地で、右にも左にも、逃げられそうなルートは見当たらない。
「お、お、おねえ、ちゃん」
「……ち」
『ふむ、儂もおる、ということを忘れてはならんぞ?』
唐突にその場に響いた、老人の声。その声に、二人の少女は驚き、男達は戸惑った。
「な、なんだぁ?」
「どっからだ、今の声!」
『ほっほ、どうやらあの者が寄こした力も、なかなか、便利なものもあるようじゃのう……』
トリルの楽しげな声が途切れると同時に、ミコトの抱えていた鞄から、淡い銀色の光が漏れだした。「わっ」とミコトが声を上げて鞄を取り落とすと、その中から素早く、何かの影が飛び出してきた。
「……えっと、と、トリル?」
『儂以外に誰がおるんじゃい』
光がおさまり、影がはっきりとした形をとると、トリルと同じ灰色と白の毛並みが入り交じった、元の世界での動物に例えるならライオンほどの大きさの獣が現れた。ぱたぱたと動くその左耳には、トリルが元の姿であったときにつけていた首輪と、同じ装飾の耳飾りがはめ込まれている。
『うむ、なかなか便利な姿じゃの。なにやら若い頃のように力がみなぎるわい』
「なんで、え? どうして」
『ミコト、説明はあとじゃ! この場を切り抜けるぞい!』
言って、トリルはバネ仕掛けの人形のように、その場から勢いよく跳躍した。隣の家の壁に四肢をついて方向転換をおこない、あの話しかけてきた男のいない方の追っ手へ、数の少ない方へ突っ込んでいく。男達の悲鳴が上がる中、ミコトは呆然と、暴れるトリルの姿を眺めていた。
「ミー、ぼーっとしてたら捕まる、行くぞ」
「……あ」
「ミコト!!!」
「っ」
苛立ったような、マコトの表情。強くつかまれた腕。動かない、動こうとしない自分の足。
こわい、よ。あなたは、ほんとにおねえちゃん? あれは、ほんとにとりる?
気付けば、ミコトは勢いよくマコトの手を振り払っていた。マコトの顔に、驚きが浮かび、次いで、痛みを堪えるような歪んだ表情が浮かぶ。
(え?)
そして、マコトはそのまま角材を手放し、その場に倒れ込んでしまった。息はしているようだが、手足はぴくりとも動かない。その向こうで、こちらの異常を察知したトリルが二人の名前を叫んだ。
(なんで、わた、私―――!!!)
「おーおー、仲間割れとは都合がいいねぇ」
叫び出しそうになるのを、後ろから伸びてきたがっしりとした手が押さえ込む。両腕と腰をもう一本の腕で固定され、完全に身動きが取れなくなる。ミコトの両目が、限界まで見開かれた。
(やだ、ごめんなさいお姉ちゃんいやだよごめんなさいごめんなさい―――!!!)
「そっちの娘は」
「ああ、適当に拾っておけ。拘束も忘れずに」
「了解」
目の前で、複数の男達がぐったりとしているマコトを無造作に持ち上げ、乱暴な手つきで両腕両足を縛り上げていく。
「お、こいつ細いわりに出るとこ出てんぞ」
「ほぉー、じゃあそこそこ一般受けしそうじゃね?」
げらげら、げらげら、げらげら。
視界の端に、もう一つ、見慣れた色彩が投げ出される。
「おい、さっきの化物……なんかひょろい猫になったぞ」
「頭潰しておけ、使い魔かもしれねぇ。殺しておいて損はないだろ」
「はいはいっと」
男の革のブーツを履いた足が上げられて、ぼろぼろな毛並みのトリルに向かって、躊躇いもなく振り下ろされる。あのまま見ていれば、何かが砕ける音、潰れる音とともに、トリルの一生は終わる。
や め て
※ ※ ※
剣士、ランギス=ドルトメアは風のように裏路地を駆け抜けていた。表通りに比べて、ゴミや木箱、その他よく分からないものが積み重なっており、ひどく足場の悪いそこを、まったく問題ないとでもいうかのように。
(間に合ってくれ)
ぎり、と下唇を噛む。ランギスの予想では、追いかけられた少女達は、恐らく数分と持たないうちに捕まり、裏路地に引きずり込まれているはずであった。しかし、その予想は一瞬で覆される。
男達が潜みそうな裏路地に飛び込み、少女を捜し始めたところで、入り組んだ道の遠くに、おそろいのマントを身につけた二人組が、片方を背負って途方もない速度で逃げているのが見えたのだ。速度だけなら、今のランギスにも匹敵するほど。
(あの子たちを甘く見ていた私のミス……まったく、なんてことだ)
感覚をとぎすませて、力の流れを探る。あれほどの身体能力を備えているならば、その身に秘めている精神力もかなりのものだろうと踏んでの探索。だが、一向に引っかかる気配がない。
「精神力も使わずに、小さな女の子が、あれだけの能力を……?」
あり得ない。そう頭を左右に振り、再度裏路地を駆け抜けることに意識を集中し始めたとき。
「がっ!?」
探索に、突然膨れあがった精神力の気配が引っかかった。しかし、あまりにも突然なその発動。
「な、んだ?」
つぶやいた瞬間。
どおっ!!
裏路地の一角から、巨大な火柱が吹き上がった。
「あそこ、か……!?」
まさかと冷や汗を流しつつ、今日の町の警備を担当しているギルド『オックスアーク』の団員がやってくる前に現場に向かおうと、ランギスはさらに速度を上げた。
気配を辿り、何度も何度も角を曲がって、ランギスはそこに到着した。
「…………」
路地を構成している両側の建物には、焦げ目はあれど、あれほどの爆発地点にあったとは思えないほど無傷な状態に近かった。しかし、路地においてあったであろうものは、どれもこれも、真っ黒に炭化している。
そして、その裏路地でも焼けこげていない部分に目をやると、ぺたんと座り込んでいる追われていた少女が一人に、そこからやや離れたところで両手足を拘束されて倒れているもう一人の少女、ぼろぼろな毛玉にしか見えない猫が一匹。
「君、大丈夫か!?」
さらに、そんな少女達の周りには、様々なやけどの跡を残す、かろうじて息の残っている男達が倒れていた。皆一様に意識を失っているが、痙攣などを起こしているものはいない。
と、ランギスが声をかけると、座り込んでいた少女の方がびくりと身を震わせた。その振動で、ぱさりと軽い音ともにフードが落ちる。高い位置で結ばれた髪の色を見たランギスは、ごくりと息を呑む。
(黒髪)
この世界ではそこそこ珍しい、大概が特殊な能力を持つものたちがその身に宿す色。
まさかと思って息を潜めていると、フードを下ろしたままの少女が、ゆっくりとランギスの方を向いた。
「……黒い、目……」
「―――……」
「え?」
ランギスのつぶやきと、少女のつぶやきが重なる。思わず聞き返そうとして、少女の身体がぐらりと傾くのを見て急いで駆け寄る。
「だ、大丈夫か、しっかり……」
「―――めんな、さ……ねえ、ちゃ……」
今度は聞こえた、小さな謝罪の声。そのまま、黒目黒髪の少女はランギスの腕の中で気を失った。
「……なん、だったんだ? 今のは」
しばらく呆然としていると、だかだかだかっとあまり統制の取れていない足音が聞こえてきた。はっと我に返って、ランギスは少女を抱えたまま、猫ともう一方の少女を同じ場所に集める。そして、待った。
「―――そこで何をしている!!!」
「人命救助、手伝ってくれる?」
背後から聞こえた、殺気の込められた言葉に、ランギスはごく軽い調子で答えた。
次からいよいよ新キャラぞくぞく。