(21) ~ クエスト完遂、ちなみにフラグも立ちました
「イーエン、お姉ちゃんっ!」
「―――いや、大丈夫。無事無事~」
隣から聞こえてきた、茫然としている少年の声。ばっとそちらの方を素早く振り返ると、黒こげになった蔓を体から払い落としている、まったく無傷なイーエンの姿があった。
「ほ、本当に!?」
「ああ、熱いって思いかけたんだけど、波に呑まれた瞬間蔓だけ燃えてちまって。俺自身は全然」
「お、お姉ちゃんは!?」
「……あたしも平気。すごいな、お前、攻撃対象まで限定できんのか」
少し離れたところでゆっくりと立ち上がったマコトは、鋭い視線を周囲に投げかける。泉のほとりの草花はほとんど壊滅状態で、周囲の長草にも炎が燃え広がっている。このまま放っておけば、森全体に炎は広がり、森が滅んでしまう。
と、そこで先ほどの耳障りな笑い声と同じ声で、全身に鳥肌が立つような大絶叫が響いた。辺りを見回すと、近くの木の上からぼてっと何かが降ってくる。
「……あれが、悪霊か」
全身黒こげで、マコトが持っている短剣サイズのデフォルメされた人間のような姿をしたそれは、ぎゃいぎゃいと大声で喚きながら、自身の体をかきむしっていた。マコトはそれにずかずかと近づいていき、のど元に短剣を突きつける。
「お、お姉ちゃん!?」
「……お前が、この泉が汚れた原因か?」
短剣をギリギリで突きつけることで、悪霊の動きを封じたマコトは、お得意のポーカーフェイスで無表情のまま質問した。ひゅうひゅうと最早悲鳴すら上げられない悪霊は、しわくちゃの顔をさらに歪めて叫ぶ。
「うっさい、うっさい! たかだか七十そこらしか生きられない人間の中でも、お前みたいなガキに汚いもの呼ばわりされたかねぇよ! 消えろ、消えろ! 死んじまえ!」
「よくこの状況で……」
マコトは呆れ果てて、短剣の先を少し揺らした。ぎぐぅ、と呻いた悪霊は、目を見開いて、
「死ねぇっ!」
瞬間、ばきりと不吉な音がして、悪霊が落ちてきた木がマコトに向けて倒れ込んできた。
「お姉ちゃん!」「マコト!」
「ちっ」
マコトは素早く悪霊を蹴り上げ、急いで木の下から退避する。しかし、悪霊の最後の抵抗か、地面からぼこりと生えてきた木の根に足を取られて、マコトはずでんっと転倒する。蹴り上げられた悪霊は、壮絶な笑みを浮かべて空中に溶けて消えた。
「やっば……!」
自分がマコトへ駆け寄っていっても、逃げる前に一緒くたに木の下敷きになるだけだ。イーエンは目を見開き、傾いでいく木をただ見上げていることしかできなかった。
「トリル!!!」
しかし、奇跡は起こる。
イーエンのすぐ脇を、どこからともなく現れた灰色の獣が飛び出していった。彼が唯一自慢できる俊足をも軽々と上回るそのスピードで、獣はマコトの服の襟首をくわえ、やや乱暴な動作で木の下から脱出した。ほんの一瞬後に、ずうん、と重々しい音を立てて木が倒れ込む。
思わず振り返ったイーエンが見たのは、ぎゅっと強く両手を握り合わせて倒れた木の向こうを睨むようにしているミコト。と、土埃が収まらないうちに、気の向こうから呑気な声が聞こえてきた。
「おい、そっちは大丈夫かー?」
「お姉ちゃん! お姉ちゃんこそ平気!?」
マコトの声が聞こえて、ミコトはイーエンを追い越し倒木へ近づいた。しばらくして、倒木を乗り越えてきたマコトがこちら側へ飛び降りてくる。その後ろから、マコトを助け出した灰色の獣もやってきた。
ふと、イーエンはその獣がどこかで見たことがあるような、そんな違和感を抱いた。灰色と白の混じった毛並みに、左耳にくい込んでいる変わった模様の耳飾り。
「トリル、ありがとうね」
と、マコトの無事を確認したミコトは、満面の笑みを浮かべてその獣の顔を両手で包み込んだ。獣の方も、きちんとお座りの体勢で気持ちよさそうに目を細めている。
……って。
「え、それ、トリルって、あの猫ぉ!?」
「ああ? あ、そうか。イーエンには言ってなかったな」
「なんでわざわざ依頼に猫なんて連れてくるんだろーなって思ってたんだけど……はあ、なあ、そいつミコトの使い魔かなんか?」
「私の、ってわけじゃないよ。私とお姉ちゃんが飼い主なだけ。使い魔でもないもの。ねートリル?」
『ふむ、では儂もそこな少年の前でしゃべってもいいんじゃろうか?』
ごろごろと喉を鳴らしている巨大トリルを不思議そうに眺めていたイーエンは、突然響いた四人目の声に過敏に反応する。
「だっ誰だあ!?」
『目の前におるではないか、のう、イーエン』
「…………え?」
ぽふ、と巨大トリルが霞のようなものに包まれて、元通りのひょろっとした猫の姿へと戻る。トリルはよたよたと頼りない足取りで、イーエンの足下に近づいていった。
『儂じゃよ、儂。トリルじゃて』
「え、ええ、えええええーっ!!?」
「さて、イーエンが盛大にテンパってる間にでも確認済ませるか。ミコト、あの馬鹿精霊どこ行った?」
トリルとにらめっこを始めるようにしゃがみ込んだイーエンを尻目に、マコトはぐりぐりと肩を回しながらミコトに尋ねた。木が倒れる寸前のことを思い起こしながら、ミコトは首を左右に振る。
「ううん、お姉ちゃんが蹴った後、そのまま溶けて消えちゃった」
「てことは、逃げたのか……?」
「違うよ、力を使い果たして純粋な力へと戻ったのさ」
ここで聞こえる、第五の声。マコトとミコトは全身を緊張させて周囲の気配を探り、イーエンはトリルを指でつつこうとした中途半端な姿勢のまま硬直した。
「やだな、警戒することないよ。君たちの目の前にいるじゃないか」
「はあ?」
首をかしげるマコトの前に、ぼんやりと薄青い光が集まった。ミコト、イーエン、トリルもそこへ駆け寄ってきて、ぽかんとしが表情で光を見つめる。
「まずはありがとう。あいつがこの森で好き勝手するようになって、我の力がどんどん削られていってしまって、危うく死ぬところだったんだ」
「いや、まずお前誰だよ」
「……あ、人間は自己紹介しないと分からないんだっけ。この森の泉を守護してる水の精霊だよ」
「また精霊かい!」
心底嫌そうにそっぽを向いたマコトに、薄青い光は抗議するように揺らめいた。
「我をさっきみたいな悪霊と同列扱いしないでほしいんだけど! そりゃ、泉が汚れてるせいで実体化もできなくなっちゃって、自我を保つのが精一杯なんだけどさ! むしろこのタイミングで出てこれて奇跡だよ!?」
「んなもん知るかい……ミコト?」
ゆっくりと光に向けて両手を差し出すミコトの姿に、マコトとイーエンは何も言わず、ただ成り行きを見守った。
「……へえ、変わった子だ。火の元素に懐かれてるし、他の元素のことも惹きつけそうな魂だね。我も今より力があったら惹かれてるかもしれないな」
「あ、あの……お願いがあります」
「ん? なあに? 今の我にできることなんてすごーく限られてるんだけど」
ミコトは悲しげに目を伏せて、後ろを振り返った。先ほど使った火の精霊術の影響で、残った火がゆっくりと長草に燃え広がっていく。
「あのままだと、森が燃えちゃいますから……私の力を代わりに使って構いません。あの残り火を消してください」
「おい、ミコト。お前さっきの魔法でだいぶ消耗してんだろ。いいのか」
心配そうにミコトの肩をつかむマコトだったが、ミコトは「まだ平気」と首を振って、精霊の答えを待つ。しばらく、ミコトの手の上で揺れていた光だったが、突然音もなく弾けて消えた。
「わかったよ、精霊の愛し子。あの長草はさっきの悪霊が馬鹿みたいに生えさせたものだから、燃え切ってもいいんだけど、森が無くなるのは困るからね」
青い光がミコトを取り巻き、姿無き声が響き渡る。
「流せ、流せ、清流の調べよ」
ミコトの持っていた本の水晶が、今度は青く輝いた。他人の意識によって精神力が霊力へと変換される中、ミコトはめまいを起こし倒れかける。しかし、そんな彼女の体を、マコトがしっかりと支えた。
「お姉ちゃん」
「お前、本当にそういう無茶するとこ、あたしに似てきてんじゃねーかなぁ」
苦笑を浮かべるマコトに、ミコトは楽しげな笑みを返して、意識を失った。それと同時に、精霊の魔法が発動する。汚れた泥だらけの泉から、勢いよく純白の水が湧き上がり、それらは怒濤の勢いで長草に燃え広がる火を呑み込んでいく。
辺り一面、マコトやミコト、イーエン、トリルも巻き込んで水浸しになったころには、ミコトが呼び出した火は一欠片も残さず鎮火されていた。
「ふう、できたできた。あとは長草が前みたいにまともな長さにまで枯れてくれることを祈るばかりだね。ま、我の力が戻ったら刈り取るつもりだけど」
「ずいぶんと力を使ったんだな。こいつ、気絶したぞ」
またあの薄青い光の形を取って、満足げに言う水の精霊へ向けて、マコトは意識のないミコトを抱えながら不満げに言った。う、とひるんだように光が揺れる。
「ご、ゴメン……普通に消せると思ったんだけど、あの火、魔術じゃなくて精霊術で出したものでしょ。しかも繋がりが強化されてる状態で」
「……ああ、火の精霊との簡易召喚ならやってるが」
「はあ、今はこの場に水の元素が多いから火を消せたけど、あんな濃密な霊力を宿した火、ホントならもっと消すの苦労するんだよ? これでもギリギリのラインを見極めたつもりさ」
「お、おい、とりあえずなんだ。これで依頼は達成……ってことでいいのか?」
完全に蚊帳の外だったイーエンは、戸惑った様子で頬を掻いている。マコトは頷こうとして、ミコトのポーチがまだ膨らんでいることに気がついた。
「……いや、この向こうの泉にも浄化剤まかなきゃいけないから……まあ、うん、トリル、イーエンと一緒に行ってきてくれ」
『ほっほ、分かったぞい。ほれイーエン、マコトから薬をもらったら儂の背に乗れい』
またぽふ、と巨大な獣の姿に変身したトリルは、ぐいぐいと鼻先でイーエンの腰の辺りを押した。転びかけたイーエンだったが、なんとかマコトの傍までぎくしゃくと歩いていき、ミコトが持っていた分の薬を受け取った。
「じゃ、行ってくる、なあ!?」
薬を手にして、恐る恐るトリルに跨ったイーエンは、マコトに向けて声をかけようとして急加速したトリルの上で悲鳴を上げた。あっという間に見えなくなった二人の姿に、マコトは無意識のうちにため息をつく。
「ふふ……あの少年は前にもここに来ていたね。方向オンチっていうか、見てて飽きない子だったけど。さらに面白い子を引き連れてきてくれた」
「そりゃどーも。……なあ」
「うん?」
だんだん透明になってきた青い光に向けて、マコトは険しい表情のまま問いかける。
「あんたは、この近辺の町村の人間が、この森で起こっていたことを正確に把握していたと思うか? ……いや、正確に把握してる人間がいると思うか?」
「いるだろうね」
即答だった。マコトの表情がより歪む。
「我の力を削って、あの馬鹿悪霊はずいぶんと派手に立ち回ってくれていたみたいだから。ギルド、だったか? 様々な能力を持った人間が集まる組織。あれならば、この森で何が起こっているのか知るなど、容易いことだと思うけど」
「……そーかい。全く」
棍を入れるケースを胸の方に移動させ、武器の類をすべて収納してから、マコトは気絶したミコトの体を背負い上げた。茂みの向こうで、トリルの背に乗ったまま手を振り回しているイーエンが見える。おそらく、浄化剤をまいているのだろう。
「じゃ、あたしたちはこれで帰る。あんたも、力が弱いうちにまた他の悪霊とかに取り込まれないよう気をつけろよ」
「うわー、洒落にならないお言葉。君はなかなか男前だね?」
だんだんと、精霊の声がかすれてくる。それに反比例するように、イーエンの悲鳴が近づいてきた。
「それじゃ……また、その子に会わせてくれるかい……僕も、なんだか、その子の力に、なりたく、なってきたよ……」
「わかった。お互い気力が回復した頃にな」
そうマコトが答えて、口元に微笑を浮かべると、姿の見えない精霊が満足げな表情を浮かべているかのような気がした。
完全に精霊の光が消えたものの、先ほどよりも明るみが増したかのように思える泉のそばを見渡し、一言。
「うっし、帰る」
というわけで初・人外とのバトル。マコトはかなりクールにやってるように三人称では思われますが、実はここで最初から、とどめを刺さずに問答しようとしてる時点でまだ『命を奪う覚悟』ができてません。
あと……フラグっていうのは、わかりやすいのは精霊フラグかな? あと精霊自身がなんか言ってるしね!