(14) ~ マジックレッスン・実技編
ボールを素手で竜巻の中から取りだし、カミンはそれを棚の方へ無造作に放り投げる。ここでもミコトが使ったような風の魔法が働いたらしく、不自然な放物線を描いて棚の一角に収まった。
「……無詠唱?」
「そ、だから言ったでしょ? あたしは魔導師。こういうローブとか装飾品とかに、ごくごく簡単な魔法の術式を刻んでおくの。そうしたら、あとはちょっと念じるだけで、刻まれた術式が発動してくれるってわけ。術式って、こんなふうに使うのよ。ま、この程度だったら大概の魔導師や魔術師はしてるんだけどね」
ぱちっと可愛らしくウィンクをして、カミンはもう一度人差し指を振る。すると、棚の隣に据えられていた長机から、マコトにとって見覚えのある一冊の本が飛んできた。
「あ、それ」
「さっきミコトから借りたの。あなたたちの国の言葉なんだってねー。全然読めなくてびっくりしちゃった。これでも一応四カ国語話せるのに……っと、あったあった」
ぱらぱらとヴェルホーク解説書をめくるカミンの手が止まった。ブルブが同じページをのぞき込み、こくんと頷く。
「それじゃ、ここからはブルブの出番よ。基本の魔法だったら確かに私が教えてもいいんだけど、風属性とか草属性とかならともかく、火属性とかになると、ちょっとね」
「危険性の問題か?」
カミンの言葉にミコトが首をかしげると、すかさずマコトが突っ込んできた。それに苦笑を浮かべながら、カミンは振り返る。
「もー、これミコトの勉強なのよ? 褒めてあげたいところだけど……あ、マコトも魔法の勉強する?」
「いや、いい。なんかあたしほとんど魔法使えないっぽいから」
「あら、そうなの?」
筋は良いのに、と心の中で続けて、カミンはざっとマコトの精神力を鑑定してみた。確かに、ミコトと比べると胸の辺りで渦巻く力の量が桁違いに少ない。ただ、ちりばめられて固定化された精神力が、彼女の肉体をほとんど全身強化しているのが分かった。
(何あれ、ほとんど持ってる力、強化方面に使われちゃってるじゃない)
あのままでは、確かに魔法を行使するための魔力や霊力を練ることは難しいだろう。仮に無理矢理固定化を解いて魔法を行使しようものなら、どうなることか。
「……うん、じゃ、ミコトの授業に戻りますか」
彼女の精神力の使われ方に、若干の不安を抱きつつも、カミンはそれを表情に表わさないまま、手元の本に視線を落とした。
「火っていうのは、生活の役に立つことはもちろんだけど、やっぱり繊細な制御が必須なの。どの属性にも言えたことだけど、風と火じゃ、危険性がちょっと違ってね。んー……まずはまねっこよね。ブルブ!」
「……ん」
言われて、ブルブはそろそろと右手を自身の胸の前に、手の平を仰向けた形で固定した。ぼそぼそとその薄い唇の隙間から、詠唱がつぶやかれる。
「……凍土を融かせ灼熱の揺らめきよ」
とたん、ブルブの手の平に魔力が集中する。精神力からの変換過程を感じることができなかったミコトは、「え!?」と驚きの声を上げる。そんなミコトに、カミンは軽く耳打ちした。
「さっき彼、半分魔族って言ってたでしょ? 純粋な魔力を持ってるから、私たち人間みたく精神力を変換するっていう動作が必要ないのよ」
「あ、なるほど」
「……できた」
ブルブが言うと同時に、ぽんっと何かが弾けるような音ともに、彼の手の平の上に拳大の火の玉が出現した。ゆらゆらと赤い炎をまといながら回転するそれを見て、ミコトは難しい顔をする。
「ゆ、揺れてるのに、あんなに綺麗な形にまとまってる……」
「ミコトには固定化はちょっとまだ難しいかな。ブルブが今やってるのは、魔力で起こした火の表面を、また別の過程で取り出した魔力の膜で覆ってるの。だから、その膜を取っ払ってもらうと……ほら、ブルブやって」
「ん」
カミンに急かされるようにして、ブルブは左手を出し、すっと火の玉に向けて突き刺すような動作をした。すると、火の玉が急にしぼみ出し、綺麗な球体からたき火や蝋燭などでよく見るしずく型に変化した。
「ミコトの目標はこんなんかな。それじゃ、そこの魔法陣の中に立って。詠唱はー、そうね、『火よ、我が道を照らせ』って感じかな?」
「わ、わかりました。やってみます」
促されて、ミコトは魔法陣の中央へと歩いていった。カミンとブルブは逆に魔法陣の外へ出て、真剣な表情でミコトを見守る。マコトはそんな彼らを、ぼうっとした表情で眺めていた。
すう、と小さく深呼吸をして、精神を安定させる。一種の瞑想状態に入って、ミコトはゆっくりと右手の人差し指を立てた。自身の体の中を巡る精神力、これを手の平に少しほど、というイメージですくい上げ、実際の右手にまで運んでくる。その間に、イメージの手の平の中で、精神力は魔力へと変換される……。
(あれ?)
一瞬、すくい上げた精神力が震えたような感覚を覚えた。今まで魔力への変換を行なっていた際には無かった感覚である。ただ、震えたあとの力はミコト自身が持っていた精神力とは質が違うようなので、変換には成功したのかと軽く首をかしげる。
「……火よ」
ボッ
「え?」
薄目を開いて指先を見つめていたミコトは、その先の詠唱を忘れ、今の自身を取り巻く状況に呆然とした。まだ詠唱を終えていないというのに、指先から迸った炎の波が、二筋のリボンのようにミコトの周囲を囲んでいる。
「ミコトっ!」
結界の魔法陣の内側で、突然発現した炎に呑まれそうになっているミコトの姿に、カミンは思わず叫んだ。その隣に、険しい表情を浮かべたマコトが並ぶ。ブルブがすかさず、魔法そのものを沈静化する術の詠唱を行なった。
「砕けよ虚無の世へ落ちよ再生の銀灰を捧げん」
手の内で具現化された銀灰色の光が、音もなくミコトを囲む結界と炎に衝突する。結界を構成していた魔法陣は一気に消し飛ばされたが、ミコトが発現した炎は、威力こそ弱まったが、まだ幾つかの火の玉となって存在していた。
「嘘、ブルブの沈静魔法でも!?」
「え、あ、あの! なんかごめんなさい! 大丈夫でしたか!?」
「むしろ結界の中にいたあなたの方が心配よっ! 怪我とか、やけどとかしてない!?」
「あ、それは大丈夫です。服に焦げあととかもないですよ」
ばさばさと長い裾の服をめくりながら確認をするミコト。そんな彼女に、まるで意志を持つかのように、漂っていた炎の魔法の残滓が近寄っていった。
「…………ねえ、ブルブ、なんか気配が違うんだけど、まさかあれってさあ」
「霊力……召喚……?」
跳ね回る火の玉に、びくびくしながらも興味深そうな表情を浮かべているミコトに、カミンとブルブは思わず呻いた。そんな彼らの手元で、ヴェルホーク解説書が淡い光を放つ。
「あ、ちょっと貸して」
それにいち早く気付いたマコトは、カミンの手から返事が来る前に奪い取ると、火の基礎魔法が書かれているとミコトが言ったページの内容が、日本語に変化していることに気がついた。
“ 我は待とう 我は待とう 我が仕えし主を待とう
汝は主たり得るか
汝の呼び声は 我に届くか
我が存在は炎 原初の炎 再生の炎
我が名を喚べ 我が名は――― ”
「……最後の方だけこの世界の文字だな。ていうか、こっちの魔法陣もなんか光ってるし」
とりあえず、自分にはどうすることもできないと思ったマコトは、そのページを開いたまま解説書を持ってミコトへと近づいた。マコトが近づくと、火の玉は彼女に道を譲るようにしてミコトから離れていく。
「え、ええ?」
「ミコト、なんかこのページ、火の基礎魔法と違うらしいぞ。日本語になった」
「あ、そうなの?」
「で、最後の方だけこっちの世界の言葉のまんまなんだが……ちょっと読んでみ」
「わかった、えーっと……『我は待とう 我は待とう』……」
マコトに示された部分を、素直に読み上げていくミコト。その手に解説書を押しつけたマコトは、そそくさと呆然としているカミンたちの方へと駆け戻っていった。
「『我が存在は炎 原初の炎 再生の炎 我が名を喚べ』」
「ちょ、ちょっとあれって本当に召喚術じゃ……!」
なにやら隣でカミンが興奮しているようだったが、そんなことは全く気にせず、ミコトは最後の行を読み上げる。
「『我が名は アナクレトス』」
とたん。周囲を跳ね回っていた火の玉たちが、ミコトの目の前に収束した。
「え、わきゃあああああっ!?」
「うおっ」
突然熱量を増した炎球に、近くにいたミコトはもちろん、距離をとっていたはずのマコト達もあやうくやけどを負いそうになる。しかし、すぐに炎球は輝きを収め、ゆらめきながらミコトの目の前に固定された。
『お初にお目にかかります 我が主候補たる方よ』
「え、ええ?」
突然しゃべり始めた炎球に、ミコトはびくりと肩を震わせて一歩後退する。すかさず、カミンが声を上げた。
「逃げちゃダメよミコト! それ、なんでできたんだかは分からないけど絶対召喚術だから! 召喚されたものを術者が拒絶したら、暴走しちゃうわ! えーっと、えっと、なんかとりあえず話し続けて!」
「は、は、はひっ! はは初めまして私はミコトって言いますです!」
「敬語狂ってる……」
マコトの小さなツッコミにも気付かずに、ミコトはただ炎球を見つめ続ける。僅か三十センチもないような場所にそんなものが浮いているというのに、ミコトの目や肌が渇いていくことはない。
『我が主候補に問います 貴女は 炎という存在をどう捉えますか』
「え、えええっ!? そんなのいきなり言われても」
『どう捉えますか』
有無を言わせぬ炎球。ミコトはグッとさらに喚きたくなるのを堪えて、ゆっくりと、考えながら言葉を紡いだ。
「……あったかいもの。ご飯をつくるのにも、暖を取るのにも、身を守るにも必要なもの。私たちの生活から無くなったら怖いもの。けど、使い方を間違えると簡単に命をたくさん奪えるもの。……ううん、炎だけじゃない。カミンさんもさっき言ってたけど、自然にあるものは大体みんな、ある程度必要で、使い方を間違えさえしなければとても素晴らしいものになる……」
『…………ありがとう ありがとう 貴女の精神はとても温かです』
ふうわり、と炎球が『溶けた』。そして、炎球があった場所には炎で形づくられた、ヴェルホーク解説書に描かれているのと同じ魔法陣が浮かんでいた。
『貴女に 炎の恩恵を 賢者の智の欠片を 与えましょう』
そのまま、魔法陣は素早く空中を滑り、ミコトのローブの胸元に当たってかき消えた。ミコトは焦げあとも何もなく、ただ優しい暖かみが宿ったその場所を押さえて、その場にへたり込む。
「ミコト! 大丈夫!?」
「……あ、カミンさん、えと、平気です。なんかすごくびっくりしました」
茫然自失といった様子のミコトに、カミンは苦し紛れに浮かべたような奇妙な笑みで答える。
「こっちもびっくりよ。突然精神力の霊力変換なんかやっちゃって、火の元素とちょっと交信しただけで、いきなり召喚術なんてあり得ないのに。結局簡易召喚だったとはいえ、あなたホントに何者?」
「待てカミン、なんかいきなりこっちの分からない用語がバンバン出てきてダメだもう」
「……あ」
ミコトの肩をつかみながらまくしたてようとしたカミンを、無表情で絶賛混乱中のマコトが諫める。すると、沈静魔法を放った立ち位置から一切動かないでいたブルブが、唐突に口を開き。
「突破」
と、なにやら不穏な一言。
きぃんっ
それとほぼ同時に、ガラスにヒビが入るような甲高い音が室内に響き渡り、重たげな鉄製の扉が吹っ飛ぶような勢いで開かれた。
「な、何事ですか!?」
「…………あー、忘れてた」
飛び込んできた数人の魔法使いたちの姿を見て、カミンは盛大に顔を引きつらせる。
「……これって、カミンさん一体」
「この部屋、初級魔法の練習って名目で貸し出してもらってるのよ。それをミコトが今中級魔法使っちゃったものだから、多分警報鳴っちゃったんだわ」
小声でミコトとマコトに解説をしながら、てへ、と小さく舌を出すカミン。そこへ、どたばたと室内の様子を確認していた魔法使いたちの一人が近づいてきた。
「ええと、グループ『白刃』のカミン=クロートさん、個人修練部屋の責任者は貴女ということですが」
「ああ! はいはいごめんなさい、この子に火の魔法がどんなのかっていうのを見せようとしたら、ちょっと加減がきかなくて……」
「……罰則です。上に報告しておきますので。そっちの二人には怪我はありませんか? あと、もう一人この部屋での修練名簿に載っていたブルブさんは―――」
「この子たちは大丈夫だけど、あいつは……逃げたわね」
「は?」
カミンのつぶやきに、すっと眉根を寄せる魔法使いの男は、もう一度室内を見渡してみる。それぞれの修練部屋に設置されている机や棚以外には、黒目黒髪の少女が二名、魔導師と登録されているギルド員の女性が一名、部屋の隅で寝ている猫が一匹……。
「ブルブー、大丈夫よ。今回のはあたしのミス!」
「……そう」
すると、カミンの言葉を聞いて、ランプの明かりと机によってつくられていた濃い影の中から、ぬっと漆黒のローブを纏った者が現れた。たまたま近くにいた新人職員が、ぎゃっと悲鳴を上げて飛び退る。
「はい、これで全員! ……てわけで本当にゴメンナサイぃいい」
「はー、はいはい、それじゃあ奥で詳しいこと聞かせてもらいますね。君たちは一旦本部へ戻っていなさい。後々話を聞きに行くかも知れないが」
「え、あ、ちょっと待って―――」
「わかった、行くぞミコト、トリル」
「あ、お姉ちゃん!?」
そのまま職員に連れて行かれるカミンを見て、弁明をしようとしたミコトは、すかさずマコトに抑えられる。それを見たカミンは「よろしい」とでも言うかのように、ニヤリと笑って部屋を出て行った。
「……ブルブも、今日はありがとう。それじゃ」
「ん、また」
ひらひらとブルブに手を振ると、そのまま振り返してくれたことに驚きつつ、マコトはミコトの手を引いて部屋を出た。この部屋をくるまでに自分たちが歩いてきた廊下とは反対の方向へ、カミンが連れて行かれるのが見えた。
「ちょっと、お姉ちゃんなんで止めるの!? もとはと言えば私がよく分からない……」
「そう、魔法のごくごく基礎しか習っていなかったはずのお前が、突然中級魔法にランク付けされるらしい……なんだ、召喚術だっけか? を使ったことが原因だ。だけどさ、それ、信じて貰えると思うのか? カミンだってあり得ないって言ってただろ。お前が本当のことを今言えば、向こうが混乱する。しまいにやってみろ、だなんて命令されたらどうするんだ」
怒濤の勢いでミコトの言葉を押しつぶしたマコトは、俯いて唇を噛む妹の姿に、ため息をつきかけた。
「……とりあえず、あの職員の対応からして、罰則っていっても体罰にゃならんだろ。あとで詫びを入れに行こう、な?」
「…………わかった」
『うむ、ミコトは素直じゃ、それは良いことだからのう』
「あたしが素直じゃないってか」
『マコトは世渡り上手だの。ヒキコモリだったのにの~』
「うっさい」
ぴっとトリルの脇腹をつついて、マコトはふと、ミコトが抱えたままのヴェルホーク解説書に視線を向けた。
「ミコト、まだ何か光ってる、か?」
「え?」
強く左腕全体で抱え込むようにしていたたため、あまり目立たなかったが、改めてからだから本を離してみると、あの魔法陣のページが書き換えられたときのように淡く本全体が輝いていた。
「……それ、あたしのベストの影に隠しとくぞ。部屋に戻って中身確認しよう」
「う、うん」
本をミコトから受け取ったマコトは、それをベストの脇に忍ばせて輝きを目立たなくし、トリルを肩に乗せて、ミコトの手を握った。そして、そのまま早足で自分たちの部屋へと向かっていった。
というわけで、今のところチート感覚はミコトが一歩リード。
さてさて、ここから先、『魔術』と『精霊術』の違いをはっきり見せつけるシーンも頭の中にはあるのですが……いつ執筆できるのやら(汗