(13) ~ マジックレッスン・知識編
とん、と軽くつま先を床に打ち付けて調子を付ける。そのまま階段を駆け下りたマコトは、すぐ近くの両開きの扉に手をかけた。
「おはよ」
「あらマコトちゃん! おはよう、よく眠れたー?」
「おかげさんで」
給仕を担当している中年の女性に明るく声をかけられて、マコトは微苦笑を浮かべながら返答する。その右肩にだらんと乗っかっていたトリルが、彼女を批難するように短く鳴いた。
「あら、その子、いつもはミコトちゃんと一緒に……」
「あたしが起きるの遅いの見越して、あいつが部屋に置いてった。あいつ、もう外?」
「ええ、カミンさんともう一人、だれだっけねぇ、本職の魔法使いって人と三人で鍛錬場へ行ったわ」
「ふーん」
言いながら、適当な席に座って朝食を注文する。パンとサラダと何か白身魚のソテーという簡単な食事を平らげると、マコトは両手を合わせて「ごちそうさま」とつぶやいた。それを、女性に興味深げに見られていることに気付かないまま、食堂を飛び出していく。
正面玄関に繋がるホールにやってきたマコトは、カウンターで鍛錬場への近道を聞き出すと、案内されたとおりの道を真っ直ぐ進んでいき……。
「……なんか、ビリビリする気が」
『これがいわゆる「気迫」というヤツかのう?』
それぞれ得意とする武器ごとに区画分けされた鍛錬場を間近で眺めて、マコトは小さくため息をついた。今、彼女がやってきた三番扉の目の前で鍛錬をしているのは、自分の身長よりもやや長めの棍を操る男たち……女性の姿は、ほとんど見受けられない。
「お、どうした嬢ちゃん、道に迷ったのかい?」
と、ぼうっと団員たちの鍛錬風景を眺めていたマコトは、唐突に死角から話しかけられて、少し驚いたように肩を震わせた。振り返ってみると、二十代半ばほどの「むさい、ごつい、筋肉」の三文字が背景に現れそうな上半身裸男が、にやりとした笑みを浮かべてのぞき込んできていた。
「魔法使いの鍛錬って、こことは別なのか」
「ああ……それならもうちょっと向こうの方に上りと下りの階段がある。瞑想とかだったら地下だな。魔法の構成練習とかなら上だ」
「ん、サンキュ」
「さん、きゅ?」
マコトの言葉に、男は首をかしげる。その反応に、この英語は通じないのか、とマコトはまた一つものを覚えた。
「ありがとって意味」
「ははっ、どういたしましてってか。そうか、お前があの噂の……黒目黒髪だし、間違いないな」
後半、小声で何かつぶやいていたようにも聞こえたが、マコトは一切気にせず、男に教わったとおりの方向へ早足で向かった。上りと下りの階段が並んでいるところで、一瞬迷う素振りを見せる。
『……ん、ミコトの匂いは上りの方が濃いのう』
「じゃ、上か」
トリルからの情報で、マコトは上りの階段へ向かった。
階段を上りきってすぐのところに、ギルド支部の玄関ホールのような広い部屋があった。複数のカウンターが並び、その奥で動きづらそうなローブ姿の男女が慌ただしく書類の整理をしている。
お疲れ様、と心の内でつぶやいて、マコトはホールを通り抜けようとした。とたん、ふわりと宙に浮かぶ水晶玉に行く手を阻まれる。
「?」
「あっ、こっちで申請しないと行けませんよー!」
カウンターの方から聞こえてきた声に「ふーん……」とつぶやき、マコトは水晶玉を軽くつついてからそちらへ足を向けた。ばさばさと書類の束を抱えながら、疲労の色の濃い男性職員が無理矢理顔面に笑みを貼り付ける。
「お、おおおはようございます……で、えーと、鍛錬で?」
「いや、先に鍛錬してるヤツのところへ、なんて言えばいいだろ……見学?」
「は、はい、どなたの?」
「傭兵登録のミコト、それと魔法使い……だっけ、のカミンってヤツ」
「ああ、はい、はい、その方々でしたらコチラ。このタグを持っていってくださいね」
半ば投げるようにして渡された、傭兵の依頼プレートに似た金属板を眺めて、マコトは一瞬頬を引きつらせる。顔を上げてカウンターの向こうを眺めるも、対応した男性は他の職員たちと書類の山に埋もれている。
「……トリル、なんて書いてあるか読めるか? あたし、まだ数字しかわからん」
『もともと猫の頭じゃしのう、とりあえず、この一番大きな文字をてがかりにしてみればいいんじゃないかの?』
金属板を片手に、水晶玉の脇をすり抜けたマコトは、その廊下の向こうに等間隔で並んだ金属製らしい扉の数に、今度こそ、がっくりと肩を落としてため息をついた。トリルが猫手でぽんぽんと首筋を叩く。
金属板に書かれた一番大きな文字は、それぞれの扉にはめ込まれたプレートに対応しているようで、適当に目的の部屋を探して廊下を進んでいくと、次第に金属板の文字が明滅し始めた。さらに進んでいくと、明滅は激しくなっていく。
「近づいてる、ってことでいいのか」
『ふぅーむ』
数分後。文字が読めないというハンデを持ちつつも、マコトは何とかミコトたちがいるらしい部屋の前へとたどり着いた。その部屋の扉にかけられたプレートと同じ文字が刻まれた金属板は明滅を止め、ただぺかーっと生白い光を発している。
トリルと視線を交わしたマコトは、短く息を吸い込むと、扉の中央部分を軽く三度ノックした。ごんごんごん、と低い音が響き、……沈黙。
「トリル、こういうときどうすりゃいいかとか聞いてないのか」
『うーむ、前に来たときは普通に、板を持ったまま部屋に入ったのだがのう。途中で入るときのことまでは聞いてないぞい』
「……あー、気付いてくれないかな。誰か」
そう他力本願なことをぼやいた瞬間、目の前で扉がゆっくりと開かれた。やや目を大きくするマコトの目の前に、漆黒のローブをまとって顔のほとんどをフードと前髪で隠している人物が現れる。
「………………君は、ミコト、の、姉さん?」
マコトの身長よりも、さらに頭一つ分高い場所から、高くも低くもない、男性とだけは分かる微妙な声が聞こえてきた。単語ごとに区切るような、舌足らずな言葉に面食らいかけながらも、マコトは無表情で頷く。ついでに、金属板も見せてみる。
「はい、って」
「ああ……」
男性に促されて、マコトは若干警戒心を抱きながらも部屋へと足を踏み入れた。彼のローブの影になって見えなかった部屋の中が、彼女のファンタジー好きな心をくすぐらせる光景が、そこには広がっていた
「あ、お姉ちゃんおはよう! 意外と早かったね~」
「あら、マコト……よね、確か。お久しぶり」
つるつると表面の磨き上げられた石が組み合わせられた床に、壁、天井があり、奥の方には細長い作業用と思われるテーブルと、簡単な器具が収められている戸棚があった。そして、部屋の中心で向かい合っているミコトとカミンの足下には、彼女たちを取り巻くように描かれている巨大な魔法陣。……壁に引っかけられているランプが、それら全てを怪しく照らし出していた。
「やばい、この雰囲気」
「え、やばいって、なんか危なさそう!?」
「あ、ち、違いますカミンさん! お姉ちゃん、ひょっとしてこの部屋ツボ?」
「クリーンヒット」
「あははっ、そんなんなら最初から連れてきてあげればよかったね」
ごめんねー、と両手を合わせながら謝ってくるミコトに、軽く手を振って応えて、マコトは自身の肩からトリルを床へ下ろした。よたよたとした足取りで、トリルは壁際へ移動し丸くなる。
『儂はこのへんで寝てるからのー』
「うん、お姉ちゃん連れてきてくれてありがとトリル、おやすみ~」
「……ホントに、変わった子たちねぇ」
人語を解し、発する猫にごく自然体で接するミコトとマコトを見て、カミンは魔法陣が歪んでいないかをチェックしながらつぶやいた。
「で、もう魔法の練習とかしてたのか」
「ううん、やりたいことは言ったけど、さっきまではウォーミングアップみたいなものだね。身体の中に感じられる精神力を練って、魔力に変換させて、それを光の球みたいに視覚化していくの」
「……はあ。なんかすげぇ大変そうなんだけど、準備運動なのかそれ」
「初日はちょっと分かんなかったけど、一回コツをつかむとできるんだよね」
「ミコトってば、才能はあるだろうって思ったけど飲み込みも早くって。だから今日はブルブも連れてきたんだけど、ちょうどよかったわ~」
そこまで言って、カミンははた、と口元を右手で押さえた。
「…………そういえば、こいつのことミコトにも紹介してなかったわ。あたしもさっきまで存在忘れてたし」
「……カミン」
「いやーあははごめんゴメンナサイ、いじめじゃないのよ」
「むしろ、そっちのが、タチ、悪い」
「ランギスに言いつけないでね!?」
ぎゃあぎゃあとコントが始まったところで、マコトが小さく「ごほん」と咳払いをした。それにより、二人の声がぴたりと途切れ、カミンが「おほほ」とわざとらしい笑い声をあげながら、改めて黒ローブの青年を手で示した。
「こいつ、あたしやランギスと同じグループのメンバーで、生粋の魔術師のブルブよ。はいっ、詳しいことは自分で!」
基本情報をさらっと言ったところで、カミンはばしんとブルブの背中を叩いた。一瞬ふらついたブルブは、髪の隙間からじろりと彼女を睨みつつ、ゆっくりとフードを脱いだ。
ぼさぼさでまとまっているとは言い難い長い黒髪に、ぼんやりとどこを見ているのかいまいち分からない黒い瞳。今は顔の左半分に長い前髪が寄せられていて、隙間からかろうじて見える顔は、蝋のように生白いものだった。
「……僕は、ブルブ。魔術師、で、半分、魔族……半分、人間……得意、な、属性は、黒」
「混血、ってことなのか」
いきなり魔族に会ってしまった、というかそういう存在もいるのに、どうしてトリルはやたらめったら珍しがられるのだろうか、などと自身の思考へ落ち込んでいったマコトにかわって、ミコトはにこりと笑いながらブルブに頭を下げた。
「私のことはさっきからカミンさんが呼んでいるので、わかっていると思いますけれど、魔法使い見習いのミコトです。まだ属性の向き不向きは分かりませんけれど、多用しているのは緑です」
「……ん? なあ、属性って」
「お姉ちゃん、まずは自己紹介してっ」
ブルブとミコトとの会話から気になる単語を拾い上げたマコトは、しかしそのことをミコトから聞き出す前に、ブルブの目の前へ引きずり出された。無表情なブルブに見下ろされながらも、それに匹敵するような仏頂面で頭を下げる。
「ミコトの姉で、とりあえず肉体労働派のマコトだ。まあ、よろしく」
「ん、よろ、しく」
かくんと小さく頷いたブルブは、しばらくマコトとミコトを見比べて、
「…………似て、る」
「「はぁ?」」『んむ?』
ぼそりとつぶやかれた一言に、マコトやミコトはもちろん、壁際で眠っていたはずのトリルも声を上げた。
「ああ、こいつが言う『似てる』『似てない』の判断基準、顔じゃないから。あたしにもよく分かんないけど」
「へぇ……でも、お姉ちゃんと似てるって言われたの初めてです。ありがとうブルブさん」
よほど嬉しかったのか、ミコトはきゃっきゃと笑い声を上げながら、ローブの隙間から見えていたブルブの右手を両手で包み込んだ。これにはカミンと当のブルブもひどく驚いた表情を浮かべて、その光景にマコトは苦笑を浮かべる。
「まあ、生活パターンから趣味から外見から、どこをとっても『似てない』って言われてきたからな」
「あげく、そう言った人達って大概お姉ちゃんの悪口ばっかり言うんだもん! ……今だったら、その人たちふっとばせるかも」
「なんかお前、あたしと思考回路若干似てきたか……?」
さて、そんなこんなでお互いの自己紹介を終えて。
「それじゃ、ミコトが試したいって言っていた火の基礎魔法について、私とブルブで教えていきます!」
「はい質問」
「あっれぇまさかのマコトから質問!?」
「なんでカミン一人じゃ無理なのかっていうこと。なんか魔術師が本職じゃないとも聞いてるけど」
それを聞いたカミンは、ああ~と納得したように頷きながら、自身とブルブで異なる点を解説し始めた。
「とりあえず、くくりとしてはあたしもブルブも『魔法使い』ではあるわけなのよ。でも、そこでちょっと細かいところまで言うと、ブルブはさっきも言ったとおり生粋の魔術師で、あたしは魔導師ってヤツなの」
「……具体的にどんな違いが?」
「魔術師は、基本とされる詠唱をベースに自分だけの詠唱をつくりだして、言霊っていえばいいのかな、そういったもので魔法を行使する人のこと。あと、魔導書を読んだり、他の物質に刻まれた術式を展開することで魔法を使ったりもできるわ。
で、魔導師の方は、今言った魔導書をつくったり、物質に術式を刻んだりっていうほうが主体。そりゃ基本的には魔法を理解していないと成立しないから、魔導師だって魔法が使えないことはないけれど、いざ言霊行使ってなると魔術師には敵わないわね。
ちなみに、魔術師か魔導師かっていうのは単にその人の向き不向きで、たまに自分で魔導書をつくって魔法を使うっていう強者もいるから。そういう人達のことは特別に魔元帥って呼ぶの」
「術士から導師からいきなりランクアップだな……」
「あははっ、でもそれぐらい珍しいのよー? あたしでも知ってる人って大体が魔法協会の幹部たちだし。……さて、それじゃーとりあえず、マコトの質問にも答えたところで、ミコトの復習にいきましょうか。ミコト、魔法を行使するための言霊を構成する上で大切なのは?」
ぴっと人差し指を立てた右手をミコトに向けたカミンに、ミコトはややどもりながらも応えた。
「ええ? えと、その、自分がこれから行使する魔法の属性をはっきりさせます。属性を示す言霊は、火、水、風、土、草、光、闇という属性そのものと、それからイメージされる色彩が主です。
ただ、これらを詠唱に組み込むと、イメージが固定させやすいため魔法が発動しやすくなる代わりに、傭兵として活動する場合、敵などに効力が予測されてしまう場合があります、と」
「おお、完璧じゃない」
ミコトの解答に、大きく満足げに頷くカミン。その隣で、ブルブもこくこくと首を縦に振った。
「……ん、それじゃあ、魔法の使い方にミコトが慣れてきたら、傭兵稼業するにゃ自分で相手に使用する魔法が一瞬で連想できないような詠唱をつくらなきゃならないのか。大変だな」
と、ミコトの解答を聞いて、思ったことをそのまま口にするマコト。その言葉に、ミコトとカミンは「へ?」とでも言いそうな表情で、マコトを見返した。
「へえ、ミコトのお姉さんなだけあって、やっぱり頭の回転早いわね。それとも、もう魔法のことについて聞いてたりとか……?」
「いや、今日が初めてだ。だからちょっと楽しみ」
にーっ、と笑みを浮かべて、マコトはミコトとカミンから距離をとる。そのままトリルのいる壁際まで移動して、続きをどうぞと言わんばかりの仕草で、部屋の中央に描かれた魔法陣を示した。
「……あ、あー。まあマコトが今言ったことはおいおい考えるとして、まずはミコトが一番使い慣れてきた魔法で、と。はいボール」
「わかりました。風よ、目標をいましめよ」
ぽおん、と軽く放り投げられた茶色のボールに向けて、ミコトは素早く詠唱する。自身の中に渦巻く精神力を、吸い上げる過程で魔力に変換、そのまま世界に影響を反映させる。
ミコトが差し出した右手を中心に風がわき起こり、小さな竜巻となって、ボールが床に落ちる直前に拾い上げた。そのままゆっくりとボールは持ち上げられていき、ミコトの目線と同じくらいの高さにまでなる。
「ん。上々。それじゃあミコトが試したいって言ってた魔法の方、やるわよ」
今回の話は、ちょっとした転機になるでしょうか? ていうか久々の世界観説明話……。
実はこの世界での『力』については、自分も頭の中でけっこうぐちゃぐちゃしてて、表記が滅茶苦茶かもしれま、せん(汗) もし明らかに変! ってところを見つけたらぜひ教えてください。
そして(14)に続きます。