(10) ~ ライフスタイルが見えました
「……ん、ぅ?」
うっすらと目を開いたミコトは、何度か瞬きを繰り返し、寝返りを二度うって、最後に大きく伸びをした。顎が外れるのではないかと、はたから見て思えてしまうほどの大あくび付きで。
「はふっぁあああ~! ……んに、だるい」
ゆっくりと重たい上半身をベッドから起こし、首を回して、両肩を回し、軽く身体をほぐしたところで、もう一度瞬き。
「ここどこ?」
自分が今座り込んでいるベッドと、夕日が差し込んできている木枠の窓、元いた世界の家にあったダイニングテーブルより少し細長い形のテーブルが一つに、病院でよく見るような形をした木製の丸椅子、そして何やら物々しい瓶やら器具やらが収められている棚が、ちょうどミコトのいるベッドと向かい合うような形で並んでいた。
「え? 何? ここ、どこなの? お姉ちゃん、トリル!?」
思わず、この世界で唯一とも言える、心許せる『はず』の存在の名を呼んで。
(私、お姉ちゃんを、叩いた)
「ッ!!」
ぎしり、とベッドの支柱が軋んだ。
ミコトは思い出す。自分が意識を失う前の状況を、自分がしたことを。
「……そ、か」
きっと、マコトはもうここには来ない。トリルも、ぺしゃんこになってどこかの路地裏に捨てられてしまっている。自分は何もできなかった。ただ、助けようとしてくれた、逃がそうとしてくれた、優しい姉の手を振り払うことしかできなかった。
「ごめん、なさい。おねえちゃ、トリル……ごめんなさい……!!」
ここがどこかは分からない。トリルが男の一人に踏み殺されそうになって、それを目の当たりにした自分は、きっとそこで気絶してしまったのだろう。そして、男たちのいるところへ連れ込まれて……。
かちん。
「あれ?」
ぼろぼろと零れていた涙が、突然引っ込んだ。今何か、記憶のどこかに、何かが浮かび上がってきた。
それは、人影。太陽を背にして、ミコトをのぞき込んでいる。直感から、追いかけていた男たちの一味ではないと否定する。
そして、そして。
「……うぁ」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。それに、身体が熱い。前にかかったインフルエンザの時みたい、とぼんやりし出した頭で思う。
と、ガタガタと視界の隅にある扉の向こうから、複数人の足音が聞こえてきた。それに、こもっていて内容までは聞き取れないが、誰かの話し声。率先してしゃべっているのは……女性?
(だ、れ)
扉が軽くノックされる。ミコトは熱に浮かされた頭で、反射的に「どうぞ」と彼の鳴くような声を出した。途端、勢いよく扉が開かれて。
「ミコト!!」
「おお、起きたぞ、ミコトが起きたぞい!」
珍しく、満面の笑みを浮かべている姉と、見覚えはないが聞き覚えのある声をした老人が飛び込んできた。二人でおそろいのシャツにズボン、ブーツといった、どこかの作業員のような格好をしている。
「……え、お姉ちゃん、と、まさかトリル?」
二人の登場と、急に冷えていった熱とに驚き、ミコトはそれ以上何も言えなくなった。ただ、駆け寄ってきた二人を、身を乗り出して抱きしめて謝る。
「ごめんなさい、ごめんなさいお姉ちゃん! あの、あのとき、私、ちゃんと逃げてれば!」
「もーいいよ。なんとか生きてるし、助けてもらったし。ほれ、謝るな、泣くな、はな垂らすな」
「ぶぇ」
「ほっほ、いやーミコトも目が覚めてのー、本当によかった、よかったわい……」
マコトと同じようにミコトの背中を撫でながら、襟足を伸ばした薄い灰色の髪をしたひょろ長い老人……トリルは、自身も思わずはなをすすった。
「あんたまで泣いたって今は撫でないよ、トリル爺さん」
「ううっ、マコト、老人はぁ労らんとあかんぞい」
「労ってるって。きちんと、多分」
そう言って、マコトはゆっくりとミコトから身体を離した。だが、その左手はまだしっかりとミコトが握りしめている。ミコトはトリルの方へ回していた左手を離し、ごしごしと顔を拭った。
「ふ、え」
「おし、泣き止んだな? ゴーディス、タリハラ! ランギスもいいぞ」
ミコトの顔をのぞき込んだマコトは、小さく頷くと、扉の方を振り返った。マコトの肩越しにミコトがそちらを見つめていると、扉からゆっくりとした動作で、ひげ面の山オヤジ、というのがしっくりきそうな男性を先頭に、少しふっくらした体つきのローブを着た女性、胸当てと肩当てだけをつけた軽装備の青年、背中に両手剣を背負った女性が入室してきた。
首をかしげるミコトに、マコトはゆっくりと、自分の口から彼らの紹介をする。
「まず、一番最初に入ってきたあっちのおじさん、あたしらのことを助けてくれたギルド『荒神の槍』のシスタ支部で一番偉い人で、ゴーディス=レルグ。で、その隣のローブの人が治療班隊長のタリハラ=メインスコール。あたしたちの治療をしてくれた人でもある」
そこで一旦言葉を切って、マコトは身体の位置をずらす。
「その隣、胸当てつけてる男の方が、あたしらを拾ってくれたお人好しの剣士で、ランギス=ドルトメア。女の人の方は、あの日、町の警備を担当していたギルド『オックスアース』の副支部長で、ミネア=エシュリー。とりあえず、あたしらが世話になった人達」
「あ、え、ええと、どうも、助けてくださって、ありがとうございました……」
マコトに促され、ミコトはぴょこんと四人に向けて頭を下げる。ゴーディスは小さく頷き、タリハラは胸をなで下ろし、ランギスは一礼して、ミネアは微笑んだ。
「では、彼女にも話さねばなりませんな」
「あー、ええ、よろしくお願いします」
ぽりぽりと頬を掻いたマコトは、近づいてきたゴーディスに場を譲った。ゴーディスに正面から見つめられたミコトはおろおろとしながら、姉の手を握りしめる。
「えと」
「ミコト、と言ったね。まずは意識がはっきりと戻ったようで、安心した。もう一週間近くも眠り続けていたからな」
「一週間!?」
「ちなみに、あたしは四日で治ったけど」
「マコトの方もずいぶん規格外よ……」
ミコトの驚きの声に混じって、マコトの申告とタリハラの呆れた声が聞こえた。ミコトは呆然とマコトを見上げて、
「私、なんで、そんなに寝てたの?」
「さあ。なんでも魔法行使による精神力の使いすぎらしいけど、お前、あたしが気絶したあと魔法使ったのか?」
「……覚えてない」
気絶する寸前の記憶をたぐろうとしても、思い出されるのは、路地に転がるマコトとぼろぼろなトリルの姿。そのあとのことは、霧に包まれたように不鮮明で。
「え? あれ?」
そこで、少し疑問に思う。気絶していて記憶がないならば、ではこの『不鮮明さ』はなんなのか。
「……うーん」
悩み始めたミコトに、歩み寄ってきたランギスが、その時の状況を述べた。
「私が彼女たちを追いかけて、見失ってしばらくした頃、突然路地の一角から火柱が吹き上がりました。私や『オックスアース』の面々はそれを見て駆けつけたのですが、その場にあったのはやけどを負って気絶していた男たちと、やけどは負っていなくとも重傷だったマコト、トリル、そして座り込んでいたミコト、君だ」
「え、私、覚えてない……」
「きっと混乱していたんだろうね。私が声をかけたあと、君は何かつぶやいてすぐに気絶してしまったから」
ふわりとミコトの脳裏に、先ほど覚醒したとき思い浮かべた人影が現れる。その人は、言った。
『君、大丈夫か!?』
せっぱ詰まった、男の人の声。
「あ、もうちょっとで、思い出せそうな」
「無理しなくていい。とりあえず、あのときのことはギルドの人達があらかた調べたっていうから。で、ここから本題だ、ミコト」
ゴーディスの隣から身を乗り出し、マコトは真剣な表情で、告げた。
「あたしら、借金ができた」
しばし、沈黙。
「…………え、ええ、ええぇええええ―――――ッ!?」
「内容は単純、あたしらが『荒神の槍』の治療班にしてもらった分の治療代と、借りた部屋代と食事代。ミコトの場合は普通の部屋じゃなくて、医療研究室でもあるからさらに上乗せ」
「ふへっ!?」
言われて、ミコトは部屋を見回す。確かに、この部屋は普通に人を寝かせておくただの部屋と言うよりは、学校の保健室なんかによく似ている。
「……そ、総額は?」
「それはまだ聞いてない。というか、お前が起きるまであたしも聞かないようにしていた」
ニヤリ、とマコトの口の端が持ち上がった。
「ミコト、この借金返すには、嫌でもなんでもこのギルドの団員になって稼がなくちゃならなくなったぞ」
「て、ことは」
「うむ、傭兵稼業じゃの。ここで生きていくための良い修行になるわい」
ほっほ、と気楽に笑うトリルに、ミコトはキッと鋭い視線を向けた。
「修行って! 傭兵って、そんな、私たちまだ子どもなんだよ!?」
「ミコト、それは言い訳だ。なんならお前、このまま請求突っぱねて、ゴーディスたちから逃げ切る自信あるか? 『荒神の槍』ってギルドは大概の町に支部を抱えてるっていうから、逃げ切るにはどっか人里離れた山にでもこもるしかないぞ。むしろ、そっちで生きていけるなら、団員になってもなんとかなるんじゃないか?」
マコトの言葉に、ミコトはぐうの音も出せなくなる。ゴーディスが無言のまま指を組むと、タリハラとミネアもベッドへ近づいてきた。
「ギルドに入ってお金を稼ぐと言っても、別に、傭兵しか仕事がないわけではないのよ。確かに傭兵宛の依頼をこなした方が報酬は多いけれど」
「それとも、貴女の方は私のところのギルド……『オックスアース』にでも入ってみる? あなたほど魔法使いの素質があれば、こっちとしてはむしろ引き抜きたいくらいなんだけど」
「ふ、ミネア殿、そんなことをこちらが許すとでも?」
「あら、ゴーディス支部長も狙ってらしてたの」
からからと笑って、ミネアは一歩後退する。その会話についていけなくなったミコトは、マコトにそっと耳打ちをされた。
「なんでも、ミコトの持ってる力は魔法使いとしてすごいもんらしいな。あたしは全然よく知らんけど。量もあって、回復も早いんだってさ。普通そんな人間いないんだと」
「え、お姉ちゃんは?」
「あたしの方は、ランギスにあの時の逃げっぷりを見られてて……こっちが完全に嫌だって言わない限り、傭兵扱いになるかな。荒事なんてしたことないんだけど」
「のわりに、堂に入ってたよ? 喧嘩してたお姉ちゃん」
「へーへー」
「……で、二人とも、と、トリル殿」
ひそひそ話をしていた二人と傍らに立つ老人に向けて、ゴーディスは静かに声をかけた。
「いや、儂は基本、猫じゃからの。敬称はつけなくてよいぞー」
「ふむ、ではマコト、ミコト、トリル。君たちは、ギルド『荒神の槍』の団員となって働くかね? それとも、我等の包囲から逃げるか……さ、どちらだ」
にっこり笑顔とともに示された道は、最早一つしかないと言っていい。
「……いや、逃げ切る自信ないので、頑張って稼がせていただきます」
「た、戦いとか、そういうのは怖い、ですけど、お手伝いなら頑張ります」
「うむ、儂は二人についていくからの」
……こうして、現代からトリップさせられた三人は、ギルド『荒神の槍』に入団することが、今、決定された。
「恨むのなら、自身のふところの余裕を考えないまま君たちを保護したランギスを恨んでくれ」
「し、支部長……」
ミコトも復活! そして地味ーに人間形態のトリルも初お目見えです。
トリルの変身シーン、ちょっと唐突すぎるかな……。
そして、一応ここで一段落と言うことで『第一部:異世界召喚』は終了です。次回から『第二部:ギルド「荒神の槍」』をお送りします。第二部は、第一部より結構長くなる予感がします。