第三十八話 暗き闇に一筋の光
とある大学病院の一室・・・心音モニターの音と人工呼吸器の音が一定間隔で鳴り響く部屋で眠ってる患者の横に小さい人影が立っていた。
――・・・深い、深い闇の中に胎児の様に漂う女性・・・音も光も何も感じる事が出来ない場所。ただ・・・一つだけ分かっているのは・・・時々、誰かの名前を呼ぶ声とその声が、とても優しく、懐かしかった。
でも・・・答えようと思っても、体は凍り付いた様に堅く、身動きも出来なかった。
『私は此処よ!助けて!助けて!!』そう、心で叫んでも・・・口も、体も、まるで自分の体ではないほど言う事をきかなかった。
長い時間を闇の中で過ごした・・・唯一聞こえる、懐かしいあの声だけが、私を救ってくれていた。
何時しか、その闇が私の体を溶かすように飲み込み始めた。
『嫌だ。まだ、まだ、私を失いたくない。アノ人に・・・アノ人に・・・。』私は、どうしても、名前が思い出せないアノ人を呼んでいた。私の意識が唯一、繋ぎ止めてくれたアノ人に・・・懐かしいあの声に会うまでは・・・。
そんな時、聞き覚えのない声がハッキリと私を呼んでいた。闇の中、その声の持ち主が、私の手を引き上げ、闇から引きずり出した。
・・・貴方は?・・・私を救い出したのは、見た事もない、白く美しい少女だった。
「お主を待つ者が居る。その者は・・・もう少しでお主よりも、もっと深い闇に取り込まれようとしていた。ワシの利己的な意見かも知れないが、その者を救ってくれないか?」
――私は、この暗い世界から出られるのなら構わない。・・・そう、心の中で強く願った。
その少女は、私の想いを感じ取ってくれたのか優しく微笑んだ。そして、『ありがとう。』そう聞こえたように見えたと同時に、少女の背後から光が広がり、暗い闇だった世界が私の体ごと吸い込まれていった。
・・・重く感じたまぶたがゆっくり開いた。そこは、今までの闇の世界ではなく、規則正しい機械音と、体にのし掛かる布団の重みを感じた。
その時、不思議と安堵感と頬を伝う冷たい感触があった。
・・・――あぁ、私は帰ってこれたんだ。そんな時、病室のドアが閉まる音がした。
微かに見えた後ろ姿は、白い少女の後ろ姿だった。
その数分後、再びドアが開き、白衣を纏った男性が病室に入ってきた。
疲れ切っては居たが、見覚えのある懐かしい顔の男性が、心なしか嬉しそうな表情で私近くに椅子を引っ張って来て、両手で私の手を握った。
・・・その手はとても優しく、暖かった。
その男性は、嬉しそうに私に語りかけてきた。
「なぁ、聞いてくれ。オレは今日、不思議で素敵な体験をしたんだ。」
その声は、私がいつも闇の中で聞き取っていた、懐かしいあの声だった。
「君が聞いたら怒るかも知れないけど、君を置いて先に死のうとしたんだ。・・・でも、そんなオレを助けてくれた少女が居たんだ。オレは、その少女に勇気づけられたんだ。そして、もう一度、気付かせて貰ったんだ。」
――・・・あの少女が救ってくれって言って居たのは、この人の事だったんだ。その男性は、私の手を強く握って、
「もう逃げない。君を置いて先には死なない。そして、君が目覚めるまで諦めず進もうと思ったんだ。・・・もし、目覚めた時は、ずっと渡せなかった想いを渡そうと思う。」
その時、私は天使が私たちにくれた奇跡なんだと感じた。そう思うと、涙が溢れた。 私の指に力が入らないが精一杯、彼の手を握り返した。
それに気付いた彼は、私を見た時に口を動かして、『ただいま。』と声は出なかったが涙ながら微笑んだ。
彼はそれを見て、再び私の手を強く握り、嬉しさの余り涙が止まり無く流れ、声を殺しながら号泣していた。そして・・・、
「良かった。本当に、良かった。」
と、彼は安堵の籠もった声で何度も何度も同じ言葉を繰り返した。
私はこの人に再び会えた事を、あの名前の知らない少女に感謝した。
・・・――その頃、碑宮家の庭で白い犬の頭を撫でながら月を見上げてる夕紀の姿があった。
「白夜・・・何処に行ったんだろう?」
タメ息を漏らしながら犬に問いかけたが、犬は何も答えずにタダ、夕紀の側に寄り添うように座って居た。
すると、空からゆっくりと人影が戻ってきた。
月を背に、白夜が庭に降り立ち夕紀の方に歩いてきた。
「あ!白夜!何処行ってたの?」
心配してた面持ちで白夜に問いかけたが、ヤレヤレと言った表情を浮かべて質問に答えた。
「ちょっと、散歩に行ってきただけだ。それより、こんな時間に庭で何をしてるんだ?」
そう、白夜に聞かれて夕紀は目を踊らせながら誤魔化した。
「あー・・・えーと・・・目が覚めたから水でも飲もうかなぁ・・・と思ったら、この子が庭に迷い込んでたみたいで、だから遊んでいたの。お、起きたのも、ついさっきだからね!」
「・・・そうか。」
なんとか誤魔化そうと手振り身振りする夕紀の姿に、白夜は思わず笑ってしまった。
「な、なによぉ。」
「いや・・・それより、明日学校だろ?早く寝ろ。」
「はーい。じゃぁ、ワンちゃんバイバイ。」
夕紀は白い犬の頭を撫でてから立ち上がった。
犬も夕紀が立ち上がるのを目で追い、ゆっくりと立ち上がると白夜の方へと歩いて行った。
すると、犬は白夜の影の中へと吸い込まれるように消えていった。夕紀は驚いて白夜に尋ねた。
「え?あれ?何で、ワンちゃんが白夜の影の中へ?あれ?」
白夜は口を押さえて笑うと、
「実は、あの犬はワシの分身だ。」
「え?えぇぇぇ!!って事は?!」
「お主が犬に語りかけていた会話はワシに戻る事で、筒抜けになるな。」
「いやー!!やめて!」
恥ずかしく悶える夕紀の姿を、ニヤニヤと白夜は笑って見ていた。
「そんな目で見ないで!!」
「ハハハ!さっ、早く寝ろ。」
「え~ん・・・白夜のいじわる!もぉ・・・恥ずかしいよぉ。」
夕紀は顔を真っ赤にして自分の部屋へと駆け足で戻っていった。
白夜は戸を閉める前に夜空を見上げて、
「あの二人が幸せになると良いな。」
と、呟き戸を閉めて歩いて夕紀の後を追った。