第三十七話 理由
落ち着きを取り戻した男は、木にもたれかかって話し始めた。
「オレは・・・大学病院で外科を担当してる医者なんだ。それなりの実績も積んできた。」
「ほぉ・・・医者だったのか。その医者が自分の命を粗末にしようとしたのは、関心せんな。」
「ハハハ・・・そうだな、当時のオレだったら同じ事を言いそうだ。」
男は白夜の手厳しい指摘に苦笑いを浮かべながら、その指摘に同意した。
「オレがこうなったのも、キッカケがあったんだ。」
「ほぉ?」
悲しげに男は目をつむり、思い老けるように夜空を見上げた。
「多くの手術をしてきた。それで、沢山の人を救い・・・いつの間にか、名医とか天才外科医とまで言われるようになった。」
「凄いではないか。」
白夜の感想に、男は少し照れながら微笑んだ。
「もちろん。その分、救えなかった命もあった・・・。だから、更に多くの知識と技術を身につけて、この手で救える命は可能な限り救っていくと、自分自身に誓いをたてていたんだ。」
男は自分の手を見つめながら語り、その手を握りしめた。
「そんなオレでも、婚約を約束した女性が居たんだ。」
「ほぉ・・・もしかして、その女性に何かあったのか?」
白夜は、男が死のうとした理由が少し見えてきた。
「そう、最初は軽い頭痛だったらしい・・・長く・・・長く一緒に居たのに、オレは気付かなかったんだ・・・彼女の脳に腫瘍が出来ているのを・・・。」
そう言って、男は両手で顔を覆った。見かねた白夜は慰めるように言った。
「仕方なかろう?そんなモノは普通、簡単に気付くはずが無かろう?」
白夜の言葉に、男は声を荒げた。
「オレは医者だ!そんな、些細な事を幸せの中で見失っていたんだ!・・・すまない。怒鳴ったりして・・・でも、その軽い頭痛を見落とさなければ、彼女はあんな姿にならずに済んだんだ。」
「・・・。」
白夜は、掛ける言葉が見つからなかった。男はもたれかかっていた木を滑るように座り込んだ。
「彼女の腫瘍は、脳の動脈近くに出来ていた。成功率は、ほぼ0%・・・絶望的な数字だった。もちろん、病院内では手術を反対する人達もいた。・・・だが、オレには彼女を救える技術と知識があった。」
男は頭を掻いて、軽く息を吸った。
「一生懸命にオレは彼女を勇気づけ、不安にならないように振る舞った。だから、彼女もオレを信じ微笑んで手術に望んでくれた。でも、握っていた手は震えていたんだ。・・・本当は、彼女にオレの本心を見抜かれていたのかも知れない。」
「本心?」
白夜の問いかけに男は軽く頷くと、
「オレ自身にも迷いがあった。・・・彼女を失うかも知れない恐怖心があったんだ。『大丈夫』、『手術は絶対成功する』、今思うと、この言葉は彼女に言ったのではなく・・・自分自身に言い聞かせていたんだ。」
「・・・で、手術の方は?」
「手術は成功した・・・とは言え無いな。」
「どういう事だ?」
歯切れの悪い言葉に、白夜は首をかしげて尋ねた。
「脳に出来ていた腫瘍は、思ったより動脈を巻き込んでいて、摘出する際に動脈を傷つけてしまって、出血したんだ。何とか止血をして手術は終了した。・・・だけど、その出血のせいなのか・・・目を覚まさないんだ。体も脳の傷も完全に癒えてるのに・・・多分、もう・・・彼女の笑顔を見る事は出来ないのかも・・・そう思うと・・・。」
そう言って、男は頭を抱えて塞ぎ込んでしまった。見かねた白夜はタメ息をついて、
「諦めたのか?」
白夜の言葉に男は激昂して、反論した。
「諦める訳無いだろ!オレは彼女の目が覚めるまで2年間あらゆる手を尽くしてきた!でも、ダメだったんだ!!」
ハァハァ・・・っと息を荒立て居た男は、息を整えるように深呼吸をした。
「・・・もし、神が居るとしたら・・・余りにも残酷な仕打ちじゃないか?オレは、人を救う為に学んできた事が・・・大切な人、一人救う事が出来ないなんて・・・。」
男は笑いながら、涙を流し両手で空を仰いだ。
「きっと・・・彼女はオレを恨んでるかも知れない・・・。オレのエゴで無理矢理、延命装置で生かされてるのだから・・・。」
そう言った瞬間、イキナリ頬を叩かれ、男は驚いた表情で白夜を見た。
「馬鹿を申すな!お主に命を救われた者は、恨み言を残して去っていったのか?違うだろ?もう一度、お主に命を救われた患者達や家族の顔を思い出してみろ。」
その言葉に男は、再び顔を両手で覆い、
「・・・笑っていたさ・・・涙を流しながら笑顔で感謝された・・・。」
「それが全てだ。お主が行っていた事は、決して恨まれるような事では無かろう?きっと、お主の思いが報われる時が絶対に来る。」
「そう・・・だな・・・。諦めなければ、彼女も許してくれるかな・・・。」
白夜は微笑んで、男の肩を軽く叩くと、
「それは、彼女が目覚めた時に聞けばいいさ。」
男は白夜の顔を見つめて、神妙な顔で尋ねた。
「本当に彼女は目覚めるだろうか?」
「大丈夫だ。絶対目覚める!ワシが保障する。」
白夜の後押しする言葉に、男は目をつむって何か吹っ切れた感じに立ち上がった。
「ありがとう。君が保障してくれるのなら、本当にそう思えてきたよ。」
そう言って、男の顔は憑き物が落ちたようにスッキリしていた。
そして、思いついたように白夜の方を見下ろした。
「そう言えば、君の名前を聞いてなかった。俺は、長谷川 晃司」
「ワシは、白夜。白い夜と書く。」
「白夜か・・・良い名前だね。死神と言って悪かったね。君は天使だったんだね?」
白夜は笑いながら否定した。
「いいや。見ての通り、ただの通りすがりの子供だ。期待できるほどの力はない。・・・そうだな、後押し位は出来るかも知れないな。」
ふと、白夜は晃司に尋ねた。
「・・・そうだ。お主の彼女の名前は?」
「あぁ・・・彼女の名前は、近藤 美由紀って言うんだ。」
「そうか・・・良い名だな。ワシは帰るから、もう馬鹿な事はするなよ?」
ニッコリと微笑み、背を向け手を挙げて帰ろうとする白夜を、駆け寄って晃司は呼び止めた。
「あっ!待ってくれ。それならオレが送ろうか?車からそんなに離れてないと思う。」 「大丈夫だ。歩いて帰れる。」
「本当に大丈夫かい?・・・あっ!そうだ!」
晃司は何かを探すように手で体をチェックして、ポケットから財布を取り出した。
「もし、助けが必要なら此処に連絡してくれ。必ず力になるよ。」
そう言って、財布から名刺を取り出して白夜に渡した。
白夜は名刺を受け取り、微笑みながら、
「ありがとう。機会があったら使わせて貰う。」
名刺をポケットに入れて、森の闇へと溶け込んでいく白夜に、晃司は叫んだ。
「また、君に会えるかな?」
すると、闇の中から響くように、
「生きていれば、必ずまた会うだろう。」
そう返事が返ってくると、大きい風の音共に静寂が森に戻った。
晃司は、この不思議な出会いをいち早く彼女に伝えたく、暗い山道を足早に駆け抜けて車の処まで戻っていった。