おやすみから、おはようまで。あるいは安眠の友。
「きひひひ」
「うひひひ」
二人で顔を見合わせて魔女のように笑うくらいにいい出来だ。
「商人、おぬしのワルよのぅ」
「いえいえ、姫様ほどでは」
というごっこ遊びを始めてしまうほど、寝不足でもあった。
なお、付き合わされる侍女はまたやってるという表情で壁際に移動した。護衛の女騎士たちはやれやれと言いたげに肩をすくめて扉の前に立った。
合宿のようなお泊り会で完成したのは夜間胸覆いである。外聞が気になるので大っぴらにつけるのは難しいが試してみたいという層がいたからだ。
夜間にこっそり、お胸を労わる、秘密の秘め事。
と背徳感もセットにして売り込む予定である。
それは表側の理由。
「あの頭の固い人たちに送り付けてやるわっ!」
雄々しく宣言するロレッタにぱちぱちとライラは手を叩いた。やっぱり寝不足がきている。
「その前に寝ましょ」
「そーですねー」
二人は夢も見ないような眠りの世界へ旅立った。
この世界には、謎の布がある。通称乳袋。ほかに言いようがなかったのかと思うが、主な利用先がソレだったのでいつの間にか定着していた。
平たい布なのに、着用するといい感じに伸びてぴったりする布。これがこの世界で一般流通している普通の布なのである。
ライラはなにそのオーパーツ、と思っている。幼児のころうっかりオーパーツといったら、母におぱんつ? と聞き返されたのでもう言うこともないけど。
謎の布の生産現場は、織機である。それはライラが前世でテレビとかで見たことがあるようなでかい機械だった。それも織るだけではない。投入口があり原料を入れれば自動で生産される。主に綿花が入れられていた。花のまま。それがあら不思議、機械を通すと布としてでてくるのである。
なんじゃこれというところである。
途中で原料を取り出して他のものに流用できないかとライラは思ったが、そうはいかないものらしい。今までそのような試みをされているが、ことごとく失敗していた。
製作者の並々ならぬ熱意なのだろうか、この織機は乳袋用の布しか作れない。世の中のバグである。
この織機、製作者も不明、いつからあるのか不明なので、ほんとになにこれ、である。
その乳袋の布を内側に用意し、外側に硬めの布で押さえる。今回の夜間胸覆いはそう言う形にした。
量産を主眼に開発している。
こうなったのはロレッタの意見にライラが同意したためだった。
皆が興味を持っているうちに攻勢に出たいというのがロレッタの考えだった。
手遅れになってはもう遅い。
二重表現だがライラにもいいたいことはわかる。不可逆なのである。十年後に恨まれたくもない。
しかし、お手軽に配布するようなものがない。
スポーツブラのほうは小さな工房が稼働しているだけでまだ受注生産で量産体制にはまだならない。ワイヤー入りのものはライラが個人作業で試作している段階でありこちらも量産も遠い。
体型補正という意味ではコルセットがあるが、コルセットは王妃様が任せて! と段取りを組んでしまった。近々、大きな工房でのセミオーダーが始まる予定である。気がつけばライラの手のうちにはなく、えぇ? という気分ではある。ただ、販売相手が海千山千のお姉さま方なので、ライラの手に負えないのも確かである。売り上げと会社化などしたときに役員に入るなど特権と引き換えにお任せした。私の前にみんなひれ伏すのよとか言っていたのは全部丸っと聞かなかったことにした。
そこで思いついたのがナイトブラである。サイズが雑でもまあ、許せという精神で量産化を決め、その試作品がようやく完成したのである。
二か月かかった。
いつまでも他の仕事に関わってるからだとロレッタに拉致されて二週間のほうが正しいかもしれない。胸覆いの普及については彼女のほうが熱心である。ライラのほうが冷ややかともいえる。
ただのご令嬢であったときには触れることもできない資料にライラ以前にも同様の試みをした形跡が残っていた。
どーせ、すぐ飽きんでしょ、というところである。らいらとしてはそのうち誰もつけなくなっても仕方ないという覚悟はしていた。
その前に荒稼ぎできるならしておきたいというところもある。老後も安泰の資金は欲しい。
夢の世界からライラが帰ってきたころにはロレッタはもう起き出していた。ライラが家にいるようなノリでパジャマのまま寝室から出てくれば冷たく着替えてきてといわれてしまった。
おなかを搔いたのがダメだっただろうかとしょんぼりしながら、着替えていけばロレッタはテーブルに試作品を置いていた。
「5種用意して、どれも可愛くして、って感じね。デザイナー呼ぶわ。
ライラも私もセンスないから」
「ございませんね」
ライラが同意するより早く、お付きの侍女が同意していた。長い付き合いのもはや幼馴染レベルなので私的環境ではこのくらい言えるらしい。
そして、なぜかライラを敵視していた。なんか睨まれると思っているが、愛想笑いで返している。
「大人っぽいほうがいいと思うのよね」
「いえ、ここは、全力で乙女にしましょう」
「寝るだけよ?」
「誰にも見せないものです。趣味全開の乙女にしましょう。若いころはつけられてけど大人だし、いい歳だしと着れないもの諦めるものがあると思うんです。
そういうの、狙い撃ちです」
「実感がこもってそうだけど」
「母からの受け売りです」
ということにしたが、ライラにも一応前世分のアレコレがある。可愛いの欲しい、めっちゃほしいという願望はあった。
「サイズの違いで買えないとかないとかないとかいうと心が削げるので、ほんと、全部同じにします。
特盛のかわいいです」
「……効くかしら。叔母様に」
ロレッタは疑惑の眼差しだったが、ライラは力いっぱい頷く。
「ああいう人、意外と可愛いのもの好きです」
ああいう人。というのは、保守派なお堅い方である。伝統と格式を重んじ、新しいものなど論外というほどである。彼女に比べれば、教官など可愛いものだとライラは思っている。なにせ彼女はスポーツブラにあっさり陥落し、これで動きやすくなったと大変気に入ったらしい。そして、なぜか婚約者との仲が改善したそうだ。これはロレッタからの情報である。
なお、ライラは逃げ回っているので直接会ってはいない。良ければ訓練一緒にしませんかという不幸の手紙がやってきたためである。ライラは怠惰に生きていきたいのでお断りである。しかし、会ったら流される自信があるので逃げるしかない。
ロレッタはまあまあと防波堤になってくれているのでライラとしては親友っ! という気分ではある。
閑話休題。
ロレッタの叔母は元王女様である。侯爵家に嫁入りし、お子さんが2人いる。そのうちの一人とロレッタの婚約話が出ているらしい。
もしかしたら、義母になるような人が胸覆いにいい顔をしていない。むしろ、胸覆いを敵視している感がある。
それは早めに懐柔しておきたいとロレッタは言っていたが、それも建前である。
二人しかいないベッドの中で、貶されただの馬鹿にされただの言っていたので、かなり私怨で胸覆い沼に突き落とす気である。
ライラは早く寝たいと半分聞いてなかったが。
その叔母様にナイトブラを送り込む。その方法は、誕生日プレゼントに紛れ込ませる、である。大体は箱のまま渡され、部屋に戻るまで開けることがない。部屋で驚かせちゃおうぜ! という話で、わりと打ち捨てられるのではないかと思わなくもない。
ロレッタ曰く、姪の贈り物を捨てたりはしないわ、死蔵するかもしれないけど、ということらしい。
それではだめではとライラは言ったが、ロレッタはそこはお手紙で懇願してみると悪魔のような顔で言っていた。
悪辣といえば、ライラの真似よとロレッタがわらう。ライラはぐっと黙る。いくつか身に覚えはなくもない。
まあ、頑張ってとライラは送り出すつもりだった。
なぜか、ライラも招待された。
「嫌だ無理だこんな恥ずかしい恰好できない。揺れなくていい私のかわいいおっぱい大事なのぉ」
というライラを引きずりロレッタは叔母の誕生会に乗り込んだ。
ドレスコードに胸覆い禁止とあったのだ。
数年ぶりの自由な胸が揺れてライラは虚ろな表情である。最新のドレスはやはり露出が多い。
「乳袋なんて乳袋なんて」
無駄に肌触りが良く、上質なのがたちが悪い。ほかの使い方考えてやる。撲滅じゃと明後日のほうに闘志を燃やすライラとまたなんか変なこと考えてると呆れるロレッタ。
壁の隙間に帰りたいと訴えるライラを追い立ててロレッタは叔母の元へ送り込んだ。
「叔母様、お誕生日おめでとうございます」
「この年になるとめでたくもないけど、ありがとう」
「侯爵夫人、おめでとうございます」
なに侯爵だったかなと思いだし損ねたライラはそういって淑女の礼をとった。やっぱり筋トレではと思うような姿勢である。
「ありがとう。ロレッタとの仲は知っているわ。あまりにも隠すから男かと思ったけど違ったのね」
「……は?」
ぽかんとライラは侯爵夫人を見る。真顔である。
「生まれてこの方ずっと女ですが」
「おばさまったらっ! 私とライラはとっても仲の良いお友達です。ねえ?」
「え、ええ。恐れ多くもそう言っていただけてますが……」
疑問があるが、なにがどこから突っ込めばいいのか、いや、突っ込んでいいの? とライラが困惑しているうちにロレッタが引っ張る。
「では、今度お茶会でお会いしましょう」
「まちなさいっ」
「贈り物、楽しんでくださいね!」
「あ、ちょ、わたし、どんくさでっ」
ばたばたと会場から逃げ去るロレッタ。付き合わされるライラは息をきらしている。
馬車に乗り込んでようやく息をついた。
「……で?」
「でってなにかしら?」
目が泳ぐロレッタ。じーっとライラが見れば観念したように両手を肩のあたりまであげた。手のひらをこちらに向けるのは何も持ってませんよという降伏の証だという。
なにかにつけ物騒な意味づけされる世界である。
「侯爵夫人、変なこと言ってましたよね?」
「あまりにも肌隠すから私の愛人じゃないの疑惑があったんですの」
「は?」
「違うと言ってもうわさは広まり、じゃあ実物をと思ったの。悪気はないのよ。隠したのもライラが嫌な気持ちになるかなぁって」
「……そんな噂のある中、合宿」
「そ、そうね」
「逆に、侯爵夫人の興味や関心を持つように、煽ったんじゃないですかね?」
「そうかしらぁ」
「嫁候補ですもの、気になさりますわよね?」
「ライラさん口調が」
「侯爵家のご婦人の誕生日会で、お披露目すれば一気に噂も消滅するでしょうけどねぇ」
「そうでしょう。ライラが嫌な思いしないように考えたましたのよ」
「……次は、相談してください。一人で悩ませてすみませんでした」
やり方がひどい、というのはひとまず置いた。ロレッタはロレッタなりに考えたということにしておこう。なんか、その裏にいろんな都合がありそうだがそこも目をつぶる。
「わかったわ」
「でも、今日は疲れたので、二か月くらい引きこもりますね」
「え」
「量産体制のあれこれの采配もありますし、今、予約もらっているものも早く手配したいですし。
姫さまとはしばらく遊べませんわ」
にっこりと笑ってライラは宣言した。
「この隙に武闘会の特訓でもされては? 胸覆いも武道を嗜むご令嬢に浸透してきていますし、うっかりしてると越されますよ?」
「わかったわ」
悄然としていうロレッタがライラはちょっとかわいそうに見えた。
ライラはこのお姫様に甘いのだ。最初のスポンサーはやっぱり贔屓する。
「姫様が、どーしても、というなら、短期用のきつい胸覆い特注してもいいんですけど。
代わりに美しさは消えます」
動かないようにぎゅっと押さえつければ、動くときに邪魔にも気にもならないはずである。ライラはへっぽこなので想像でしかないが。
「心の友」
がしっと両手を握られていた。
「待っていて、優勝はあなたに捧げるわ」
そういうのはちょっと……とライラは思ったが半笑いで聞き流した。
それから一か月後、ライラの元にとてもそっけない注文書が届いた。
「同じものを五枚。色違いで?」
注文主を見れば、侯爵夫人だった。
お気に召したらしい。
ふふんと笑いながら、ライラは最速納品と印をつけた。それから注文の礼の手紙をしたためた。色々カスタマイズすればもっと素敵に楽しめますよとご案内と布と飾りのサンプルをつけて。
そこから、うちの息子どうかしら、という売り込みがくるとはライラは想定していなかったのである。
もちろん断った。