中洲祠はご立腹
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あ、先輩、いまおかえりでしたか?
どうでした、今回の取材旅行は? これからすぐ、忙しい時期がやってきますからねえ。ここで動かなきゃ、いつ動くという感じですよね。
24時間、48時間、72時間……すべての人に、時間は平等に与えられて、貯めることはかないません。なにをどのように消費しようと、とがめてくるのは自分を取り巻く人や仲間や組織ばかり。
世界そのものは、なんでも認めてくれます。寝て暮らすことから、イケナイことだって、たまりにたまったツケを取り立てるのは、先に挙げた存在ばかりですものね。
ややもすれば、漫然と過ごしてしまいかねない命の時間。それを重ねることには、たとえどのようなものでも、力が宿るかもしれません。ベクトルは分かりませんけどね。
先輩、お時間ありましたら、そのあたりのベンチで少し休みませんか?
先輩に提供できそうなネタを、話していて、ふと思い出しちゃったんですよね。
私のおじさんの実家は、海の近くにあるそうでしてね。年に何度か帰っているみたいなんですよ。
――お前は行ったことがないのか? 妙に他人事みたいな話し方をする?
そうなんです。私は連れて行ってもらったことがないんですよね。
昔ながらに女人禁制、とまでは言いませんが、地元で生まれた女以外が外部からそこへ入るためには、なかなか厳しい条件を満たしたときでないとだめだとか。
なので、私はまだ訪れたことがないんです。けれど、そこでの話はおじさんがいろいろしてくれまして。これはそのうちのひとつです。
おじさんの実家は、海へ流れ込む川の下流にほど近い位置でもあります。
少し歩くと、川の対岸と対岸を結ぶ橋に、いくつもぶつかるみたいでしてね。小さいころは、どの橋の下で遊ぶかを友達と相談することがけっこうあったのだとか。
子供が外で遊ぶこと、親御さんにとっては歓迎するのがほとんどでしょうね。たいてい、おじさんは快く送り出されたけれど、ごくまれに「お願い」をされることがあったみたいです。
川を上流へさかのぼること、三つ目の橋。
地域でも利用する人や車の数が多い大型の橋で、自転車を飛ばしたならば十数分で着く距離にありました。
三ケタメートルはあるであろう川幅。そこには水の流れに分断される格好で、いくつか中洲ができているんですが、その一角に小さな祠が建っているそうです。
大仰なものとはいえません。子供でも簡単に上から足で踏めてしまいそうな、小さいサイズ。外観はほとんど石が用いられていて、正面の開き戸の部分のみ木で作られていました。いわゆる石祠というやつですかね。
そこへ、お供え物をしてきてほしいのだと。
お願いをされるとき、おじさんに渡されるのはポチ袋。お年玉を入れるのに使う、あの小さい袋ですね。
最初渡されたとき、お供えするのは小銭かなと、おじさんは思ったみたいです。
口をぴっちり閉じられた袋は軽く、振ると中でカタカタと、何かが動いて袋の内側にぶつかっていく音がしました。袋越しの指触りも、想像通りです。
けれど二回目に任されたとき、おじさんは首をかしげたくなりました。
ひと目でわかる、袋のふくらみ。
ピンポン玉やゴルフボール、あるいはもう少し大きいと思う球体が、おさめられているのが明らかでしたから。
口はホチキスできっちり止められ、さながら現金を入れているかのよう。軽く子供のお使いで任せていいものかどうか。
「破らないよう、口が開かないよう、気を付けて」と注意をうながされて、おじさんも怪しさに、少し胸がムズムズしたもの。
けれど、ちゃんと供えてきたなら、お菓子やジュースを振舞ってもらえるから、深く考えないよう努めたみたいなんですね。
――ん、どうしてちゃんと供えたか分かるか?
どうやら祖父母は、おじさんが帰ってきた後で、わざわざ自分が現場におもむいて、お供え物の様子を確かめていたのだそうです。
置いた位置まで正確に告げられますから、確認は間違いありません。
「これは、すっぽかすとまずいことになりそうだぞ」と、子供心に警戒するには十分。
あれほど楽しかった外遊びの時間は、おじさんにとって、やや緊張をはらんだ時間となります。
毎回ではなく、ふとした拍子に頼まれますから。かえって心臓に悪かったりします。
それでも「お菓子のため、ジュースのため」と自分に言い聞かせ、抜かりなくお供えを終えていくおじさん。
お供えは多いと月に6,7回ほどでして、おじさんがやり始めて、かれこれ半年。
時期は5月の末ごろと相成りました。
その日も、頼まれた通りのお供えに、自転車を走らせるおじさん。
預かった袋は、カバンに入れて肩から提げていますけど……それでも、カバーしきれない臭いを、かすかに放っています。
納豆の臭いに近かった、とおじさんは語っていましたね。おじさん自身はそこまで苦手ではありませんが、いつまでもカバンに入れておきたくはないもの。
――なあに、いつも通りにやって、とっととずらかればいいんだろ?
ほどなく、河原に到着したおじさんは、中洲まで通じている飛び石をポンポンと渡っていきます。
石祠は、変わらぬ佇まいでもって、そこにたたずんでいました。
最初に指示された通り、その祠の観音開きになっている戸の真ん前に、ポチ袋を置けば完了。
なのですが、その日はすんなりとはいきませんでした。
カバンから取り出すおり、袋をつかんで引き上げる手が、たまたま肩の紐にぶつかってブレーキを掛けられるかっこうになってしまったんです。
慣性とは怖いもの。
おじさんの腕こそ強引に止まりましたが、袋にかかった力は止まらず。ぽーんと、すっぽ抜けるかたちになっちゃったんです。
おじさんより数歩、後方の石の上。
ですが、振り返ってその存在を認めたときにはもう、袋は取り上げられていました。
サギを思わせる一羽の鳥。まるで狙いすましたかのようなタイミングで舞い降りた真っ白い一羽が、おじさんが動くより早く、袋を2,3回つついたかと思うと、ぱっと口でくわえて飛び立とうとしたんですね。
「あ」とおじさんが声をあげて、追いすがろうとしたところで、足元にひんやりとした感触が襲ってきます。
水です。
いつの間にか、中洲全体の地面へうっすらと水が染み出てきていました。
みるみるそれらは水たまりとなり始め、靴の湿り気はどんどん増していきます。
――水位が上がっている?
考えるのは後。おじさんは、すぐに退避しました。
川全体の増水であったならば、飛び石も一緒に沈んでいてもおかしくないはず。
しかし、それが健在であったということは、水位が上がったのはあの中洲部分だけ。
飛び石を渡りきったおじさんが振り返ったとき、中洲は祠もろとも水の中へ隠れていたといいます。袋をくわえたサギらしき鳥も、中洲からそうとうに離れたように思いましたが。
落ちました。
それはほぼ直角の急降下で、水柱とともにサギは水中へ叩き落とされました。
勝手に落ちた……とはた目には思えるかもしれませんが、居合わせたおじさんは、明らかに意図を感じる、不自然さを覚えたとか。
サギはそのまま浮かんできません。
一方の中洲はというと、おじさんの見ている前でどんどんと水位を下げていきます。
来たときとほぼ変わらない形に戻ったとき、おじさんが目を凝らすと、祠の前にはポチ袋がありました。
ぐしょぐしょに濡れてはいましたが、どうにか形を保ちながら、いつもの定位置に。
おじさんが聞くに、あのお供え物はこの地域の小さい男の子が持ち回りで任されるようでして。
それ以外だと、あの祠にまつられている神様が機嫌を損ねて、川にいたずらしてでもお供えをさせるらしいんですよ。