第九十七話 空っぽ
~~~高天原・ナオビノカミの社~~~
「これでよし………と。
カケルという人間も、ヒルコという神も治ったぜぇ」
穢れを祓うナオビノカミ。
“穢れ”というものを存在させる神、マガツヒノカミのあとに生まれた。
神の存在は、その神の象徴である《力》をこの世に存在させるためにある。
例えば風の神、シナツヒコ。
シナツヒコの存在により、葦原の中つ国に《風》は存在する。
雷の神、ホノイカヅチ。
火の神、カグツチも同様である。
「ありがとうございます。
ナオビノカミ様」
シナツヒコは深々と頭を下げた。
翔とヒルコの安らかな寝息に、ほっと安堵の溜め息をつく。
「ほれ。シナ。次はお前さんだよ。
腕を見せな」
「え?僕ですか?
僕はこれくらい平気ですよ?」
「何言ってんだ。腕がパックリしてんじゃねーか。
確かにシナは他の神々に比べて清いけどな、お前さんでもその穢れが治りきるのは数十ヶ月はかかるぜ」
「えっ……。
す、数十ヶ月…ですか?」
「そのナニカってヤツの穢れは相当強いな。
シナは普段なら数日、軽い穢れなら数時間で治っちまうだろ?」
「ですね」
「穢れは時間がたてば治る。
だから数十ヶ月くらいどうって事ないって思うのは甘ぇからな」
「…と、言いますと?」
「いくら波動が高く強い神でも、バカ強い穢れを放っといた末路を………。
知りたいか?」
「は、はい……」
「傷口から腐敗してくるぜぇ?
そっからウジ虫もわんさか湧いてくるらしいからなぁ?」
「治療、お願いします!!」
シナツヒコは秒速で腕を出した。
「はいはい。
………ま、余計なこたぁ聞かねぇから安心しな」
「は?」
「色々突っ込まれて聞かれるのが嫌で、オレに借りを作らねぇようにしたんだろ?」
「うっ………!」
すべてお見通しのようだ。
「でもそれを言うならな、カケルとヒルコを治した時にはお前はすでに立派な借りを作ってるからなぁ?」
「お…、おっしゃる通りです……」
ぐうの音も出ない。
○○○
翔とヒルコはまだ眠っている。
シナツヒコはナオビノカミにコーヒーを淹れた。
ポケットにこっそりしのばせていた、個包装のドリップコーヒー。
翔とヒルコが治った時点ですぐにツクヨミとスサノオの所に戻るつもりだったが、ナニカの禍々しい穢れが消滅した気配を感じた。
ナニカ自体はまだ存在するため、万事解決ではないが、とりあえずひと安心だ。
「………何でぇ?これは?」
「知りませんか?コーヒーですよ」
「ああ……、名前くらいは知ってるが……。
飲んだ事はねぇな」
「ありゃ。ナオビノカミ様、何事も経験ですよ。
飲んでみて下さい」
「う………、あ……、そ、そうだな」
「お礼も兼ねてますので~」
「お、おう………」
ごくん。
一口飲んだ。
「うぇぇぇぇ………。なんじゃ、こりゃ?
とてつもなく苦えじゃねぇか!」
「ありゃ。そうでした?この苦味がまたいいんですけどね~」
ササッとポケットから携帯用の砂糖とミルクを取り出し、ナオビノカミのカップに入れてかき混ぜた。
「もう一度飲んでみて下さい!
甘くなってますよ」
「ほ、ほんとか?」
「マ・ジ・で・す」
ごくん。
一口飲んだ。
「おお!うめぇじゃねえか!」
「それは良かった~」
シナツヒコはササッとポケットからビスケット、クッキー、煎餅を出した。
「何でも出てくるじゃねぇか」
「カケルくんとヒルちゃんが起きるまで、まったりお茶でもしましょう」
「………。
抱えて帰るって選択肢はねぇんだな?」
「?
何か言いました?」
「いんや、なんも。
じゃ、いただくかなぁ」
「どうぞどうぞ」
煎餅を袋から取り出すと、ナオビノカミはバリバリと食べ始めた。
「………シナよ。
余計な事は聞かねぇけどな、一つだけいいか?」
「はい?」
「ヒルコは…、何の神だ?」
「え…………」
「ヒルコは穢れを受けたんじゃねぇ。
苦しんでいたのは穢れのせいじゃなかった。
激しい共振のせいだった」
「…共振…、ですか?」
「共鳴、とも言うがな。まあ、激しく揺れ動いたせいで酔った、というのが一番近いな」
「そう……、ですか…」
「酔ったっつっても、並大抵じゃねえからな。
人間で例えるなら、乳幼児揺さぶられ症候群に近い。
外傷はないが、脳内に損傷は残る。非常に危険だ」
ナオビノカミはクッキーに手を伸ばし、外袋を開ける。
「オレのところに来て正解だったぞ」
シナツヒコは胸を撫で下ろした。
「良かった……」
ヒルコは幸せそうな寝顔で眠っている。
それにしても、揺さぶられたとは何なのだろう。
やはりまだ疑問は残る。
「だけどな」
ナオビノカミの表情が少し硬くなった。
「ヒルコの中身がスカスカだったんだよな。
もともとなかったのか?
あったのがなくなったのか?
知らんが。空っぽだった」
「え………!?
ちょ、ちょっと待って下さい!それって……。どういう事ですか!?」
シナツヒコも理解しがたいといった顔をしている。
「ヒルコの頭の中に脳ミソが少し。そんだけだ」
「で、で、でも!でも!
ヒルちゃんは食べ物を摂取しますよ?
そ、それに……!心臓は………!?」
ヒルコからは鼓動が聞こえる。
食べ物だって、いつもミキサー状にして胃に直接吸収している。
心臓も胃もないのなら、それらは一体どうなっていたのだろうか。
「鼓動の音は、体全体の振動音かもしれねえ。
食べ物は………、ちっとわからねぇな」
「そんな………!
だ、だけど…。だけど……!!
ヒルちゃんは生きてます……よね?」
『スピー。スピー』
今、まさに、かわいい寝息が聞こえてくる。
「ああ………。生きている。
だからこそ、わからねぇ」
『スピー、スピー』
「ナ、ナオビノカミ様………!」
ギュッ拳を握り、シナツヒコはヒルコの生まれを話した。
ヒルコはイザナキとイザナミから生まれた、最初の神である事。
しかし土地の神としては不完全だったために、海に捨てられた。
この直後にシナツヒコとホノイカヅチに出会い、そして再び海に流された。
長い月日を経て、翔の命が芽生えた時にヒルコが魂の中へと入り込んだ。
そのヒルコはつい最近になって、翔の中から出てきたのだ。
「だけど…。今のヒルちゃんは記憶を忘れてしまっているんです。
僕とホノがヒルちゃんと出会った時はすべて覚えていました。
ヒルちゃん自身から、ヒルちゃんの生まれを聞きましたから。
でも今は…、ヒルちゃんは覚えていないんです。
イザナキ様とイザナミ様から生まれた事も。
………捨てられた事も。
……カケルくんの中から生まれたと思っています」
「ほーん………」
「何故だかわかりますか?」
「オレが知るわけねぇだろ。
話にも全然ついていけてねぇよ」
「えっ!?ちょっと何それ?
そうなんですか!?
げーっ!!
話して損した!」
「な、何言ってやがる!!普通はわけわからなくなるぞ!?」
こんな途方もない話をされて、すぐに納得は無理だろう。
神の体の構造は、人間のそれとよく似ていた。
機能は違うが、臓器の場所などはかなり酷似している。
つまり部品は違うが、設計図はほぼほぼ一緒、という感じだ。
それ故、ナオビノカミは翔の体のどの場所に穢れが溜まっていたかを判断出来たのだ。
「まあ、よくわからねぇが…。
ヒルコは不完全だろうが何だろうが、一番最初の神なわけだろ?
中身がなくても生きてんだ。問題ないって事なんだろ?」
「え…。ほ、本当に?
ナオビノカミ様、適当な事言ってません?」
「………。
適当に決まってんだろうがよぉ……」
「……………」
シナツヒコとナオビノカミは微妙な顔を見合わせた。
「……………コーヒー。
おかわりします?」
「…………頼むわ」
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~~~パラレルワールド~~~
恵比寿が帰ったあと、ツクヨミとスサノオは海を眺めていた。
スサノオのイメージした海は、だんだんだんだんだんだん波が高くなり、徐々に荒々しくなっていった。
「………何か…。
スサの本性が見えてきたから……。
帰ろうか」
「はい!ありがとうございます!」
「一ミリも褒めてない」
フワリと空に向かって飛び立つ。
ツクヨミとスサノオがパラレルワールドの次元を抜けると、海原がサァァァッとあっという間に消え去った。
「スサ」
「何でしょう、兄様?」
「恵比寿のこと…。どう思う?」
「恵比寿!七福神の恵比寿ですね!
いやあ、さすがは七福神!みどころはあるかと思います!」
「そう…だね。博識だし、思慮も深いと思う。
…………ただ」
「どうしました?兄様?」
ツクヨミの切れ長の瞳は憂いに満ちていた。
静かに瞳を閉じる。
「恵比寿は嘘をついた。
大部分は本当かもしれないけど。
一つだけ、嘘をついている」
「ええ!?それはまことですか!?」
「まだ確証はないから。恵比寿には言わない。
それはこちらで確かめる」
スサノオは困った顔を浮かべながら、頭をガリガリ掻いている。
「い、いや、しかし…。
なにゆえ恵比寿は嘘を…。そのようなタイプには見えなんだが……」
「そう………、だね。
だからその嘘は何のためだったのか。
それを含め、確かめる必要がある。
ナニカの名前を恵比寿は【エビス】、と言った。
これは嘘だ」
ツクヨミはもう一度、静かに瞳を閉じた。
「闇の中で、嘘はつけないのだから」