第九十六話 七福神
ナニカ【エビス】が去ったあと、重い沈黙が流れた。
その沈黙に耐えきれなくなったスサノオが、おずおずと切り出す。
「ど……、どこか落ち着いて話が出来る場所に移動したいのだが…。どうだろう。
兄様はどう思われますか?」
「………そう、だね。わかった。そうしよう。
いい?……恵比寿は…………」
恵比寿の足が視界に映るとツクヨミは言い淀み、ためらうように目を逸らす。
それに気付いた恵比寿はフワッと柔らかく笑った。
「ご心配、痛み入ります。
ですが、大丈夫でございます。
空は飛べますゆえ」
「そう。…ならいいんだけど。
ね、スサ。どんな場所にするの?」
「そうですねぇ…。
………あ!!
思い付きました!パラレルワールドはどうでしょう!!」
スサノオの提案に、恵比寿は笑顔で同意した。
「スサノオ様。
パラレルワールド、私も拝見しました。
素晴らしい世界でございました」
「お前も見に行ったのか?」
「はい。
他の神々も物珍しげに見ておりました」
「はっ、はっ、はっ、はっ!
そうだろう、そうだろう」
「アマテラス様、ツクヨミ様、スサノオ様が創られたパラレルワールドは、自分の考えた事が具現化されます。
このような世界をお創りなるとは、さすがは三貴神でございますね」
「な、なんと?自分の考えた事が具現化だと?
それは知らなかったぞ?」
「………。
………お聞きしてもよろしいですか?
あのパラレルワールドを、どのようなお気持ちで創られたのでしょうか?」
「どのような気持ち……とな?」
「三貴神の創られた時の感情が、パラレルワールドに大きく反映すると思われます」
「うーむ…。そうさなぁ……。
そんな深く考えてはいなかったのだが……」
「…………」
「強いて言えば、葦原の中つ国の人間の事を考えていたなぁ。
人間が傷つかぬようにするにはどうしたら良いのか?とな。
もちろん、高天原の神々も……。少しくらい、考えたぞ、多分」
「えっ…………!??」
恵比寿は目を見開いた。
〈とてつもなく意外な答え〉
…だったからだ。
「んん?どうしたのだ?呆けた顔して?」
「あ…………っ、い、いえ。申し訳ございません。
あの、とても意外でしたので………」
「そうなのか?」
「はい…。三貴神のような立派で特別に高貴なお方が…。人間の身を案じるとは…」
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!
何を言うておる?
面白いな!!」
豪快にスサノオは笑う。
恵比寿は少し戸惑っていた。
「ね、恵比寿」
ツクヨミがゆっくりと口を開く。
「パラレルワールドの仕組み、どうしてキミはわかったの?」
「それは……。私の足が悪いからでございます」
「?
どういう意味?」
「私は生まれつき足が悪うございます。
ですから、常に願っていたのです。
一度でもいい。
この足が動きますように、と」
「うん。それで?」
「パラレルワールドに行きますと、なんと私は立って歩いたのでございます。
その時、確信いたしました。
この世界は私の想像通りになる、と」
「なるほど…」
「申し訳ございません。
私は誤解しておりました。
このようなパラレルワールドは、高貴な神々様の気まぐれに過ぎないのだと………」
恵比寿は再び頭を深々と下げた。
勘違いが甚だしかった。
自分が恥ずかしい---。
そう思っていた。
「人間の事を考えて創られたのならば、パラレルワールドが自分の想像通りになるのは至極当然の事でございましょう」
「何故、そう思う?」
「想像通りになる世界。
それは人間にとって理想の世界でしょう。
誰もが夢見る世界です。
人間が幸せになるような世界を創られた…。
それこそが、まさに人間の事を大切に思っている証でございましょう」
「…………。
恵比寿。キミは先見の明を持っているようだ。
凄いね。驚いた。
キミは、一体誰?」
「私は……」
おもむろに顔を上げた。
「私は恵比寿…。
七福神の一柱として知られています」
「七福神!!?」
スサノオが驚いて叫ぶ。
「七福神て、アレだよな?
あの宝船に乗っている………」
「ええ、そうですね。
そんな描かれ方をされますね」
「七福神て、アレだよな?
色々な国の神が宝船に乗っている……」
「はい。
インド、中国の神がおりますよ」
「そうなのか…。
た、楽しいのか?」
「はい。それはもう」
「ほう!羨ましいな!?」
スサノオと恵比寿が笑い合っている横で、ツクヨミは溜め息をついた。
「納得、かな。
七福神か。
見解も知識も深いはずだ」
「ツクヨミ様…。
ありがとうございます」
「では改めてパラレルワールドに行こうではないか!」
「そうだね」
「はい。ご一緒致します」
「パラレルワールドに、このスサノオの思い描く海原を出現させようぞ!
俺の海はただの海じゃないぞ!!
「はーっ!はっ、はっ、はっ、はっ!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
~~~パラレルワールド~~~
眼前には、スサノオのイメージ通りの海原が広がっていた。
これは日没直後の水平線か。
マジックアワー。
昼と夜の境界線が見えた。
群青色と橙色の素晴らしいコントラスト。
「うーん!!我ながらよく出来ている!!
兄様もそう思いますよね!?」
「…へぇ。ビックリした。
スサの事だから、もっとギラギラしてメラメラして熱そうな海を出すのかと思った」
「タケルがいたら喜びそうな景色ですよね!?」
「カケル、ね」
「カケル!!」
「ま、あの子なら何でも喜ぶんじゃない」
「はっ!はっ!はっ!」
薄明。
魔法がかかったような空だ。
「……恵比寿。
教えてほしい。【エビス】とは何なのか。
キミと関係があるのか?」
幻想的な時間は短い。
あたりは既に暗くなり、空いっぱいに星が瞬いていた。
「………はい。
まず、これだけは言わせて下さい。
私……と【エビス】は…、無関係でございます」
うつむいたまま、恵比寿は小さく答えた。
「顔を上げて」
「は、はい」
「本当に?」
「は………はい」
夜の中で。
ツクヨミの神秘的な瞳で見つめられると、どんなささやかな嘘も簡単にバレてしまう。
隠したい想いも、覆われた気持ちも、すべて見破れてしまいそうになる。
「はい。本当でございます」
「そう。わかった」
恵比寿は深呼吸をした。
ドクンドクンと高鳴る鼓動を抑えようとしつつ、そのまま続ける。
「【エビス】は思念体です。
人間の子供の怨念が集まって出来たのでございます。
いわば【エビス】は憎悪の塊。
それゆえ、必要なのは討伐ではなく浄化です」
「子供の……。やっぱりそうだったのか」
「ツクヨミ様。お気付きでしたか?」
「なんとなく。子供かなというのは。
だけど、思念体だとは考えもしなかった」
「子供は無邪気です。
悲しい、苦しい、怖い、助けて…と言った叫びがそのまま集まり、そのまま念が具現化され個体として現れたのでしょう。
打算も疑いもありません。
何故?どうして?という叫びも………」
「ね、その子供って……」
「はい。
虐待などをされた…………。子供の怨念でございます」
「そう…………」
ツクヨミは目を伏せた。
ザザザ…と、波の音がする。
「恵比寿。
話を戻して悪いのだが、どうしてナニカは【エビス】という名前なのだ?」
「あ…、それは………。
私がその思念体を見つけたからでございます。
ほら、よくあるでしょう。
見つけた者の名前をつける、という…」
「ほう!そういう事か!
星の名前などもそうらしいな?」
「は、はい。
そうでございますね」
ツクヨミは星空を見上げる。
この星空はとても綺麗だ。
本物に見える。
しかし、ここはパラレルワールド。
所詮はイミテーション。
ニセモノだ。
煌めきも、その儚さも。
【嘘】とは何なのだろうか。
ツクヨミは星空を見上げ、考えていた。