第八十六話 秋祭り
もうすぐ十月。
さすがに猛暑日はないものの、相変わらず暑い日が続いていた。
とはいえ、今年もあと三ヶ月。
カレンダーがあと三枚。
カグツチが居候として翔の家で暮らす事になった。
表向きはシナツヒコとホノイカヅチの血縁、というていで父に紹介した。
父も最初は赤い髪の毛の少年に驚いたが、
「大歓迎だよ!」
と、迎え入れた。
カグツチの屈託ない笑顔が決め手となったようだ。
シナツヒコとホノイカヅチは、近所のコンビニのバイトを続けていた。
コンビニでは“超名物店員”の地位を築いている。
二柱曰く、
「人間離れしているイケメン店員だから」
…らしい。
人の本音はわからない…が、彼等がいい気分なら良いだろう。
翔は午前中は図書館で自主学習、午後は瞑想トレーニング・家事手伝い…を、日課にしている。
瞑想はすでに三十分は続けられるようになった。
思考を停止して、感性を研ぎ澄ます。
三十分の瞑想が出来るようになってきた頃から、ほんの少しずつだが、冷静に自分自身を観察出来るようになってきた。
翔は夏休み以降、まだ学校に行っていない。
ずっと休んでいる。
九月に入ってしばらくすると、担任の宮本先生からちょくちょく電話が来ていた。
家にも何度か訪問していた。
今までは、それらすべてを父に対応してもらっていた。
父は宮本先生に、クラスで何があったかの経緯を説明している。
翔にはまだ、先生と直接話す勇気がなかった。
だけどあと少しで、自分の口から自分の気持ちを話せそうな気がしていた。
体育祭が終わったあとから、クラスメイトの態度がだんだんと変化していった。
まず、よそよそしくなった。
その後、会話は自分からの一方通行になり、相手からは話しかけられなくなった。
今度は話しかけてもまともに返事を返してもらえなくなり、最終的には完全無視へとなっていった。
きっかけは体育祭。
翔が失敗してしまった事だ。
しかし、それはただのきっかけに過ぎなくて。
本当は積もり積もった不平や不満があったからだ。
パンパンに膨らんだ風船があって、そこに小さな穴を開けるように。
それは勢いよく空気が抜けていく。
とても短いスパンで、クラスメイトから総スカンをくらったのだ。
無視は完璧ないじめ。
それが長期間でも、短期間でも…だ。
そうは言っても、短期間だったのがせめてのも救いだろう。
無視は本当に辛い。キツイ。苦しい。
自分の存在を全否定してくる、最大の攻撃だ。
大人になれば、(時と場合にもよるが)無視なんてされたらこちらから無視してやるくらいになる。
仕事も、(時と場合にもよるが)転職してしまえばいい。
学校はそうもいかない。
【やめる】という選択肢がなかなか見つけられない。
そしてまた、【やめた】あとの選択肢もない。
最後は夏休み直前の教室。
無視という最大の攻撃のあとに、車椅子を蹴飛ばされる身体的な暴力と、言葉の暴力を受けた。
学校は狭い。狭い世界だ。
その狭い世界で、何も救いもなかったらどうなるのだろう。
想像に難くない。
宮本先生は提案をいくつか出してきた。
教室ではなく、保健室に通う事。
他の生徒に会わないよう、登下校の時間もずらしても良いと言われた。
あとは、進級するまで家庭学習をする。
テストをきちんと受けたら、授業に出たのと同じにしてくれる。
来年度、クラス替えを考慮してくれるとの事だ。
どちらも有難い。
有難いは有難いのだが…。
まだ答えが出せない。
「ゆっくり考えていいよ」
父は言ってくれていた。
それでも。
もうすぐ十月だ。
そろそろ自分の答えを見つけなければ。
いや、早く見つけたい。
◎◎◎
今日は家の近くで秋祭りがある。
翔はシナツヒコとホノイカヅチとカグツチと一緒に、夕御飯のあと、ちょっとだけ覗きに行く事にした。
「人も多いし、大丈夫か?」
父は心配した。
「うん…。大丈夫。気をつけるよ」
夜の車椅子は危険を伴う。
「大丈夫です!僕が車椅子を押しますから!」
「俺も。細心の注意を払います」
「わかった。シナくん、ホノくん、よろしく頼むよ」
◎◎◎
家を出て大通りまで行くと、たくさんの祭りの見物客が歩いていた。
「カケ兄。何で夜は車椅子が危ないの?」
翔と同じ目線のカグツチは、車椅子を見ながら首を傾げた。
「うん。夜は暗いからね。
ほら。街頭はあっても、足下は昼間よりずっと暗いでしょ?」
そう。とにかく段差が見えにくいのだ。
「あ!本当だ!暗い!」
「ね。だから危ないんだ。
今は押してもらってるから助かるけど、一人だとライトとか欲しいかなぁ」
「ライト付きの車椅子?あるのかな?」
「あるよー。何かね、車椅子の下が光るんだよ」
「え~!カッコイイ!
もしライトがなかったらさ、ボクが火をつけてあげるよ!」
「カ、カグくん。燃えちゃうよ…。ぼくもろとも…」
カグツチはキャッキャッとはしゃぐ。
生まれて初めて見る秋祭りが心底楽しみのようだ。
「ねぇ、ホノくん。
カグくんてさ、どうしてホノくんの中にいたの?」
翔が尋ねると、横を歩いていたホノイカヅチは眉をひそめる。
「それが…。わからないんだ。
……というより、覚えてないっていうのが正しいか……」
「そうなんだぁ…。
そっか。ホノくん、昔の記憶が混濁している感じだったよね」
「はぁ………。思い出せる日が来るのか…。ずっと思い出せないままなのか……。
本当によくわからないんだよな………」
大きな溜め息をついた。
記憶を思い出そうとすると、何故か急に靄がかかる。
無理やりこじ開けようとすると、頭に激痛が走った。
苛立ちとともに、心身にとてつもない負荷をかける。
「ごめんね、ホノくん。
無理に思い出さない方がいいよね。もしかしたら、ある日突然、何かの拍子に思い出すかもしれないしね!」
「……そうだな。
ありがとう、カケル」
夜店が見えてきた。
提灯がズラリと並び、祭りのワクワクする雰囲気を高めている。
ワイワイ賑わっていた。
わたあめ、りんご飴、焼きそば、お好み焼き。
ヨーヨーすくい、射的。
甘い匂いや香ばしい匂いが、あちらこちらから漂っている。
「わぁ~!賑わってるね!」
シナツヒコはキョロキョロとしている。
「うんうん。人間のお祭りはいいよね~。
僕、昔から好きだなぁ…」
「え?昔?」
翔が見上げると同時に、ホノイカヅチが叫んだ。
「あっ!おい、カグ!あんまり遠くに行くなよ!」
興奮が抑えられないのか、カグツチが走って人混みの中に消えてしまった。
「悪い、ちょっとここで待ってくれ!」
そう言い残し、ホノイカヅチも人混みに消えていった。
太鼓と笛、陽気な音が聞こえてきた。
ドンドンドン…。
ピ~ヒャラララ…。
「シナくん。さっき言ってた、昔から好きって…。お祭りが?」
「うん。そうそう」
ドンドンドン…。
ピ~ヒャララ…。
「人間のさ、お花見とか秋祭りとか。
あれってさ、豊作を祈ったり願ったりするんだよね。そしてね、そのお礼を言ったりするためなんだよ」
「え~。そうなの?お花見やお祭りって、そんな意味があったんだ」
「そうだよ~。僕が風の神だから、余計に感じるかもしれないんだけど。
人間の祈りや願い、ありがとうって気持ちが風に乗って届くんだ。
毎年毎年…。昔から。
葦原の中つ国、すべてから」
「へぇ……。凄い…」
「それがさ、大好きなんだよね。
人間と繋がってる感じがして」
「繋がってる?」
「うん。
ホノはね、確か…、雨上がりに人間が空を見上げる時が好きだって言ってたよ。
雨は浄化だからね。浄化されたあとの、人間の清々しい波動が好きみたい」
「へぇ……。そうなんだ…」
(ふふふ。何か意外……)
「神が人間と繋がってるって感じる瞬間はいろいろなんだ。神によって全然違うの。
葦原の中つ国には、八百万の神いるでしょ?
だからさ……」
「たくさんの場面で、たくさんの神様と繋がってるって事?」
「ご名答~」
「そうなんだぁ………」
「わたあめ、買ってきたよ~~~!!」
カグツチがわたあめを持って駆けてくる。
「わ~!美味しそう!」
夕御飯は食べたけど、甘いものは別腹だ。
「カケル。りんご飴とカルメ焼きとチョコバナナとベビーカステラもあるぞ」
「え!?ホノくん、買いすぎじゃない?」
別腹がもう一つ必要だ。
わたあめを頬張る。
「甘~~~い!」
☆☆
「あっ……。翔か?」
「えっ?」
後ろから声がした。
振り向くと、そこには和真が立っていた。
「和真さんだ!」
和真と、誠と、隣には……。
「えっと、うちの母親……」
ペコリと頭を下げる女性。
痩せていて、長い髪の毛を後ろで一つに束ねている。
疲れているのか、目の下にクマが出来ていた。
しかしながら、上品で清潔感のある人だ。
「あの…、翔くん…ですね。和真から聞いています。いつもお世話になっています」
「あっ!い、いえ!ぼくこそ…、お世話になっていますので!」
次にシナツヒコとホノイカヅチとカグツチの方へと視線を移す。
再びお辞儀をする。
「その節は、本当にありがとうございました」
「あ、いや、そんな…、何にもしてないですよ~」
「そうですよ。頭を上げてください」
礼儀正しい女性だ。
シナツヒコとホノイカヅチが恐縮している。
「翔、翔!何持ってるんだ?」
誠が満面の笑顔で近付いてきた。
本来の誠の性格は元気で明るい。
「これ?わたあめだよ。あっ。誠くんも何か食べる?
ホノくん、りんご飴あげていい?」
「ああ、もちろん」
「ありがとう。
はい、誠くん。りんご飴あげるよ」
りんご飴を渡すと、ますます笑顔になる。
まわりも明るくする笑顔だ。
「おお~!ありがとー!翔!」
ドンドンドンドン!
ピ~ピ~ヒャララヒャララヒャララ!
祭り囃子も最高潮。
その後、誠とカグツチはヨーヨーすくいに挑戦している。
母親が近くで見守っていた。
その様子を、翔とシナツヒコとホノイカヅチは少し離れた場所から眺めていた。
「今日は気晴らしに…祭りに来てみたんだ」
大木に寄りかかっていた和真が、ボソッと話し始める。
「普段は…、そんなに行かないけどな。たまにはって事で…」
「そうなんですね。
ぼく達もそうです。
でも…、誠くん楽しそう!
和真さんのお母さんにも会えたし。来て良かったです」
「そ、そうか……。
あ、あの、さ、ちゃんと調べてみたんだ。病院で。誠の……」
「あっ、はい。どうでしたか?」
「自閉スペクトラム。
…で、知的はなくて。一応、今のところは…だったよ」
「そうですか!良かった」
「学校にもさ、誠の特徴をしっかり伝えて、これからきちんと連携していけば、今より通学の回数
も…。増えるんじゃないかって」
「わあ、いいですね。
あ、病院も定期的に通った方がいいと思います。
お医者さん、いっぱい教えてくれますよ。
それに、学校の先生にも色々相談してみてください。親身になってくれますよ」
「………わかったよ」
翔は自分に言い聞かせるように、和真に言っていた。
「翔…は、学校は……」
「ぼくは……ちょっと……い……。
ううん。大丈夫。
ぼくも…、大丈夫です」
太鼓の音や笛の音が、何だかやたら大きく聞こえる。
「そうか」
和真は短く答えた。
提灯の灯りが幻想的に浮かんでいた。
☆☆
帰り道。
カグツチはヨーヨーをゲットしてご機嫌だ。
「おもしろーい!」
ホノイカヅチが車椅子をゆっくり押していた。
「お祭り、楽しかったね!」
「そうだな。
だけど…、少し食い過ぎたな…。胃もたれした……」
「ホノくん、買い過ぎだってば」
「だな……」
祭りの喧騒が嘘のように、シンと静まり返る道を歩く。
シナツヒコは立ち止まり、夜空を見上げた。
「もうすぐ十月、か………」
「シナくーん?どうしたの?」
「ううん。何でもなーい。
早く帰ろっか~」
もうすぐ神無月だ。




