第八十四話 遙か
~~~高天原~~~
ホノイカヅチとカグツチは高天原に来ていた。
ホノイカヅチの腕を治すため、ナオビノカミのもとへ向かう。
高天原の遥か上空に、厄災の一部があった。
それを消し去った直後、謎の二本の手が現れた。
その手に掴まれ、腕が腫れ上がってしまったのだ。
「腕、痛む?ホノ兄」
ホノイカヅチの隣をふわふわ飛んでいたカグツチは、心配そうに覗き込む。
ヒノカグツチ---。
赤い瞳と髪の毛の少年。
この少年がホノイカヅチの体の中から出てきて、二本の手を焼失させた。
あの時、二本の手に掴まれ身動きがとれなかった。
シナツヒコも吹き飛ばされてしまった。
カグツチがいなければ、どうなっていたかわからない。
救われた。
「いや、もう痛みはない。
カケルの赤チンってヤツが効いたのかもな…」
「あははっ。そうかなぁ?」
「この腫れは穢れだよな。邪悪なモノは穢れを纏っている。
強い穢れに触れると…、なかなか治らない」
「今から会いに行く、ナオビノカミって神が穢れを治せるんだよね」
「ああ…。
…それはそうと、カグ。
あの時は本当にありがとな。助かった」
「うん!」
屈託ない笑顔。
しかし、この少年はとてつもない力を秘めている。
一体、あの手は何だったのだろう。
原因の一部…。
ほんの一部分で、二本の手で、非常に強い最悪な力と穢れを持っていた。
本体となれば、どれほどのものになるのか……。
思わず身震いをしてしまう。
ホノイカヅチは腫れ上がった腕を触る。
「…何が起こっているんだよ…………」
「あっ!ホノ兄!あの社?」
カグツチが指を差した先にある、木々に囲まれた小さな社。
「ああ。あれだ」
高天原にも平穏が戻り、そよそよと吹く風に葉っぱ達が囁いている。
「失礼します……」
木々のトンネルをくぐり、社の中へと入った。
木漏れ日がいい感じで射し込む、とっておきの場所でナオビノカミは寝っ転がっている。
「あの………」
「……………ん?」
気だるそうに、寝そべったまま顔だけを動かす。
「ふわぁぁぁぁぁぁ………。…………あ?ホノか?」
大あくびだ。
「…はい。お休みのところすみません…」
「えぇ?
…あー、ダイジョブダイジョブ。オレ、だいたい寝てるだけだからなぁ。……ふわぁぁぁぁぁ…」
「………ふわぁぁぁあああ」
カグツチがもらいあくびをした。
「…おや?今日はシナが一緒じゃないんか?
ん?誰だい、この子?」
「あ…、カグツチです。ヒノカグツチ」
「カグツチ?」
「はい。あ…、俺の中にいたんです。それが…、その、出てきて……」
「えぇ?なんだって?」
「いや、だから、俺の中にいて…」
「ぶっ!!
はっはっはっ!面白い事を言うなぁ、ホノは」
「は?……いや、嘘じゃないですよ」
「はっはっはっ!!まあな、この世界、不可解な事はつきものだからな。色々あるわな!」
面白そうに大笑いをすると、カグツチの頭をガシガシ撫で回した。
「うわ!い、痛い!」
「うっはっはっはっ!!悪い悪い」
確かに。
この世界は不思議な事が溢れている。
翔の中にもヒルコがいた。
葦原の中つ国…つまり人間界は、科学が発達して、ある程度の事象に意味と根拠がつけられた。
それでも、まだまだ未解明な事もたくさんある。
「んで?今日はどうした………ってぇ…」
ひとしきり笑い終えると、ナオビノカミはホノイカヅチの腕を見て溜め息をついた。
「何だぁ、ホノ。また穢れにあたったのか」
「はい…。申し訳ないですが…、お願い出来ますか?」
「見せてみな」
猫背でボサボサの髪の毛。覇気のない瞳。
もう少し身なりをきちんとしたら、なかなかカッコイイ容姿の神になるだろうに。
ナオビノカミ自身は、そのような出で立ちをまったく気にしていないようだ。
「かなり強い穢れだな…。どこで受けたんだ?」
「昨日の…。原因の一部を消し去ろうとした時に………」
「ああ、なるほどね」
ナオビノカミの神は短く答えると、腫れた腕に手を翳した。
すぅっと目を閉じる。
何やら口元が動いている。
呪文を唱えていた。
ポゥ……。
ナオビノカミの手から光が出てきた。
だんだんと熱くなる。
「祓い清めたまえ」
ジュジュジュジュ………。
ホノイカヅチの腫れた腕から、黒い影のようなものがうようよと出てきた。
顔のような影だ。
苦しみ踠くような顔の影。
「祓い清めたまえ!!」
『ギョァェェェァェェァェェァェ!!!!!』
耳をつんざく叫び声がすると、みるみるホノイカヅチの腕から腫れが消えていった。
黒い影は空へ、助けを求めるかのように消えていく。
「はい、終わったよ」
「あ…、……ありがとうございます……」
「良かったね!ホノ兄!」
カグツチがピョンピョン飛び跳ねながら喜んで、ホノイカヅチに抱きついた。
「ありがとう、カグ。もう大丈夫だ」
弱い穢れであれば、放っておいても時間がたてば治る。
だけど、強い穢れはそうはいかない。
逆に時間がたてばたつほど、その体を蝕んでいく。
「ホノ。自分でも薄々勘づいてると思うが、お前は穢れに対してあまり耐性がない。だからよくよく気を付けろよ?」
「はい……」
ホノイカヅチは唇をかみしめた。
「え?どうして?どうして?
ホノ兄は穢れに耐性がないの?」
不思議そうな顔をしているカグツチ。
神は人間よりも極めて穢れに強い。
人間は心身ともに弱ってしまうと、邪神に取り憑かれやすくなってしまうのだ。
「こればかりはなぁ、体質としか言いようがないわな」
ナオビノカミはドサッとあぐらをかいて座った。
「理由はオレにもわからねーな。何でだろうな?」
「俺もわかりません。気を付けます……」
「だかな。もう一つ、重要な事がある。
穢れは受けやすいが、それとは裏腹に、ホノには潜在的に何かがある。それは確実だ」
「え……?いや、多分それはカグが俺の中にいたからでしょう。
今、カグは外に出てきたので、俺の中には何もないはずです」
火の神・カグツチを体に宿していたホノイカヅチ。
火の力を操る事はなかったが、体の中に火の力を宿していた。
それ故、ホノイカヅチの強さも上昇していた。
「んーにゃ。そうじゃない。カグツチがいたからじゃない。そう、お前さんは……。潜在的に何かを持ってるよ。
それが穢れの耐性が弱いってのと関係あるかはわからんけどな」
今日イチ、真剣な顔をするナオビノカミ。
「いいか?だから余計に気を付けろよ?
何なら、穢れには絶対近付かないようにするくらいの気持ちの方がいいな」
「え?そんなに…俺、穢れに弱いですか?」
「今まで弱い穢れくらいだったら平気だったんだろ?
もしかしたら、それはそこのカグツチのおかげかもしんねぇな」
「カグの…?」
「ああ。カグツチがいたから、弱い穢れなら大丈夫だったんだろうよ。
だけど、今はもうカグツチはいない」
「は、はい……」
「だから気を付けろよっての。ま、ホノの潜在的な力が目覚める時がきたら……、その限りじゃないだろうけどな」
「はい…………」
ホノイカヅチは複雑な気持ちだった。
自分の体を、自分が一番理解出来ていなかった。
何一つ、把握出来ていない。
悔しくて……、複雑な気持ちだった。
◇◇◇
「ね、ホノ兄。シナ兄とカケ兄のところに戻る前に、少し休憩していこーよ!」
少し元気がないホノイカヅチを気遣ってか、カグツチはぐいぐいと手を引っ張る。
「あ…。そうだな…」
無邪気な笑顔のカグツチ。
ホノイカヅチのモヤモヤした気持ちも、その笑顔につられて徐々に晴れていった。
高天原に流れる川の下流。
川の中に、大きな岩がたくさんあった。
滑らかな岩を見つけ、そこに並んで座る。
川の水の音が、脳内に優しく響いてくる。
空を見上げると、白い雲がそこかしこに浮かんでいた。
カグツチは川に素足を浸して、バシャバシャと遊んでいる。
バシャバシャバシャバシャ…。
水の音が耳に届くたび、心が落ち着いてくるようだ。
「………ねぇ、ホノ兄?」
突然。
カグツチが、前触れなく切り出した。
「何で、ボクが、ホノ兄の中にいたか…………、
わかる?」
「…………え…」
「ね、わかる?」
ホノイカヅチは雷にうたれたような感覚を覚えた。
(……そういえば……。何でだ?)
「ホノ兄は………、ボクの事、覚えてないよね。
そうだよね。
うん…。あのね、違うんだ。覚えてないんじゃないんだ」
「は…?カグ……。何言って………」
「ホノ兄はね、知らないんだ。ボクの事」
「カグ………?」
「……もう少し。もう少し、待っててね。もう少ししたら、わかるから」
「………………!?」
ホノイカヅチは急激な眠気に襲われた。
「カ………グ…ツ………チ…」
瞼が落ちていく。
目の前にいるであろうカグツチの姿を、確認する事はもう不可能だ。
視界がぼやけて、意識が遠のく。
「ホノ兄…。もう少しだけ…………」
バタッ。
ホノイカヅチは岩の上に倒れた。
眠っていた。
「もう、少しだけ…」
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あれは、いつだったか……。
あれはもう、遠い遠い遠い、昔だ。
ボクはカグツチ。
ヒノカグツチ。
イザナミから生まれた、最後の神。
ボクは火の神。
火の神だ。
イザナミの体から生まれたボクは、イザナミをこのボクの火で燃やしてしまった。
だって、生まれたてのボクは、火に包まれていたのだから。
仕方ないでしょ?
不可抗力なんだ。
ボクだって、こんなコトをしたくなった。
生んでくれたのに。
せっかくボクを生んでくれたのに。
イザナミを燃やしてしまうなんて、思いもしなかった。
だから……。
殺されても。
仕方ないでしょ?
不可抗力なんだ。
だけど……。
じゃあ、どうしてボクは生まれてきたの?
何のために生まれてきたの?
火の神として。
必要とされて。
生まれてきたんでしょう?
生んでくれたんでしょう?
ねぇ。
教えてよ。
「お父さん……………」
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「あ!ホノ兄!起きた?」
ホノイカヅチはゆっくりと目を開く。
「あ、れ……?俺、寝てたのか……?」
「うん。ホノ兄、疲れてたのかなぁ?」
「あ…。ごめん、カグ…。起こしてくれても良かったのに……」
「ううん。大丈夫だよ。そんなに時間たってないし!」
まだ頭がぼーっとしていた。
(俺…、何をしていたんだ……?)
眠る前、自分が何をしていたのか思い出せない。
川の水の音…。
ぼんやりと浮かぶ雲…。
それから…?
それから…。
「そろそろ行こうよ、ホノ兄」
「あ、そう、そうだな…。わかった…」
川のせせらぎを背に、ホノイカヅチとカグツチは飛び立った。