第八十話 ナオビノカミ
父と桜は部屋で就寝していた。
翔はリビングのテレビをつける。
音量を小さくした。
〈雹が降らなくなりました。多少の混乱は残っていますが、被害も最小限におさまりました。
しかし、台風が日本列島に近付いてきています。引き続き警戒をしなければなりません---〉
キャスターがカメラの前で話し終えると、駅構内の映像に切り替わった。
電車が運行停止になり、乗客らで溢れかえっている。
怒声や喚き声もしていた。
甚大な被害にはならなかったものの、やはり迷惑を被った人達は少なからずいる。
台風の影響で大雨も降り続いている。
今夜中に運転再開の目処はたつのだろうか。
パチッとテレビを消す。
(ふぅ………。こんな騒ぎになって…。一体何なんだろう…)
胸がザワザワして苦しくなる。
(そうだ!こういう時こそ、瞑想だ)
目を閉じる。
呼吸に集中して、口から息を大きく吐く。
そしてゆっくり息を鼻から吸い込む。
それを繰り返す。
色々な雑念が頭に浮かぶ。
その時は「考えない!」と拒否する。
また浮かぶ。
拒否する。
それを繰り返す。
「…………………」
翔の思考が止まった。
ただ、今の自分の感覚だけを感じる。
外から聞こえる雨の音。聴覚。
車椅子の座面の硬さ。触覚。
リビングに漂う自分の家のにおい。嗅覚。
今、それらが翔を包み込む感覚だ。
その感覚を思い切り感じ入る。
(これが………瞑想…………)
目を開けた。
「……………」
自分の両手を見つめる。
まだ自分の波動は見えないが、瞑想の感覚が掴めたような気がした。
「今、少し…、出来てた、よね……」
頭がクリアになっている。
「やった…」
ちょっと自信がついた。
「うん…。やっぱり、もう一回……」
自信がついたついでに、もう一回試したくなった。
パラレルワールドで立って歩いた、あの感じ。
夢のような、夢でないような。
夢っぽいけど現実っぽいような。
パラレルワールド。
どうしても忘れられない。
リアルかもしれないリアルさだった。
(そうだ!イメージしなきゃね。イメージイメージ……)
立って歩く姿を想像する。
風を切って楽しく歩いている。
(いい感じ……。よし!)
車椅子のフットサポートをあげて、両足を地面につける。
「いくぞ………………」
(…………………)
どうやって立ったのか?
どうやって歩いたのか?
イメージは出来るけど、方法がわからない。
「……だよね」
うなだれるように車椅子に座って、チラッと窓の外を見た。
「……あれ?」
大雨が降っているのに、雲と雲の切れ間から月が顔を覗かせていた。
「えー?不思議……」
窓に近付こうとした時、微風で翔の髪の毛が揺れた。
「あっ…」
シナツヒコとホノイカヅチとカグツチが、フワリと優しい光とともに現れた。
「シナくん、ホノくん…………と?」
帰って来てくれた喜びとともに、見知らぬ少年に目を見張る。
赤い瞳と髪の毛を持つ少年。
誰だろう。
見た目は少年だが、とてつもないパワーを持った天才少年のような感じ………が、しないでもない。
「ただいま~~~、カケルくん」
シナツヒコは翔にガシッと抱きついた。
「シナくん、おかえり。お疲れ様」
ポムポムと背中を撫でながら、ホノイカヅチに視線を向ける。
「ホノくんもお疲れ様」
「ただいま、カケル。こっちは大丈夫だったか?」
「うん。今テレビつけたら、雹が降らなくなったって……………って、ホノくん?
その腕どうしたの!?」
ホノイカヅチの片腕が真っ赤に腫れて、痛々しい傷が膨れあがっていた。
「あ、ああ、これか?大丈夫。二、三日したら治るよ」
「そんな…。大丈夫に見えないよ…。ちょっと待ってて!とりあえず、救急箱とってくるよ」
人間用の処置が神に効くかは不明だが、やらないよりはマシだろう。
「でしょ~?ほらぁ、ホノ。カケルくんも驚いてるじゃん。だからナオビノカミ様の所に寄ってこって言ったのに」
「うるせーな。大した事ないんだから寄る必要もないんだよ」
「大した事あるよね?」
「大した事ない」
「あるよね?」
「ないっつってんだろ」
「ナオビノカミ様って何?」
救急箱を持ってきた翔に、帰ってきた早々始まった痴話喧嘩が遮られた。
「ナオビノカミ様ってのは、その名の通り。穢れを治してくれる神だよ~」
「えっ、そうなの?そんな神様がいるの?
ちょっとホノくーん。何で治してもらわなかったの。治してもらった方がいいよ」
「いいんだよ。大した事ないんだからな」
翔にまで言われて拗ねたのか、ホノイカヅチはブスッとしている。
とにかく応急手当はしなければ。
明日になったら、そのナオビノカミの所へ行くか、人間用の病院へ行くかを考えよう。
「うーん。これ、効くかなぁ…?」
救急箱には赤チンが入っている。
確か赤チンって販売中止になったような。
使用期限は大丈夫か?
翔は赤チンを取り出した。
「ホノはさ~、ここ最近ナオビノカミ様に治してもらってるからさ~。すぐにまた行きたくなかったんだよね?」
「うるせー、シナ。余計な事言うな」
ヨモツシコメと戦った時だ。
「あー。そっか。そういえばそんな事言ってたね。そっか。そっか。あの時、治してもらったって言ってたもんね」
赤チンを患部にポンポンとつける。
「痛っ…、カケル…。もう少し優しく頼む……」
「あっ、ごめん。ごめんね、ホノくん」
「いや、大丈夫…、ありがとう」
近くで見れば見るほど痛々しい。
どう考えても専門家に手当てをしてもらった方がいい。
翔はど素人中のど素人の中学生だ。
「いいんだよー。カケルくん。謝らなくても。
ナオビノカミの所に行かなかったホノが悪いんだからさ~~」
「ホノ兄を責めないで。シナ兄」
ブーブー文句を言っていたシナツヒコのもとに、赤い瞳の少年・カグツチは駆け寄った。
「やだなぁ、責めてないよ~。事実を言ってるんだよ、僕は」
「ホノ兄の、何の役にもたたない、屁でもない、ちっぽけでしょうもないプライドなんだよ。
矜持なんだよ。わかってあげてよ」
「……………………。
え?」
「ホノ兄をわかってあげて」
「……………………」
「シナ兄?」
「うん。わかったぁ……」
「ありがとう、シナ兄。
良かったね、ホノ兄?」
カグツチはホノイカヅチに満面の笑顔を見せた。
「…………………」
絶句。
ホノイカヅチの顔はひきつっていた。
カグツチは続ける。
「シナ兄もシナ兄だよ。言葉が過ぎるよ?
そんなんだから、口から生まれた神様だとか、減らず口ばかりたたくあー言えばこー言うヤロウって言われるんだよ?」
「は?は?は?
ちょ、ちょっと待って待って待って。誰が言ってたの?」
「小耳にはさんだよ」
「小耳?小耳?小耳ってこの小耳のことかなぁ???」
シナツヒコがカグツチの耳を引っ張った。
「痛いよーシナ兄ー」
「カグは今の今までホノの中にいたんだよね?
だったらその小耳にはさんだ情報はどこからかなあ???」
ギュイーン。
ますます引っ張りあげる。
「痛いよーシナ兄ー」
「シ、シナくん、落ち着いて…。
ホノくん、どうにかして……」
目が本気のシナツヒコは、カグツチの耳を伸ばしたいだけ伸ばしている。
これ以上はまずい。
「ホノくん……」
チーン。
赤チンを塗りすぎたか。
ホノイカヅチは放心していた。
いや、カグツチの毒舌のダメージか。
翔が何とかするしかない。
「シ、シナくん、シナくん。と、と、とりあえずさ、この子は誰かな?ずっと気にはなってたんだけど……」
本音である。
ホノイカヅチの怪我にビックリして、名前を聞くのを忘れていた。
「……はっ。そ、そうだね」
我に返ったシナツヒコは、カグツチの耳から手を離す。
カグツチは涙を浮かべて両耳をさすっていた。
「この子はカグツチ。
火の神…だと思う。……ね?ホノ?」
チーン。
「ホノーホノーホノー」
「…………はっ。な、何だ?」
ホノイカヅチも我に返った。
「カグの紹介。カケルくんにしてたの」
「あ?ああ、そうか…。わ、わかった。
確か、前に…、……俺の中に火の力が宿っているって言っただろ?」
ホノイカヅチは手で自分の胸を押さえた。
「うん。覚えてるよ」
「それがカグツチ。火の神だ」
「え!?」
カグツチはペコリとお辞儀をした。
「このお家に降りてくる途中で、ホノ兄とシナ兄にカケ兄の事を聞いたよ」
「カ、カケ兄?ぼくの事?」
「うん。ホノ兄もシナ兄も、カケ兄が大好きな様子だった。だから、きっとぼくもカケ兄が大好きになるよ」
さっきの毒舌坊主とは思えない。
うってかわってキラキラの純真無垢な坊やだ。
翔もキュンキュンしてしまう。
「ボク、ホノ兄の中から出てきたんだ。よろしくね、カケ兄」
「ホノくんの中から………」
「カケ兄も、体の中にヒルちゃんっていう神がいたとか?」
「う、うん」
「じゃあ、同じだね」
ギュウ~~~と抱きつくカグツチ。
毒舌で頭がきれる印象と、人懐っこくて愛嬌がある印象があるカグツチ。
この二面性が魅力なのだろう。
「こちらこそ、よろしくね。カグくん」
サラサラな赤い髪の毛を撫でた。
少し熱かった。
さすがヒノカグツチ、火の神だ。