第七十二話 睡眠は大事
お盆にのったカルピスを四人で飲む。
「いただきます」
グラスを傾けるとカランと氷の音がした。
「おいしい」
翔は一気に半分以上飲んだ。
「おかわり、あるからな」
それに気付いた和真が声をかける。
「はい、ありがとうございます」
表情が柔らかくなっていた。
先ほどの険しい顔つきから一変、穏やかで口調も優しい。
シナツヒコの優しさに触れ、気持ちが落ち着いたのだろう。
「さっきは……すまなかったな。驚いただろ?
誠の事…」
「ううん。気にしないで下さい。大丈夫ですよ」
事前に自閉症だと聞いていた事も大きい。
翔もそんなに詳しくはないが、リハビリ病院で自閉症の子供と顔を合わせる事がある。
パッと見だけではわからない事の方が多い。
症状も様々で、個々の特性を理解してフォローしなければならない。
「普段はおとなしくて優しいヤツなんだ。ただ、何か納得がいかないと急に怒ったり、暴れだしたりするんだ…」
「誠くんは…、きっとこだわりが強いんだと思います」
「ああ……。だから学校でもうまくいかないらしくて………」
溜め息をついた和真は、どうしようもない気持ちと一緒にカルピスを飲み干す。
「はぁ………」
再び深い溜め息をつく。
「………カズマくん。マコトくんを助けてあげよう?それが出来るのはカズマくんしかいないよ」
シナツヒコが言うと、ハッとしたように顔を上げて………、ハッと気付く。
「あ……。えっと。名前………」
「え?あ、そうか。自己紹介してなかったよね」
ズズイと目の前に詰め寄った。
シナツヒコとホノイカヅチが正座をしていたので、慌てて和真も正座をする。
(お見合いみたいだ…)
カルピスをすすりながら見ている翔。
時々襖の隙間から誠の寝顔も確認する。
「僕はシナツヒコ。こっちの黒いのはホノイカヅチ。カケルくんの友達だよ」
「おい。いい加減、その黒いのってのやめろ」
「だって黒いじゃん」
「じゃあシナは何なんだよ?」
「僕は爽やかな風の子男子だらかね。一つの色では表せないんだよ~」
「は?胡散臭いにもほどがあるだろ。気色悪いな」
「はあ~?」
いつものじゃれ合いに突入しそうだ。
「シナくん、ホノくん、はい、終わり~終わり~」
さすがに、人の家でじゃれ合いはダメだ。
ましてや誠が眠っている。
「カケル。いつもケンカ売ってんのはシナだろ?こいつを何とかしないといけないだろ?」
「ずるい、ホノ。カケルくんを味方に引き込むつもり?」
「だからそういう問題じゃねーっつーの」
「何でいちいち拾うかなぁ?さらっと受け流せばいいじゃない」
「はじめっから黙っときゃいいんだよ」
止まらない痴話喧嘩(?)
「まあまあまあまあ~」
ここが和真の家だという事を忘れているのか。
「とりあえず静かにしよう。誠くんが起きちゃ……」
「あれ?でも……」
翔が言い終える前に、和真は疑問を口にした。
「確か二人は…翔のいとこか、はとこのはずじゃあ…?」
「あ…」
しまった…という顔のシナツヒコを見て、ホノイカヅチが呆れて小声で突っ込む。
「アホだな。ウソつくなら一貫性を持たせろよ」
「仕方ないじゃん。カケルくんと親族になりたかったんだもん」
「どんな理由だよ」
「か、和真さんっ…」
不穏な空気を打ち破るため、翔は満面の笑顔になった。
逆に怪しいかもしれないが、…致し方ない。
「友達みたいで親友みたいな…そんな感じの雰囲気を醸し出した、いとこのような…はとこのような…そういう…仲間……なんですよ。シナくんとホノくんは」
我ながら意味不明だ。
だけど、シナツヒコはキラキラした眼差しで翔を見つめていた。
「カケルくん………」
ホノイカヅチも面映ゆい表情をしている。
喜んでいるみたいで良かった。
あとは和真が納得するか。
「へぇ…。そうなんだ…、な?」
とりあえず納得してくれたようだ。
意外と素直だ。
「シナツヒコさんと、ホノイカヅチさん…。
……長い名前だな」
「そ、そうなんですよ。長いけど、カッコいい名前ですよね。
だからぼくはシナくん、ホノくんって呼んでますよ」
「シ、シナくん、ホ、ホノくん………」
眉をひそめた。
いささか抵抗があるようだ。
「俺は…、シナツヒコさん、ホノイカヅチさんで…」
「はい。和真さんが呼びやすい方がいいですよ。
ねっ、シナくん、ホノくん」
頷く二柱。
自己紹介だけでこんなに尺を使うのか。
「それで……シナツヒコさん…。俺も…誠のために何かしたいけど…。何をしたらいいのかわからない。さっきのシナツヒコさんみたいに、寝かせてやる事も出来ない」
ギュッと拳を握る。
「あれは…。僕の特技だから。
簡単には出来ないさ。それは気にしなくていいよ」
「あっ。そうそう。ぼくもビックリしたよ。誠くん、身体全体から安心したって感じになって眠れたよね」
まるで神様の息吹に包まれるように。
安心感が半端ないんだろう。
実際、神様であるし。
翔も同じ部屋の中にいたためか、その感覚が少しだけわかった。
心の中の汚い部分が洗われて、とても優しくなれたような。
そんな感覚だった。
「あはは。ありがとう。でもね、僕、これをヒルちゃんには出来ないんだよね~。前にも言ったでしょ。カケルくんにしか出来ないの」
「あ、ああ…。そういえば、そんな事…」
「僕の特技なのにさー」
「えー?たまたまでしょ?」
「そんな事ないよ。カケルくんとヒルちゃんは、何かで繋がっているかもしれない。そんな気がする」
「それはヒルちゃんがぼくの中……」
「カケル!」
ホノイカヅチが翔の口を塞いだ。
素早かった。
「モゴ……」
(あ!しまった!和真さんがいるんだった…)
「ヒルちゃん???」
和真は理解不能な顔をしている。
「あっ。いや~、あはは………はは」
誤魔化すようなシナツヒコの笑い声は、部屋の中で虚しく消えてゆく。
「と、とり……。そう。…飼っている、と、鳥の話だ。
カケルはペットの鳥を…。寝かしつけられるんだよな」
しどろもどろに説明するホノイカヅチに、翔とシナツヒコは一瞬、金縛りにあった。
「と、鳥?よりにもよって………」
「他にもっとあるでしょ……」
失言した本人達は大きな顔で指摘出来ない。
「鳥を?スゲーな、翔」
「あ、ははははは…。そ、そうかな?へへ…」
和真は天然も入っていた。
そんなこんなで、今日はひとまずお暇する事になった。
誠はまだぐっすり眠っている。
和真の話ではここ数日の間気持ちが高ぶっており、夜はあまり眠れていなかったらしい。
久しぶりの熟睡だったのだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
玄関の外に出ると、雨がますますひどくなっていた。
ビュオオオ!!
風も出てきて、街路樹が激しく揺れている。
「何か…。バケツをひっくり返したような雨だね…」
ホノイカヅチに背負われた翔。
思わず首を強くしめてしまう。
「く、苦しい…」
「あっ。ごめんなさいっ」
「ケホ…。だ、大丈夫だ。
……この豪雨、もしかしたらしばらく続くかもしれない」
「え?そうなの?」
微かに雷も聞こえる。
「もしくは……。台風が発生するかもだね」
手を伸ばして風を掴む仕草をするシナツヒコも憂いを帯びた表情だ。
「台風…?
ねぇ、ホノくん、シナくん。
これは自然現象?それとも………」
胸がザワザワしてきた。
「…………」
ビュオオオオオ!!!
突風が吹いた。
無防備な階段の上は危険だ。
急いで車椅子を置いた場所まで行くと、翔はシャボン玉のようなものに入った。
切り取られた空間が、このシャボン玉なのだろう。
空間移動で自宅に戻る。
パチン★
シャボン玉が割れる音。
瞬時に翔の家の玄関の中にいた。
「はあ…。ただいまぁ。
ありがとう、ホノくん、シナくん」
無事到着してホッとする。
「お疲れ、カケル」
自転車置場に置いてあった車椅子は、この暴風雨でびちゃびちゃに濡れていた。
ホノイカヅチがタオルで拭いてくれる。
「あっ、ありがとう」
「風邪引かないように、カケルは早く着替えてこい。拭いておくから」
「ありがとう。ごめんね。じゃあ着替えてくるね」
部屋用の車椅子に乗り換えた。
「カケルくん。あったかいココア作るよ。
あとでリビングに来てね~」
「うん。わかった。シナくんもありがと!」
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
~リビング~
〈今朝から降り続いている雨は、午後になるとさらに強くなってきました!
風も強まり、雷も鳴りはじめています!〉
テレビではリポーターがどこかの駅前で中継している。
カッパを着て、道行く人にインタビューをしようとしているが、時折吹く強風にマイクが飛ばされそうになっていた。
「うん。うん。…わかった。うん。
ぼくは家にいるから大丈夫。シナくんとホノくんもいるよ。……じゃあ、気をつけてね」
ガチャ。
家電の受話器を置く。
「カケルくん。お父さん、何だって?」
ココアを作りながら心配そうにしている。
「あ、うん。この雨でお父さんの会社、早めに帰宅するようにって言われたみたい。お父さんは車通勤だけど、電車の人は止まっちゃう可能性もあるからって」
「あ~。確かにそうだよね」
「今日はデイに寄って桜を連れて帰るって。
多分、デイも早めに終わると思うんだ」
〈スタジオから天気図を見てみましょう。
台風が発生しました。今後日本に近付いてくると思われます。事前に備えをしておきましょう…〉
テレビには天気図が映っている。
「あ!本当だ。シナくんの言った通り。台風だ。
…大丈夫かなぁ……」
打ち付ける雨と風で、窓はガタガタと大きな音をさせていた。
「ココア出来たよ~」
ココアの優しい甘みとあたたかさで、不安が少しだけ和らぐ。
「自然現象…だとは思う。
ただ…、異常気象ではあるけどね」
ポツリとシナツヒコが呟く。
「もしそうじゃなかったら、ダレカの仕業になると思う」
「ああ。今のところ変わった気配はない。
ただの自然現象だろう。
葦原の中つ国にいる神々も、今一斉に動いているはずだ」
頬杖をついたホノイカヅチは窓に視線を移す。
ゴロゴロゴロゴロと唸る雷鳴に、僅かに嫌な顔をした。
「自分のテリトリー内を守って調べている。そういう意味では人間は安全かもしれない」
「あ!そうか!
普段よりも神様達がぐっと近くにいてくれているんだよね?」
「神の放つ波動のエネルギーで、人間は守られる側面があるからな」
「良かった。何か心強いよね」
「だけど」
コトンとマグカップを置いた。
「まだわからないから、あとで僕とホノでテリトリー内をもっとちゃんと調べてみる」
「そうだな」
◎◎◎
一時間後。
父と桜が帰ってきた。
日没まで時間はあるのに、外はすでに真っ暗になっている。
暴風雨は続いていた。
さらに一時間後。
雨が雹に変わった。
石でも降っているのか。
地面に叩きつけられた雹は、凄まじい音をたてて弾け飛ぶ。
驚異的な勢いで空から降り注ぐ雹に、人々はあ然とするしかなかった。