第七十一話 涙
◇◇和真の家◇◇
茶の間にあるコタツで眠る誠。
翔、シナツヒコ、ホノイカヅチ、和真は、起こさないよう、隣の部屋にいる。
襖を少し開けて様子を見る。
穏やかに眠る誠に、和真は胸を撫で下ろす。
「良かった………」
「うん。ぐっすり眠っているね。
弟さん、誠くんって言うんだね」
翔もホッとした。
さっきまでの険悪な形相とは違い、眠っている誠は年相応の少年の顔をしている。
感情を抑えられない…。
とても苦しいだろう。
「あ……。あの、ありがとうございました…。
あんた、凄いっすね。あの状態の誠を眠らすなんて…」
戸惑いつつも、シナツヒコに頭を下げた。
素っ気ない言い方だが、心底助かったと思っている。
「どういたしまして。
マコトくん本人も、どうしていいかわからなかったみたいだね」
「あ……。はい…。
ああなると…、手がつけられなくて…。
薬も飲めないし」
「薬?」
「病院で…、処方されてる安定剤なんだけど……」
ちゃぶ台に無造作に置かれている薬袋。
「……そうだ…。お茶……、出すからっ」
和真は勢いよく立ち上がる。
「和真さん、お構い無く……」
翔の声は聞こえていないのか、足早に台所へ向かった。
手伝おうと立ち上がろうとして…。
ハタと気付く。
「そうか……」
部屋用の車椅子がないのだった。
「カケルくん。僕が手伝ってくるよ」
シナツヒコが翔の肩に手を置いた。
「ありがとう」
「はぁ………」
思わず溜め息をついてしまう。
畳の上で足を伸ばした。
あぐらも正座も何とか大丈夫だ。
しかし。
立って歩く事が出来ない。
「はぁ………」
「大丈夫か?カケル」
ホノイカヅチが心配そうに覗き込む。
「うん。大丈夫。椅子じゃなくても平気だよ。
ほら。足も伸ばせるし、あぐらや正座も出来るよ」
「あ、いや、そういうんじゃなくて……。
………………いや、何でもない」
優しく苦笑した。
そして誠に視線を移す。
「カケル。マコトの波動を見てみろよ」
「え?何で…」
「いいから」
「う、うん。わかった」
脳の中にある松果体に意識を向けて、第三の目を…。
開く。
「え…………」
翔は息を呑んだ。
波動。
必ず持ち得るもの。
神の波動は、全身に波のようなものを纏い、そのまわりを宝石のような粒が散りばめられている。
人間の波動は、全身に波のようなものを纏い、そのまわりからは聲が聞こえる。
その聲は人間によって異なり、指紋のように一人一人違うのだ。
誠の波動は…。
「聲だけ……?」
キーンキーンキーンキーンキーン…と、鉄琴を打ち鳴らすような聲が聞こえた。
波のようなものがない。
以前見た和真の波動は、身体のまわりに波のようなものがあった。
「ホノくん……」
「違うだろ」
「うん。でも何で…」
「それがわからないんだ」
「わからないって…?どういう事?」
「ハンデを持っている人間や、この世界を生きにくいと感じている人間の波動。
共通するのがこの波動のパターンなんだ」
「えっ…。そうなの…?
波のようなものが…、ないよね?」
「そうなんだ。あの身体に纏っている波が感情の波なんだけどな。それが見えないんだ」
「じゃあ…。それって、波動がないって事?」
「いや、波動は必ずある。あの聲を聞けば、波動が高いか低いか、強いか弱いかわかるよな?
だけど、感情の波が可視化されていないんだ」
「それは…どうしてだろ?」
「わからない」
「えっ…」
「ずっと謎のままなんだよ」
「そう…なんだ」
「あと、共通点がもう一つ。
彼らは絶対に魂が綺麗だ。これも一貫している」
「あっ、それ。サクヤヒメさんも言ってたかも……」
「こっちも理由がわからない…」
「え……。何だろう?」
「アマテラス様や、他の神々もずっと調べているらしいけど、いまだにわからない。
まあ、今は異常事態でそれどころじゃないけどな……」
誠は悲しい聲をしている。
和真の聲と似ていた。
「あっ。ねぇ、ホノくん。ぼくの波動も聲だけなのかな?」
翔もハンデを持っている人間だ。
「ああ。まあそうだな」
「どんな聲?
前にシナくんに聞いたけど、教えてくれなくてさ」
「………カケル。
自分の波動を見るのが最終的な目標だろ」
「いいじゃない。先に知っとくだけだもん」
「………楽しみにしてろよ。その方がやる気も出るだろ」
「え~ホノくんもケチだ~」
ふてくれた翔の脳裏に、あの時のマガツヒノカミの波動が浮かんだ。
「そういえば…」
「何だ?」
「マガツヒノカミの波動は、黒い波のようなものはあったけど、粒みたいなのはなかったなって…」
「………カケル。マガツヒノカミの波動を見たのか」
「うん…。どさくさに紛れてチラッと見たんだ」
「そうか……。神々はマガツヒノカミを敬遠しているからな。何故マガツヒノカミの波動には粒子がないのか。
……ぶっちゃけ興味がない」
「え?そうなの?人間の波動の事は調べてるのに?神様の事は調べないの?」
「そう言われると…。……そうだよな。
だけど…。
そもそも、マガツヒノカミには近付きたくないっていう本音があるんだよ」
「へぇ…。そうなんだね…」
「相容れない存在は、結局のところ関わらない事が一番だからな」
「な、なるほど…」
人間社会にも通じる真理かもしれない。
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台所。
シナツヒコと和真は、お茶を淹れようと準備をしていた。
「どこにあるんだよ………」
和真はブツブツ言いながら、棚を漁ってお茶の葉を探す。
「ねぇねぇ、カズマくん。
これじゃない?」
ガラス張りの食器棚の中にある、ヨレヨレのお茶の葉の袋を見つけたシナツヒコは指を差す。
「ああ、これだ。
………げ。何か湿気ってないか?」
「どれどれ?
………あ。うん。湿気てる」
「くそっ。何かないのかよ」
イライラしながら冷蔵庫を開ける。
「カズマくん。僕達、お茶はいらないよ。
ホント、お構い無く、だよ」
「いや、だけど…」
今度は冷蔵庫を漁っていた。
「あっ。カズマくん。
カルピスあるよ!カルピス少しもらおうかな」
トクトクトク…。
四人分のカルピスを作る。
「マコトくんの分はあとで作ろうね~」
シナツヒコは鼻歌まじりに手際よくカルピスを作っていく。
その様子をボーッと見ている和真。
「カズマくんはさぁ、大丈夫?」
「えっ?」
突然話しかけられ、反射的にビクンと身体が跳ねた。
「大丈夫?カズマくん」
「えっ…。な、何が…」
「そうだなぁ。うん。……メンタルとか」
「………………」
「カズマくん、抱え込むタイプでしょ?」
「…………………」
「カケルくんもさ、そんな感じ。抱え込んじゃうんだよねぇ」
「……………………」
「優しいからかな。……きっとね」
四人分のカルピスを作り終えてお盆に載せた。
壁にもたれ掛かり、それ以上うつむけないほど項垂れている。
シナツヒコは和真の頭を優しく撫でた。
「頑張ったね」
「…………………っ」
ズルズルズルズル……と、和真は床にへたりこむ。
シナツヒコも横に座り、和真の頭を撫で続けた。
「…………ぅ…………っ……ぅ」
消え入りそうな嗚咽がした。