第六話 カケル
○○○2025年・春・日本・東京○○○
ジリジリジリジリジリジリ…!
部屋中に目覚まし時計が鳴り響く。
バチン!
すぐに目覚まし時計を止めて、ベッドで上半身を起こす。
「ほぁぁ…」
眠い目をこすりながら、小さくあくびをした。
少し寝癖のついた、柔らかい黒髪の少年。
同年代よりも少し幼く見える、今春から中学二年生の十三歳。
浅野翔。
ベッドの手すりを持って、手慣れたようにストンと部屋用の車椅子に移乗した。
出産時、原因不明のトラブルにより、低酸素性虚血性脳症になり、脳性麻痺となってしまった。
生まれた時から下半身が思うように動かず、ずっと車椅子だった。
下半身の硬直を少しでも防ぐため、月に二回リハビリに通っている。
ハンデはあるものの、持ち前の明るさと、まわりのサポートにより、これまで元気に生きてきた。
知能は平均のため、中学校もバリアフリー完備の附属校で、健常者と一緒に学習している。
「お父さん、おはよー」
リビングに行くと、父の浅野広太がワイシャツの胸ポケットにネクタイを入れ、忙しそうに朝食を作っていた。
父は穏やかで、めったに怒る事はない。
いつものんびりしているが、さすがに朝はバタバタしている。
「おはよう、翔。すまないけど、桜の学校の準備をお願いできるか?」
「うん。わかった」
頷いて、翔は妹の桜が寝ている部屋に行った。
浅野桜。今春、小学校三年生。
「桜。おはよう。今日は天気がいいよ」
翔はカーテンを開けながら言った。
「早く着替えちゃおうね。学校に行かなくちゃ」
桜を覗き込み、翔はにっこり笑う。
「はいはい。わかったよ」
桜は寝たきりだった。
翔よりも、もっと重い脳性麻痺だった。
寝たきりの状態で、人工呼吸器を装着している。
チューブで食べ物を送る、胃ろうで栄養摂取をしている。
話す事も、まして起き上がる事も出来ない。
眠っていたり、目を閉じている事が多いが、時々目を開けている時もある。
翔や父は、目で会話していた。
桜をサポートしてくれているまわりの人達も、きっと目で会話しているのだろう。
桜は、特別支援学校に通っている。
ハンデのある子供たちのサポートに手厚い学校だ。
呼吸器を使用していると、通学バスに乗れないため、いつも桜を学校に送ってから父は出勤している。
「桜。もう三年生だね。お母さんも喜んでるよ」
ベッド脇に置かれている写真を見た。
母の歩が、公園で笑っている写真だった。
母は、桜を出産してすぐに亡くなってしまった。
いつも明るくて、翔が立てない歩けないとわかっても、大丈夫大丈夫と笑っている人だった。
「…よし!ごはん食べようか。用意してくるね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「じゃあ桜を送ってから会社行くからな。翔も、気をつけて学校に行くんだぞ」
運転席の窓から、父は顔を覗かせている。
車は福祉車といって、スロープがついていて車椅子がそのまま乗れるタイプだ。
「うん。わかった。桜、学校着くまでに起きるかな?」
「ははは。どうかな」
翔が胃ろう注入している時も、ずっと寝ていたのだった。
「あ!そうだ!ぼく、今日はリハビリあるから帰りに寄って行くね」
「ああ、そうだったな。とにかく気をつけてな」
ブロォォォォォォォ。
翔は車が見えなくなるまで見送ると、くるりと車椅子を方向転換する。
操作バーを持って、車椅子をゆっくり走らせた。
桜並木がいつもの通学路。
信号待ちをしている時、ふと空を見上げた。
今年の桜は早かった。
もうほとんど散ってしまっていた。
枝の間から、水色の空に淡い雲が流れているのが見える。
まだ少し肌寒い春の風を感じながら、翔は学校へと急いだ。