第五話 別れ
「あー!見て見て!夕日が綺麗だよ!」
ヒルコとシナツヒコは砂浜で山を作ったり、海辺でバチャバチャと海水をかけあって遊んでいた。
水平線に沈む太陽を見て、シナツヒコは明るくはしゃいでいる。
『わぁ、本当だ!ねっ、ホノくん』
「ああ…」
遊ぶ二柱を砂浜に座って見てたホノイカヅチは、ヒルコの声に答えた。
夕日が沈みゆく薄暗い空は、黄金色に輝いて美しい。
昼と夜のあいだ。
黄昏時だ。
この時間は逢魔が時。
闇夜にまぎれて魑魅魍魎が実体化する時刻、とも言われている。
ホノイカヅチはこの時間が好きだった。
昼間は明るすぎて眩しいくらいだ。
ヒルコも『夜が好きだ』と言っていた。
この話をした時、『一緒だね』と笑っていた。
そのヒルコの笑った目を思い出し、ホノイカヅチは一人で微笑んだ時---。
バシャッ!!!
海水を顔面に勢いよくかけられた。
「……………」
びっしょり濡れた髪の毛は、ツンツンではなくへたへたにしなり、髪の先からしずくが滴り落ちている。
「なーに物思いにふけって、かっこつけちゃってんだよ?片膝立てて座っちゃって」
おそらく(いや、絶対)水をかけた張本人のシナツヒコが、
からかうように言った。
「シナ…。お前、ケンカ売ってんのか…」
濡れた前髪から、ホノイカヅチの濃紺色の目が見える。
怒っていた。
「お前は一度…、いや何度も痛い目みないと懲りないようだなぁ!?」
「はぁ?意味不明なんだけど」
毎度ながら、一触即発。
『シ、シナくんは、ホノくんとも遊びたいんだよ!』
ヒルコは慌てて、まぁまぁとなだめながらホノイカヅチの所まで近付いて……。
こけた。
「ヒルちゃん!?」
シナツヒコはビックリしてヒルコに駆け寄った。
「お、おい。ヒル…。大丈夫か?」
ホノイカヅチも、予想外の出来事に戸惑いながらヒルコを起こした。
『あ、あはは…。大丈夫大丈夫。砂浜だし』
砂浜に思い切りダイブした恥ずかしさもあり、ヒルコは焦って言った。
「あ…。ヒルちゃん…。こ、これ…」
シナツヒコはヒルコがダイブした砂浜を見て、プププと笑いを堪えている。
『え?なに?なに?』
「ヒル…。ぶっ、ははははは!」
ホノイカヅチも吹き出している。
『え?え?』
砂浜にはヒルコの形がくっきり残っていた。
魚拓ならぬヒル拓か。
『あっ…あははは…』
シナツヒコとホノイカヅチは笑っている。
ヒルコは恥ずかしい気持ちもあったが、笑っているシナツヒコとホノイカヅチを見て、嬉しくなって自分も大声で笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ケンカをしながらも、笑って楽しく過ごしていた日々は、思いがけず突然おわりを告げる。
彼は誰時---。
とてもとても小さな神が、ヒルコ、シナツヒコ、ホノイカヅチの前に現れた。
一寸法師のような見目をしている。
「わたしはスクナビコナ。シナツヒコ、ホノイカヅチよ。ヒルコを葦の船に乗せなさい」
「え!?」
驚いたシナツヒコとホノイカヅチは、顔を見合わせる。
「なっ…何で…そんな事…!ヒルちゃんが可哀想だろ!!」
シナツヒコは、スクナビコナと名乗る神を睨み付けて叫んだ。
「お前は誰だ!?ヒルコに葦の船なんて…絶対にさせない!!」
ホノイカヅチも、ヒルコを庇うようにスクナビコナの前に立った。
『…………』
ヒルコはプルプル震えながら、スクナビコナを見ていた。
スクナビコナを見て、不意によぎった。
抗えない。アラガエナイ。
「あまり手荒な事はしたくないのだが…。仕方がない」
スクナビコナは目を閉じ、そして、目を開けた。
その瞬間---。
バタ!バタ!
シナツヒコとホノイカヅチは、力が抜けたように倒れた。
『シナくん!ホノくん!』
「心配ない。眠っているだけだ」
静かにそう言うと、スクナビコナは社のすみに置きっぱなしだった葦の船を見た。
目から光の線が出て葦の船を貫くと、船は浮いたまま海辺に置かれた。
『…………』
(ぼくは…また葦の船に乗るんだ…)
ヒルコはどうしても逆らえない、圧倒的な力を感じていた。
これが自分の運命だと悟った。
眠っているシナツヒコとホノイカヅチを見て、寂しさ悲しみが込み上げていた。
『お別れも言えないなんて…』
ヒルコの目から、涙が溢れていた。
ぼろぼろとこぼれる涙。
ヒルコは生まれてはじめて泣いていた。
体は翡翠色になり、全身から流れ出す涙で溺れてしまいそうな感覚だった。
『ありがとう…。ありがとう…。シナくん…ホノくん…』
スクナビコナは、泣いているヒルコの背中に言った。
「いつか…。この意図がわかる」
ヒルコに聞こえていたかはわからない。
スクナビコナは、音もなく消えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヒルコは再び葦の船に乗り、大海原に流されていた。
『シナくん…!ホノくん…!』
涙が止まらない。
ずっとずっと泣いていた。
寂しさと悲しみに耐えきれず、ヒルコの魂が三つに別れた。
それでも…。
ヒルコは泣きながら、大海原を彷徨っていた。