第二話 シナツヒコ
『ん…?』
ヒルコはゆっくり目を開ける。
あたりはすっかり明るくなって、太陽がさんさんと照らしていた。
『ぼく…、寝ちゃったんだ…』
ぼんやりと考えて、はたと気付く。
そこは海の上ではなく、砂浜だということに。
『あれ?何で…』
不思議な事はまだ続く。
ヒルコは葦の船ではなく、暖かな毛布の上に寝そべっていた。
『あれ?あれ?何で?』
体を起こし、キョロキョロと見渡す。
小さな焚き火がパチパチと燃えている。
その隣に、葦の船があるのを見つけた。
まるで、焚き火で船を乾かしてくれているようだった。
『???』
状況が飲み込めず、オロオロしているヒルコのうしろから、爽やかなそよ風が吹いた。
「あ!気がついた?良かった~」
柔らかな声に振り向くと、そこには栗色のふわふわした髪の毛と、水色の大きな瞳の男神が立っていた。
「どこか怪我はない?痛いところはないかな?」
そう言いながら、ヒルコの体をペタペタ触っている。
ヒルコは驚いて、何も言えずに固まっていた。
「きみ、この砂浜に流されていたんだよ。急に波が激しくなってきていたから、飲まれちゃったのかもね。このところ、海が荒れてるだ。葦で出来た船も水浸しになっていたから」
だから今、乾かしているんだよと、船を指差した。
「それからきみも。海の水で体が冷えてしまっていたから。毛布で暖めていたんだ。寒くない?」
一気にペラペラと話してくれたお陰で、状況がある程度飲み込めた。
クラクラしながらも、助けてくれたんだとわかったヒルコは、栗色の髪の毛の男神に、ペコリとお辞儀をした。
『あ、ありがとうございます。助けて頂いたのですね。ぼくはヒルコです。葦の船も乾かしてくれて、本当にありがとうございます』
「えっ…?」
直接脳に響いたヒルコの声に、一瞬驚いたが、すぐに意味を理解してにっこりと笑った。
「どういたしまして。僕は風の神のシナツヒコ。シナって呼んでよ。僕も、きみの事…、えっと、ヒルちゃんって呼ぶから」
『ヒルちゃん!?』
突拍子もない提案に、思わず叫んでしまった。
「あはははは」
ビックリして跳び跳ねたヒルコを見て、シナツヒコは楽しそうに笑っている。
愛嬌たっぷりの風の神・シナツヒコは、嬉しそうに風に乗って空を飛んだ。
『わぁ!』
軽やかに、自由に空を舞うシナツヒコを、ヒルコは眩しそうに見ていた。
ヒルコにとっても、シナツヒコにとっても、はじめての友達だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜になり、月が昇っている。
『お月様だぁ』
ヒルコは月の光を見てホッとする。
照りつける太陽より、穏やかな月の方が落ち着くのだ。
シナツヒコも、焚き火の前に座って月を見上げる。
「少し前に、太陽の神と月の神が生まれたらしいんだ。だからどちらも凄く輝いているよね」
『そうなんだ…』
「僕はイザナキ様とイザナミ様から生まれた。太陽の神のアマテラス様と月の神のツクヨミ様、あと海原の神のスサノオ様はイザナキ様から生まれたらしいよ」
『そうなんだ…』
ヒルコの体がぎゅっとなった。
「ヒルちゃんは?ヒルちゃんは何の神?」
『………!』
シナツヒコの言葉が終わる前に、ヒルコの体の色が藍色へと変化していく。
藍色の体は固くなり、プルプル震えている。
「ヒルちゃん!どうしたの!?」
シナツヒコは驚いて、ヒルコを抱き上げた。
『あ…』
はじめて誰かに抱き上げられたヒルコは、言葉に出来ない想いが込み上げている。
嬉しいような…。
恥ずかしいような…。
何だろう…。この気持ちは…。
ヒルコ自身にも、この想いがわからない。
わからないけど、なんてあたたかいのだろうか。
『ぼくは…、イザナキ様とイザナミ様の…最初の国土に…なる…はずだったんだ…』
ポツリポツリとヒルコは話した。
シナツヒコは、うんうんと頷きながら、ヒルコの言葉を丁寧に聞いている。
ヒルコを優しく抱き上げながら、ゆっくりとその言葉を待っていた。
ふんわりと清らかな風が、ヒルコをやわらく包み込んでいた。